おンなの子になりたいの2「おはよう、鈴科」
「おはよう、上条」
あの一方通行が転校してきてから、もう一ヶ月近くは経つ。
*
「鈴科百合子です、よろしく…」
教室に少しハスキーな声が響く。
それは決してマイナスに働くことなく、しかし可憐な容姿とのギャップを見事に演出していた。
窓から射し込む陽光を反射して柔らかく輝く白い髪、お辞儀から顔を上げて前方を見据える赤い瞳は陳腐だが宝石のよう、そして骨格も筋肉も脂肪も薄そうな体躯を覆う肌はシミ一つない純白。
なんでこんなお人形のように繊細な造形の生き物が、自分と同じ年数人間社会を生き抜いて来られたのだろう。咄嗟に疑問が先行してしまう。
そして何よりも思った
あれが本当に "あの" 一方通行、なのか?
鋭いガラスの破片のような殺気を秘めた表情は鳴りを潜め、ガラスはガラスでも
豪勢な建築物の中に装飾品として展示されるガラス製品のような触れ難さを漂わせている。
そして
あいつ、女の子だったのか…
と。
確かに対峙した時に視界が捉えた躯の線、殴った時に飛んだ身体の重さに同性とは思えないものはあった。ただあの時は自分も義憤や命の危機という状況でアドレナリンの異常分泌が働き、襲ってきた相手が女子である可能性については及びのつきようが無かったのだ。
当時の自分に責められる謂れはない!と誰へともなく咄嗟に心の中で言い訳をする。
思わず全員言葉を喪い、ある者は目を大きく見開き、ある者は口をあんぐりと開けていた。
俺がそれだけ冷静に周りを見つめていられたのは、偏に事前の邂逅があったからだろう。
土御門だけが小さく「おいおいマジか?」と片眉を上げていたのが気になったので
後日何度か尋問したものの、面識があったという情報しか得られず徒労に終わった。
「あ、あのォ…」
水を打ったように静まり返った教室に、小さく掠れた声がやたら大きく響いた。
鈴科百合子の宝石の瞳に水膜が薄く張り出したのが、虹彩の揺らぎに現れる。
慌てて小萌先生が「み、みなさあん!鈴科ちゃんへのご挨拶がまだですよー!!」と声を張り上げると、それに呼応するように一気に教室がざわめいた。
「鈴科さんよろしくね〜!!」「すごい美少女!」「二次元から飛び出てきたみたい…」
男女問わず歓声や悲鳴が上がり、空間のボルテージは最上級に達したものの
当然数分後には両隣の教室から苦情を受け付けることになる。
この日から暫くの間、謁見する生徒が後を絶たなかった鈴科の顔色は地肌の色にも増して
より一層蒼白という表現の似つかわしいものになっていた。
*
「最近顔色悪ィな、大丈夫か?」
「ああ…同居人が食欲の秋に突入してしまって…」
「普段から聞く限り同居人の食欲は四季折々で健在っぽいけど」
「はい、おっしゃる通りでございます」
深々とため息をつく姿は、曲がった背筋も相まってより一層老け込んで見える。
アイドルがカメラに映らない時間と同じで、ヒーローも24時間365日オンタイムではいられないんだなァとよく分からない感慨に耽ってしまう。
だが、同時に弱っている姿を見ると母性本能的なモノを擽られるのはなんなのだろう。
「若い子を見るととにかく食べさせたくなる」と居候したての頃、黄泉川から食事をこれでもかと並べられ(炊飯器だけでよくあれだけのレパートリーを網羅できるものだ)辟易したこともあったが、アレに通ずる感覚が自分の中にもあるということなのだろうか。
とはいえ、まだ家に上がり込んで自信たっぷりに披露できるほど料理の腕は上がっていない。
かといって現金を渡そうものなら却ってドン引きされかねない。
「…よかったら帰り、スーパーのセール手伝おうか?」
「マジか!?神様仏様鈴科様〜!!!」
言い出すまではバクバク鳴って煩い心臓が言葉よりも先に口から出そうだったが、こんなに喜ぶなら提案してよかったと今度は安堵のため息が出る。
何事も無いように振る舞ったが、首の後ろあたりがまだ火照っている。
「今日は野菜の特売だから助かるよ」
「そうなンだ、普段あまりよく見ないから知らなかった」
「鈴科には無縁だよなぁ」
「うン、だから教えて?」
ちょっとだけ小首を傾げて見つめると、上条の頬が少し赤く染まったように見えた。
管理人のお姉さん系が好きだと以前聞いたが、結構直球なアプローチにも弱いことにも最近気づいた。幸いにも、今の自分の容姿は彼の好みの対極にはなんとか位置せずに済んでいるらしい。
「ああ、俺でよければ喜んで」