空閑汐♂デイリー【Memories】14「なぁ、ヒロ……じゃない、な」
テキストから顔を上げながら溢された汐見の声に、フォスターは呆れたように息を吐く。航宙士学院の五年生として軌道ステーションにある国際航空宇宙学院のサテライトキャンパスで勉学に励むフォスターは、自習室で隣に座る汐見へ掛ける言葉に迷っていた。
「なぁ汐見」
フォスターの声に視線だけを向ける汐見の瞳は冷め切っていて、その事実に苦々しい気分になる。数ヶ月前までは、その瞳には自信だとか熱だとかそういった感情があった筈なのに。視線だけでフォスターの呼びかけに反応する汐見に、少しだけ逡巡するように言葉を探しながらも空気を震わせていく。
「もう、三ヶ月経つんだ。気晴らしでもした方が、いいんじゃないだろうか」
五年目が始まった直後にドロップアウトをした同期の一人を思い出し、恐る恐る言葉を紡ぐ。彼らの間でどんな言葉が交わされたのかは分からないが、事実残された汐見は極端に感情を表に出さなくなっていた。
フォスターの隣に座る元々気難しそうな印象を纏う男は、話してみれば気は強いが真っ直ぐな熱を持つ気のいい人間だった筈なのだ。四年間近くで見てきたのだから、その印象は間違いないだろう。少なくとも、彼はそうあろうとしていた筈だった。
「気晴らし? 俺が?」
心外だとでも言うように、切れ長の瞳を瞬かせ首を傾げる汐見は「何をすればいいのかすら分からないのに?」と重ねる。その言葉にフォスターは背筋に冷たいものを感じた。
「地球ではよくツーリングに行ってただろう、ローバーの免許も申請したんだし……」
ドライブにでも、と続けようとしてフォスターは気づいてしまう。彼がツーリングに行く時、いつも空閑が居た事に。そうだ、彼らはこの四年間離れる事なくいつも一緒に居て、彼らの言葉を信じるならば航宙士学院に入学する前の三年半も同じようにそうしていたのだ。
まるで連理の枝、比翼の鳥のように共にいた二人だ。フォスターの予感が当たっている事を、汐見は自嘲げに肯定する。
「どこに行ってもヒロミの事を思い出すんだ。もう、勉強くらいしか出来る事がない」
「……だが、今の時代地球と宇宙の遠距離なんてよくある話だろう」
宇宙が近くなったこの時代、恋人を、家族を地球に残して単身宇宙で働く人間だって少なくない。そうして励まそうとしたフォスターは、ゆっくりと首を横に振る汐見が溢した言葉に己が彼の地雷を踏み抜いた事を知ったのだ。
「ヒロミとは別れた――別れたんだ。もう、逢うこともないのかもしれない」
感情を殺すように顔を顰めて言葉を紡ぐ汐見の声には、涙の色が混じっていた。