閉鎖的な田舎での暮らし。不自由ばかりの生活に嫌気を感じていた矢先、何故だか婚約までもが勝手に決められていた。
決められた道をただ歩いていく事に意味などありはしない。
野薔薇は携帯と財布を掴み、小さな肩がけバックに入れて親の静止を振り切って家を飛び出した。
そして、何も考えず東京行きの新幹線の切符を購入し、それを握り締め新幹線に乗り込んだのがほんの数時間前。
東京へと辿り着いた時には既に日が傾き始めた頃だった。
何も考えずに勢いだけで此処まで来た為、無情にも時間ばかりが過ぎていった。
あっという間に日は沈み、気付けば夜。
夜の街並みは該当がこれでもかと言わんばかりにネオンの街頭がきらきらと輝いていて目が慣れなかった。
景色も、雑踏も何もかもが騒がしくて、新鮮で。
目に映るもの全てが真新しい物で溢れている世界に浸りながら宛先もなくふらふらと歩き回る。
そんな中で野薔薇はとりあえず宿を探さなければと辺りを見渡した。
スマホの充電は残り数十パーセント。スマホが生きているうちに何とか一晩過ごせる所を、と探すが慣れない土地だ。
焦りと疲労が相まって野薔薇は知らない間に人気の無い路地裏へと足を運ばせていた。
自然と身体が静かな場所を求めていたのだ。
無意識的な行動に溜息が出る。溜息をついたところでどうにもなりはしないのだが。
とりあえずまだスマホは生きている。今のうちに、とネットに繋ぎ泊まれる場所を調べる事にした。
コンクリートの上に座るのは些か気が引ける。だが足に疲労が溜まっている為渋々野薔薇はコンクリートに体育座りをするような形で座った。
ひんやりとした冷たさが身体に巡り、早々にコンクリートに座った事を後悔した。
薄暗い路地裏でスマホの画面をすす、とスクロールする。
矢張り都会。一泊となるとそれ相応に値が張る。今後の事もある。なるべく安く済ませたい、そんな考えを巡らせながらスマホの画面と睨めっこしている時だった。
「——、——…、!」
「……、…………」
耳に届く罵声と悲鳴。そして何かが倒れる音。
遠いような、近いような。ぞわりと肌が粟立つ感覚を覚えながら、野薔薇はスマホの画面をブラックアウトさせ、声がした方向へと目を向ける。
野薔薇の視界に飛び込んだ景色は現実味のない光景。
スーツを纏った二人組みの男と、その男に威圧され、地面に転がっている男性。
良く見れば地面に転がっている男性には無数の生傷のようなものが見られた。
そして手に握られている黒い物体。
目を凝らし、良く見ればそれは銃だった。
(……これ、夢?てかあれ本物…?だとしたら不味いんじゃ…)
物陰からこっそりと目の前で起きている出来事を見据える。
本来ならば見ている場合なのではないのだが、身動き一つ取れない状況に陥っていた。恐怖と好奇心。それらが混ざりあって野薔薇は目の前の出来事から目を離せなくなっていた。
どくりどくりと血の巡りが速くなる。
そんな中、静かに響いたパシュ、という音。
そして再度何かが倒れ込む音。地面に広がる赤。
(…え、まさか、殺、人…?)
一気に血の気が引いていく。まさか殺人現場に遭遇するだなんて予想していなかった。
警察に連絡、その言葉が脳裏を過る。
慌てて一度しまったスマホを取り出したその瞬間だった。
月夜に照らされた夜の闇と相反するような白髪。そしてサングラスの隙間から見えた綺麗な蒼。
整った顔立ちの人物が野薔薇の視界に飛び込んだ。
ぎゅ、と手に持ったスマホを力強く握り締め、まるで映画のワンシーンのような光景にごくり、と生唾を飲み込んだその時だった。
「…そこで誰か見てる?」
しん、と静まり返る空間に響いた低い声。
やばい、と思った時には遅かった。
傍観者の立場が一気に崩れた瞬間だ。
脳内で一気に警鐘が鳴り響く。早く逃げろと。
だが意思に反して身体はぴくりとも動かない。
「おかしいな、追手は誰も居ないと思ったんだけれど。悟はここで待ってて。私が確認してくる」
足音がどんどん近付いてくる。
あ、これ私死ぬやつだ、と死を覚悟した。
「…こっち」
耳元に届いた新たな声。その声に引かれると同時、ふわり、と地面についていた身体が浮いた。
突然の事に頭が真っ白になる中で、野薔薇はただされるがまま。
ふわふわのピンクと、黒。
すっぽりと腕の中に収まる中で、漸く野薔薇は気付いた。
見ず知らずの男性に姫抱きされているということに。声にならない悲鳴をあげる中、野薔薇の様子に気付いたのだろう。その男性がしー、っと囁いた。
不覚にも胸が高鳴る。いやいや、断じて恋の始まりなどではない、断じて違う。己に言い聞かせるようにして固く目を瞑る。
いつから傍に居たのだろうか、何故あの場に居たのだろうか、様々な疑問が巡る中瞼の裏に焼き付いた光景が脳裏で反芻され、無意識にその男の胸板をぎゅう、と掴んでいた。
「吃驚したろ、さっきの」
「…ん」
暫くその男の腕に抱かれたまま数分。ぽつぽつと言葉を交わしながら漸く街頭が多い道路へと出る事が出来た。
「ここら辺まで来たら大丈夫かな。…っと、ごめんな、急に抱き抱えて」
ゆっくりと丁寧に身体を下ろされながら男は野薔薇へと言葉を紡ぐ。
未だ鳴り止まぬ心臓と、忘れられそうにもない光景。
目の前の男がやけに落ち着いている事に若干の疑問を抱きながらも緊張が解けたのか、野薔薇は大きく息を吐き出した。
「…レディをいきなり抱き抱えたのは関心しないけど助かった事に変わりは無いから、その…アリガト」
「ん、どーいたしまして。こんな時間に一人で帰らせる訳にもいかんし、家まで送るよ」
その男の一言で思い出した。野薔薇は現在宿無しである事に。そしてスマホを先程までいた場所に落としてきた事に。
一気に絶望の波が押し寄せ、ぐらり、と目の前が歪んでいく。
見ず知らずの男に更なる助けを求めていいものか悩むこと数十秒。
野薔薇はおずおずと口を開いた。
「帰るとこ、無い。ついでにスマホ落とした」
「家出?…つかスマホ落としたってのもマジ?」
「マジなやつ。出来れば取りに行きたいんだけど、さっきの人達まだ居るわよね、多分」
「あー…スマホ、は多分なんとかなる。けど家出、家出かぁ…」
「変な話してごめん、なんとかするから大丈夫よ。スマホ無いのは痛いけど仕方ないし。私の事忘れてさっさと帰「家来る?男二人暮らしでむさ苦しいかもだけど、とりあえず今夜は家に来なよ」」
野薔薇が言葉を紡ぎ終わる前にバツの悪そうな表情を浮かべながらそう提案する男の甘言が野薔薇の言葉を遮った。
驚きを隠せずぱちぱちと瞬きをを繰り返す。
無償で与えられる物にホイホイ釣られてはならない。知らない男について行くのなんて以ての外。だがその言葉は今の野薔薇にとって何よりも救いであり、拒否するなんて選択肢は存在していなかった。
だがこの時、野薔薇は躊躇う事無く家へと招き入れる選択肢を取った事に疑問を抱くべきであったのだ。
「俺の名前は虎杖悠仁」
「釘崎野薔薇よ」
甘い言葉に誘われるまま、野薔薇は差し出された手を取った。
この選択が今後野薔薇の人生を大きく狂わせていく事になる事になるのだが、そんな事になるなんて知る由もないまま、野薔薇は虎杖の後を追い掛けた。
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「傑、誰が居た?」
「茶髪の女の子。ここら辺で見たことの無い顔だったね」
「ふぅん。殺した奴の関係者って感じ…でも無いか」
「関係者じゃなくても殺しを見られてる可能性が高いからねぇ。探す?」
「そりゃ、勿論。どんな手使っても探すさ。口封じは大事でしょ」