花見で一杯、雨流れ酒に弱い、数少ない良いことは少量ですぐに酔えることだ。この世の憂さを忘れて夢を見るために、何杯も盃を傾ける必要がない。一杯あれば事足りる。
「ようやく起きた?」
悪いことはそれ以外の全てだ。翌朝の頭痛、倦怠感、そして曖昧な昨夜の記憶。腕の中にいるドクターは非難がましい目でこちらを睨みつけていた。互いに纏うものは何もなく、覚えていなくても何があったのかは明白だった。肌に残る乾いた体液の感触が気持ち悪い。シーツは乱れて、その癖自分はしっかりとドクターを抱きしめていたようだった。肌の上に散る噛み跡や鬱血痕が誰によるものかなど、考えるまでもない。尾が巻き付いている柔らかいものがその細い腰であることにようやく思い至る。言葉をなくしていると、脛の辺りを蹴られた。
「ほら、そろそろ離してくれ。シャワーを浴びたいんだよ」
仕事終わりに一杯やろうと、そう誘ったことは覚えている。いつものようにつまみを用意して、二人で執務室で盃を傾けていたことも。そういえば、とドクターが切り出したのはもう酔いも回ってきた頃だった。リィンから分けてもらった酒があるんだけど、君も興味があるかい、と。そうして二次会の会場となったドクターの部屋へと向かった、はずだ。しかしそこから先の記憶は朧げに溶けている。
「ドクター、おれは……」
ドクターは唇を歪めた。目覚めの珈琲の苦さに耐えかねたように。失言を悟るが、既に手遅れだ。後悔は先に立たず、溢れた水を盆に戻す術はない。
「なんだ、覚えていないのか?いや、いい。言わないでくれ。君が酒に弱いことは知っている」
覚えていないならもういいだろう、と。ドクターは腕の中で気怠げに身を捩った。
「そんな顔をするなよ。お互い、良い大人だろう?」
ただ流されただけだとドクターは笑う。流されたというのは、酒か、雰囲気か、それともそれだけの情を、この人も持っているのならば。そこにどうすれば漬け込めるか、と考える自分は、良い大人などというものではない。
腕に力を込めると、わずかに身体が強張った。名を呼ぶ声が肌を掠め、触れる端から白磁の肌は花が咲くように色づいていく。
「……もういい加減、夢から醒める時間だろう」
カーテンの隙間からは朝日が差し込んでいる。烟る夜の退廃を祓い清める陽光だ。過ちを優しく包んでくれた憂鬱も酩酊も、今は色褪せていくばかりだ。
それでも。
「大人は夢を見せるものですよ、ドクター」
あなたはおれと同じ夢を見てはくれませんか、と。答えを探して彷徨う視線は、やがて自分のそれとかち合って。一夜限りの美しい夢がこの手の中から逃れぬように、絡めた指先に力が籠もる。白日の下で見る夢は甘く、芳しく。夭として咲く桃の如くに。