「呪いって信じるか?」
深夜午前二時。明かりを消して怪談話をするにはもってこいの時間だが、同じベッドに眠る刑部は興味の欠片もないようで欠伸をしている。桐ケ谷だって別段、怖い話をしようと考えたわけではない。ただ単に、ふと思い出しただけだ。
「お前の口からそんな単語が出てくるなんてね。どうした、夜中のトイレに行くのが怖くなったか」
「そんなんじゃねぇよ。ただこないだ大学の先輩に変なこと言われてさ」
興味を持ったのか、枕に預けていた頭を腕に乗せてこちらを見てきた。
「詳しく話してみろ」
まだサブスクにも上がっていない話題の映画があった。興行収入何百億だかで、大学でも見に行ったと話題で持ちきりだった。あいにく桐ケ谷は見てなかったが、同じ学部の先輩が興味あるならDVDを貸してくれると言う。その先輩は二年に上がってから同じキャンパスで通う内に仲良くなり、来年は大学院に進むらしい。スタオケの練習と授業の兼ね合いが難しく、提出物に困っていると声をかけてくれたり、過去テストの情報をくれたりと工業部では珍しい部類の穏やかで気配りができる人で世話になっている。そんな先輩から、興味があるならと借りることができた。家に帰り早速観ようとパッケージを開けると、中は何の印字もされていないDVDが一枚。普通はタイトルが印刷されているのにおかしいなと思いつつデッキに入れようとしたところで、その先輩から電話がかかってきた。
「お前、もうDVD見たかっ」
普段の穏やかな先輩からは正反対の荒っぽさで、驚きつつもまだだと答えた。
「それ、約束してた映画と別のが入ってたみたいなんだ! 明日変えるから持ってきてくれ。中身は見るなよ、絶対だからな!」
見るなと念押しする先輩が不思議に思い、興味本意で中身は何か聞いてみた。
「わかりました、中身は見ませんけどこれ何が映ってるんすか」
たっぷり十秒、沈黙が流れた後に先輩がぽつりと「――呪いの映像だよ」と言って電話は切れた。
翌日、約束通りに例のDVDが入ったパッケージを持っていくと、受けった先輩は本当に見てないよなと聞いてきた。
「見てないっす。てか呪いってなんっすか」
「そうか、見てないならいい。このことは忘れてくれ。また今度ちゃんとしたやつ持ってくるから、じゃあな」
桐ケ谷と碌に顔も合わせず足早に去っていく先輩を見送ったのが、約一月前。それまでは顔を見ると気さくに挨拶を交わしていたのが、それを期に避けられるようになった。聞いた噂では、院には進まず就職に進路を変えたらしい。今からの時期で就職は難しいが、何か都合があったのだろうか。
いつの間にか、呪いのDVDの話から先輩との交友関係の相談になっていた。
「俺なんかしたかな」
仲は良かったし、少なからずとも嫌われてはいなかった筈だ。世話になっていた人から突然突き放されると傷つく。それのきっかけが件のDVDでは、呪いなんて信じてはいないが原因の一旦ではあるのかもしれないと勘繰ってしまう。
「なぁどう思うよ」
口を挟まず聞いていた刑部に尋ねると、意外としっかり目を開けて聞いていた。話し初めは眠そうにしていたのに、今はしっかり覚醒している。
「呪いか、まさしく呪いだろうね」
「え、マジで」
桐ケ谷の脳内で、昔見た映画のシーンが映し出される。確か古井戸から髪の長い女性が這い出てくる映画だったか。闇夜になれた視界でも、暗闇に背筋がぞくっと震える。
「晃が想像しているような類じゃないさ。もっと、簡単に例えると恋の呪いさ」
「恋?」
恋と呪い。それが合致せず唸っていると、頭に敷いていた腕を抜いて、刑部は布団の上で腕を組んだ。
「まず初めに確認だがその先輩、恋人は?」
「確かいなかったと思う」
仲は良かったが、特段恋人らしき話は出てこなかった。教育学部との共同のキャンパスで会った時も、桐ケ谷のモテっぷりに同情はしていたが羨望はなかったから、女性にあまり興味がないのかもしれない。
「そうか。その先輩、他の奴らにも優しいのか」
「いや。どっちかつーと厳しめかな」
一見穏やかで優しそうではあるが、そこは工業部。少なからず縦割り社会の縮図が残っており後輩に無理を強いる先輩もいる。例の先輩は無茶は言わないが、規律やルールには厳しく他の後輩の勉強には一切手を貸さなかった。
「つまりお前は特別に扱われていたと」
「単に気まぐれじゃねぇの?」
桐ケ谷自身も何故そこまで良くしていてくれたか、わからない。ただ、嫌いではなかったから何かしたのなら謝りたい。
「晃が気負うことじゃないさ。その先輩自身の問題だ」
「だから、それがわからねぇからもやもやしてんじゃねぇか。あんなに良くしてくれてたんだからさ、相談ぐらいしてくれたら俺だって力になれることだってあったかもしれねぇだろ」
ブスくれて枕に突っ伏すと、宥めるように柔らかい手つきで頭を撫でてくる。
「それはできないだろ。悩みの種、さっき話した恋の相手がお前なんだから」
「はぁ?」
ガバリと布団を跳ね飛ばして起き上がる。
「なんでそうなるんだよ」
暗闇の中、目を凝らしても刑部の表情の細部までは見えない。それでも嘘は言ってないのは、長年の経験と勘でわかる。ただそれでも、先輩の想い人が自身と言われると突飛がすぎる。
「簡単な推理さ。堅物で融通が効かない先輩のお気に入り。謎のDVDを誤って渡したことにより一方的に疎遠になった。DVDの中身は桐ケ谷にはどうしても見られたくないものだった」
「それがどうして俺に恋だなんてわかるんだよ」
横になっている刑部を見下ろすと、手招きされたので肩に頭を乗せて寝そべる。腕を回されて寝かしつけるように背中を軽く叩かれるが、それで済まされると思っているのか。見つめ続けているとやっと折れたのか、ため息を吐いて抱きしめてきた。
「おそらく、そのDVDに映っていたのはゲイビで、お前に似た男優が掘られていたんだろ」
だとしたら、まさしく呪いだ。桐ケ谷が先輩と心を通わすことはない。ズレが生じた二人はもう、一生ズレていくしかない。
「……そっか」
悲しめばいいのか、怒ればいいのか。それが真実であるかどうかも不明なのに、納得してしまう。確認する術はあるにはあるが、それは桐ケ谷と先輩の仲を確実に破綻させるだろう。なら仮定の話で落ち着いて、そういうものだったと諦めるしかないだろう。昔から、諦めるのには慣れている。
「しかし、妬けるね」
ぐっと抱きしめる腕が強くなった。
「ベッドで他の男の話をするなんて、どうなっても知らないぞ」
頭のすぐ上から耳を擽る声と、腰まで降りた手で桐ケ谷の背中を寒気とは別の意味でぞくりと震わす。
「ばーか」
伸び上がって鼻頭にキスを送る。話し込んで夜も更けた。正直言ってだいぶ眠い。
「おやすみ」
桐ケ谷が刑部の腕を逃れて枕に頭を乗せると、柔らかい声が響いた。その声がなによりも心地良いから、すぐさま夢の中へと落ちていった。