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    はるち

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    はるち

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    怪我をしたリーのためにドクターが料理を作るお話

    #鯉博
    leiBo

    砂糖大匙二香辛料少々、そして愛を適量「手慣れて見えますね」
    「そう?君にそう言ってもらえるなら鼻が高いよ」
     キッチンには砂糖とミルクの甘やかな香りが満ち、ドクターの溢した笑い声がスパイスのように彩りを添える。平時であればこうして夜食を作るのは自分の役回りだが、今回ばかりはそうもいかなかった。
     リーはちらりと三角巾に吊るされた自分の右腕、骨折が治るまでは動かさないようにと医療オペレーター――末の子どもであればやりようはあったが、相手はよりにもよってあのガヴィルである――に厳命されている自分の腕を見た。危機契約は、普段とは異なる状況下での戦闘を強いられる。それは理解していたつもりだった。だからこの腕は慢心の代償だ。溶岩洞でオリジムシ達を捌きながら、あのポンペイとかいう巨大な害虫を相手取ろうとしたらこのザマだ。結果として危機契約の途中でリーは本艦へと戻ることになり、全てを終えてロドスへと帰還したドクターをくたびれた表情で出迎える羽目になった。
     怪我をしたのはよりにもよって利き腕であり、戦闘に出ることはおろか秘書の業務も、厨房に立って何かを作ることもままならない。無聊をかこっていたリーの元を、夜になってからドクターはひょこりと訪れた。今から夜食を作るんだけど、君もどうだい、と。そう言って。てっきりカップ麺か何かを――さすがにこの人が自身の口の中で作ろうとするのなら止めなければと思っていた――作るのかと思ったが、意外や意外、ドクターに案内されたのは厨房だった。ドクターは冷蔵庫から卵と牛乳、そしていくつかの調味料を取り出して調理場へと並べる。何か手伝おうかと言ったが、リーはそこで見ていてと言われたので大人しく観客に徹している。ドクターは慣れた手付きだった。そういえば、アーミヤに野営のやり方を教えたのは自分だと言っていたか。とはいえ、肝心の当人はその記憶を失っているのだが。それでもこうして、体に染み付いて残るものがある。
    「もうすぐ出来るよ」
     ドクターの声が、憂鬱の淵に沈んでいた意識を引き上げる。
    「卵酒ですかい?」
    「少し違う。これはエッグノックだよ。ハイディが教えてくれたんだ」
     ドクターが丁寧に掻き回している鍋の中には泡立てられた卵と牛乳、そして砂糖といくつかのスパイスが投じられている。自分が知っている卵酒とよく似た作り方だが、しかし酒の代わりに牛乳を使っているあたり、子どもでも飲みやすそうだ。まだ仕事が残っているからね、といささかうんざりした様子でドクターは言う。二人で晩酌に興じられるのは、どうやらまだ先の話になりそうだ。
    「どうしてこれを、おれに?」
    「暇そうにしてたから」
    「こんな腕じゃあどうしようもありませんよ」
    「だろうね。だから様子を見に来たんだよ」
     できた、と弾む声でドクターは鍋を火から下ろす。用意した二人分のマグカップにとろとろと中身を注ぎ入れ、仕上げにラム酒を垂らす。風味付けと呼ぶにはいささか量が多いけれど、ドクターがしい、と人差し指を唇に押し当てたので、リーは小さく笑うに留めた。
    「ドクターも悪い人だ」
    「誰の影響だろうねえ」
    「執務室に戻りますか?」
    「いや、いつも通り、ここで」
     リーが夜食を用意する時も、厨房で雑談をしながら食べて仕事に戻るのが常だった。執務室まで持って帰ってもいいが、その時間が惜しいというドクターの言い分、そして執務室にいると否が応でも仕事を思い出すから気分転換をしたいというドクターの希望を叶えてのことだ。
    「お疲れ様」
     マグカップの中身に口をつける。十分に泡立てられた卵の、滑らかな舌触りがする。砂糖が控えめなのは、甘いものがさほど好きではない自分への配慮だろう。代わりにシナモンとカルダモンの香りが鼻先に抜ける。確かに、材料や製法は炎国風の卵酒と似ているが、味わいはヴィクトリアのそれだ。
     熾火を飲み込むように、食道から胃の腑へと落ちた液体は、枝葉を広げるように身体をじんわりと温めていく。
    「美味いですね」
    「よかった」
     ドクターがほうと息をついたのは、何もその飲み物のせいだけではないだろう。
    「にしても、どういう風の吹き回しですか?」
    「君が教えてくれたんだろう」
     何を、というのが顔に出ていたのだろう。
    「誰かのために料理を作るのは楽しくて、誰かと一緒に食べるのは嬉しいって」
     普段は、君からもらうばかりだからね、と。ドクターは微笑んだ。
    「君はほら、尽くしたがりで与えたがりだから。こういうときでもないと受け取ってくれないだろう?」
    「何をですか?」
    「さて、なんだろうね」
     はぐらかし、ドクターはまた一口、カップの中身を飲み下す。
     この中に満ちてるもの、飲むごとに自分を内から温めるものの名前を自分は知っており、だからこそ飲み干してしまうことが惜しい。
    「ドクター」
    「うん?」
    「腕が治ったら、これの作り方を教えて下さいよ」
     自分が与えて、また与えられたものを、今度は自分の手で手渡せるように。微笑むドクターは、春の暖かさに蕾を緩める花に似ていた。
    「勿論、喜んで」
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