「眠れないのですか?」
何度か寝返りを繰り返していたら、優しくてどこか蠱惑的な声が耳をくすぐる。
自分よりも冷たいしなやかな手が額を滑るように髪をかき上げて、こめかみあたりに口付けられた。幼い子供相手にするような触れるだけで離れていくキスを幾度も受けて、くすぐったさにクスクス笑いが零れる。
「眠れないわけじゃない……と、思うんだけどさ」
目を閉じていると、視覚以外の感覚が過敏になる。ふわりと甘い香りが届いて、心臓がひときわ大きく跳ねた。。菓子や蜜に与えられるどこか安心する甘さじゃなくて、鳥や虫へ誘いをかける花の少し不穏でけだるい甘さだ。発散したはずの熱がじわりと集まりかけたけれど、意識的に切り離した。
目を開ければ、穏やかに微笑むうつくしい人の顔がすぐ近くにある。
「嬉しくて」
「嬉しい?」
「うん」
お互い向かい合わせで横に寝ころんだままチェズレイの視線を受けると、いつだってドキドキする。
そっと手を伸ばしてみた。彼は少し驚いたようにうつくしい紫の瞳をパチパチ瞬かせたけれど、僕の手を拒む素振りは見せない。
触れることを許されている。こうして、一緒に眠りに落ちることも。
「あと、なんだかもったいない気がして」
せっかく君がいてくれるのにな、と。
口にした言葉は、とろりとした眠気に支配されてぐずついている。どうにか呂律は回っているけれど、ちょっと舌ったらずでぼんやりしていて、我ながら眠たげだ。
「あァ、ボス……」
吐息まじりの声は感激したように僅かに震えていた。
ふわりと花がほころぶように微笑みを浮かべた顔は、秀麗すぎてどこか冷たさを帯びた普段の表情とまるで違う。どこか少女めいた無邪気さを孕んで、視線を外せなくなってしまった。
するりとしなやかな身体に抱き締められて、なにも隔てるものがない素肌同士の触れ合いが、さっきまでしていた行為と質は違うけど同じくらいに心地良い。
「なんて可愛らしい……」
「いや、可愛くはないとおもうけど」
いい加減育ち切った成人男子を相手に、それはないんじゃないかな、流石に、と思うけれど、飽くことなく繰り返される言葉は本気で口にしているらしい。
「ただ、眠って下さらないと心配になります。せめて、目の下の隈はどうにかしていただきたいところですねェ」
「あー……ごめん」
自覚はあったから素直に謝る。
謝罪の言葉もまた、緩やかな眠気を帯びてどこかふわふわと頼りないけれど、チェズレイは満足そうに頷いた。
「でもさ、チェズレイとずっと一緒にはいられないから、だから……一緒にいる時間は、できるだけ君を覚えておきたいんだ」
「そう、ですか……ええ、ボスの気持ちはよくわかりました」
けれど、今はどうぞお休みください。
甘やかな声にするりと眠気を引き寄せられて、それ以上何かを告げるより先に意識が闇に閉じた。