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    mochi_70

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    mochi_70

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    転生ファウ晶♀⑤ 顔があつい。
    手のひらはもっとあつい。
    あつすぎて燃えてしまっているかのよう。
    どうしてこうなったのだろう、と横を見上げると菫色の瞳が呆れたように細められる。
    私の顔は目も当てられないほど真っ赤に染まっているのが見なくてもわかる。
    雑踏の中で逸れないように、と繋がれた手のひらだけが感覚を持っていて、周囲の喧騒もわからないままだ。
    まるで世界に二人きりになったみたい。

    今、私たちは魔道具を探しに中央の街の市場に来ていた。
    そう、二人で。
    そしてどうして私とファウストが手を繋いでいるのかと言うと、私が逸れそうになったからだ。
    恥ずかしいことにここまで栄えている街にくるのはそれこそ賢者であった時以来だったから物珍しくてきょろきょろと目移りしてしまって人波に飲まれそうになってしまって。
    それを見かねた彼が手を握ってくれた、と言う訳なのだけどドキドキしてどうにかなってしまいそう。

    デートだ。
    これはもうデートだ、と過去の記憶が私の中で叫び出す。
    手をぎゅっと繋いで、互いの歩調を合わせて、互いの好きそうな店を覗く。
    まごうことなくデートである。
    浮立つ心を理性で押さえつけようと思うけれど押さえつけられるわけがなかった。魔法使いの心は素直なのだから。
    猫ちゃんの置き物の専門店みたいなところに二人揃って吸い込まれたり、チュロスのいい匂いにつられて屋台で買ってしまったり、路地裏に入っていく子猫を目で追ったり。
    ファウストには他意はないのに、私が勝手に盛り上がってしまっている。真っ赤に染まった頬も、繋いだ手からでも聞こえてしまいそうなぐらい高鳴った心臓も、不審に思われる前に取り繕わなければいけないのに。
    そう焦りを隠せないでいると頭上から面白がったような吐息が溢された。
    思わず彼の方を見るとやっぱり口元に手を当てて笑っていた。

    「きみは、動揺が顔に出るタイプか。」

    羞恥で顔がもっと赤く染まる。これ以上浮かれた女の顔を見せたくなくて綺麗な菫色から目を逸らした。

    「呪い屋に手を繋がれているだなんて嫌かもしれないけど今だけは我慢して。」
    「嫌じゃないです!」

    嫌なわけなんかない。
    ただ恥ずかしいだけなのだ。勢いよく否定する私に笑みをこぼして彼は「そう。」と囁いた。
    端くれだった大きな手をぎゅっと握って人混みの中を歩く。
    二人の間は穏やかな沈黙に包まれている。
    夢見ていた時間に包まれて私はもう石になってしまいそう、なんて思ったりそれは惜しいなと思ったり。
    こっそりと彼の横顔を眺めたり、と。こんなに幸せでいいのだろうか。私ばっかりいい思いをしている気がする。
    見過ぎだ、と煩い私の視線にファウストは困ったように眉を八の字に曲げた。

    「僕じゃなくて露店を見るんだろう?」
    「はい……」

    彼に促され私は周りを見渡す。
    私の記憶と違う部分もたくさんあるけれど、いかにも中央の国という活気だ。
    美味しそうなお菓子にチキン、鮮やかな絵画や華やかな装飾品。様々なものがあって目移りしてしまう。
    あのケーキ屋はいかにもオーエンが好きそうだ、とか珈琲豆の専門店はヒースクリフが好きそうだ、とかつい昔の癖で魔法使い達の好きそうな物を目で追っていると「また何か食べたいの?」と尋ねられた。
    そういうわけじゃないから、慌てて首を振ると彼は軽く笑った。
    冗談だなんて親しくもない相手に言うイメージはなかったけれど、未だ緊張している私が解れるようにと気を使ってくれたのかもしれない。
    そう思って頬がまた緩んだ。

    ***

    彼の手に引かれてやってきたのは少し怪しそうな雑貨屋だった。いかにも魔法使いがやってそうと言われるような外観で入るのにちょっとだけ勇気が必要だと思ったけど、そこはさすがファウストと言うべきか躊躇なく扉を開けた。
    スタスタと歩く彼を追って私も店内に入る。

    「えっ!?」

    思わず声が出た。
    部屋の中は竜巻が大暴れしたのか、と問いたくなるほどぼろぼろで。散らかっているという騒ぎではない。粉々になった木片が床に散らばっているし、埃っぽくてもう何年も人が住んでいないような廃墟。
    ここは、と思い私を連れてきた張本人を横から見上げるけども彼の表情はなんら変わることなく壁に向かって歩いていく。
    ファウストの進む方向を見るとそこには古びた暖炉があって、上には壊れかけた花瓶が置いてあった。

    「サティルクナート・ムルクリード」

    彼が呪文を唱えると小さな白い花が私の手元に現れた。驚きながら受け取ると花びらがキラキラと光を蓄えているのかわかる。
    なんという花なのだろう。アネモネのようにも見えるけど。

    「綺麗ですね。」
    「その花をその花瓶にさして。」

    言われた通りに花をそっと差し入れると花を中心に光が弾けた。精霊が祝福をおくる時のように光の粒が柔らかく室内に降り注ぐ。
    幻想的な光景で思わずわぁ、と感嘆の声をあげた。
    弾けるような光の粒が部屋の隅々まで広がると、光に包まれ形を変える。
    ぐちゃぐちゃに荒れ果てていたものが綺麗に整えられ、床に散らばった木片が集まって商品棚が作られる。そこにはたくさんの品物が陳列されていた。
    これは、魔法使いの店だ。
    ファウストは頷きながら私に声をかける。

    「そう。ここは西の魔法使いの店だ。」

    確かに、こんな不思議で素敵なお店を作るのは西の魔法使いっぽいなと感じた。
    「……一癖も二癖もあるけれど彼の目利きは確かだ。」

    ファウストの言葉に反応したかのように奥の扉が小さな音を立てて開いた。
    そこから出てきたのは年若い見た目の青年だった。

    「おや、呪い屋さん。数十年……30年ぶりくらいかな?可愛い生徒さんに贈り物はできたかい?」
    「あぁ、おかげさまで。」
    「それは良かった。」

    グレージュの髪に天色の瞳。
    朗らかに笑う姿は少しラスティカに似ていて、底の知れなさはムルに少しだけ似ている。年若い見た目に反して老成した色を持った瞳の魔法使いだった。 
    ファウストと会話する姿は親しげに見えて思わずじっと見てしまう。視線に気づいた彼は肩をすくめながら私に言葉をかけた。

    「彼は僕より長命の魔法使いで、各国で旅をしながら店を開けている。各地を転々としているが魔力を込めた花を渡すと店を開けて商品を出してくれる。ここ以外にも彼の店は他の国にもあるよ。」
    「じゃあここは中央の国支店って感じなんですね。
    「西の国の店はもっと広いよ。魔女のお嬢さん。」

    店主さんはいつか本店にも来てくれとにっこりと笑った。品物は空間魔法を使っているためほぼ同じだけど西の国の店は内装に凝っているらしい。
    店主さんの話を聞いていつか行ってみたいな、と思った。
    すると店主さんは瞳を輝かせながら笑みを深めた。

    「……君は呪い屋さんの恋人かい?」

    好奇心、というのが一番ピッタリハマるのだろうか。彼は私とファウストを楽しそうに見つめるけど、見つめられたファウストは大きくため息を吐いた。

    「違うよ。ちょっと事情があるんだ。」
    「ふーん。でも、良い色をしているね。」
    「色?」
    「うん。君の名は?」
    「アキラです。」
    「じゃあアキラにいいものをあげよう。呪い屋さんにはこっそりと。」
    「おい。聞こえているが。」
    「おや、それはいけない。」

    彼は無邪気な笑みで後でね、と口元に手を添えていた。なんだか満足そうにしている。

    「ところで今日は何をお探しかい?」

    忘れちゃあ、いけない。と店主さんは笑った。

    「彼女の魔道具になるものを。気に入ったものがあれば……と考えているけど。」

    ファウストの言葉に店主さんはうーん、と少し考え込んで指先を頬に添えた。
    天色の瞳で私をじいっと見つめて口を開く。

    「魔道具かぁ、巡り合わせだからね。いいよ、ゆっくりと見てください。呪い屋さんのお嬢さん。」
    「ありがとうございます!」

    穏やかな笑みを投げられて私は頭を下げた。そしてきょろきょろと店内を見渡す。
    美しい装飾品から不思議な置物まで沢山ある店内は何時間でも見ていられそうだ。
    うきうきと品物に目を向けている私の横でファウストは微妙は表情で息を吐いた。

    「彼女は呪い屋じゃないんだが……」
    「きみのお嬢さんなのだから呪い屋さんのお嬢さんで間違いないだろう?」
    「……やっぱり、何か誤解していないか?」

    ニコニコと笑う店主に困ったようにファウストは頭を抱えていた。やはり西の魔法使いは少しやりづらいのかもしれない。
    噛み合っていない二人を見て私は苦笑いを浮かべた。
    実は、言ったら叱られてしまうかもしれないけど私はファウストが困ってる姿を見るのが存外好きなのだ。
    いつも冷静が彼が表情を崩す瞬間はいつ見ても愛おしい。
    にやける表情を隠すように私は息を吸い込んで陳列棚へと目を向けた。
    私が見ても良い品だ、と思うものが所狭しと並んでいて目が忙しなく動いてしまう。
    ピアノの形をしたオルゴールや、よく目を凝らさないと気付かないほど透明のグラス。
    猫のお尻の可愛い置物にピンクの宝石を使った指輪など。
    時間を忘れてゆっくりと品物を見る私に何も声をかけずにファウストは横で見守ってくれていた。

    ふと、あるものが目に止まって思わず小さな声を漏らす。
    私の声に気づいたファウストはどうした?と声をかけながら私の視線の先を追った。

    「綺麗なネックレスだな。」

    そこには控えめなトパーズの宝石に彩られたネックレスが置かれていた。
    金のチェーンのそれは、良い品物しかない店内でも一際輝いているように見えた。
    そのネックレスから目を離さない私にファウストは「気に入ったの?」と声をかける。
    私はふるふると首を振った。

    「いえ、昔持っていたものに少し似てる気がして。似たようなネックレスを貰ったことがあったんです。」

    菫色の瞳に目を向けずに私は笑った。まっすぐにトパーズの宝石を見ながら言葉を溢す。

    「でも、これじゃないんです。私が大切にしていたものはこれじゃない。」

    私の心が求めているのはこれじゃない。
    どれだけ似ているものを選んだところであの時を取り戻すことはできないのだから。

    「そう……」

    彼の声を聞いて私は笑みを作って振り返る。

    「素敵な品物ばかりで悩んじゃいますね。この猫のコップとか可愛いです。」
    「……そうだな。」

    見てください、と指を差す。カップに寝そべっている黒猫の絵が描かれているものを示して見るとぽんと私の頭に彼の手が置かれた。
    さわさわと撫でる手つきは優しかった。

    「無理に決めなくてもいい。」
    「ファウスト……」

    サングラス越しの菫色は柔らかく細められていて、心臓がどくりと跳ねた。
    彼は小さく息を漏らして、私から手を離した。

    「すまない。今日はお暇するよ。」
    「とんでもない。きてくれて嬉しいよ、呪い屋さん。」

    店主さんは嫌な顔ひとつせずににこりと笑って、また来てね、と手を振った。
    そして私に呪い屋さんのお嬢さん、と声をかけて手招きする。
    差し出された手にあったのは小さな菫の花だった。
    何も買わずに、むしろ貰ってしまったと申し訳なさげにする私に向けて柔らかく言葉を紡ぐ。

    「魔道具は探そうと思って探せるものじゃあ、ない。きみの心が指し示すものさ。焦らずにゆっくりと見つけていけばいいんだよ。」

    柔らかな風が花びらと共にふわりと吹いた。

    「君達の道行に祝福を。またきてね呪い屋さんのお嬢さん。」


    ***

    「なにか気に入ったものはあった?」

    西の魔法使いの店を後にして、様々なお店を眺めても決めきれずにいた私にファウストは視線を向けた。
    ガラス細工の店にオルゴール専門店。本屋に骨董市。専門的な店から広く浅くみたいな店まで見たけれどピンとくるものはなかった。
    素敵だな、綺麗だなと思うことはあれど「これ!」となるにはなんだか決め手に欠けていて。
    思わずう〜んと唸ってしまう。

    「……昔、思い入れのあった品は?」
    「昔ですか……」
    「そう。もう処分されてしまったかもしれないけど。……賢者の書は?」

    彼の言葉で脳裏に一冊の本が映し出される。
    『真木晶』という賢者が魔法使いと過ごしていた時間を証明するもの。
    今の私にとっても大切な、大切なもの。
    たしかに魔道具をどうするか、と尋ねられたときに一瞬考えた。だけど、それは何か違うような気がした。
    賢者の私はきっと大切な想い出として大事にしてほしいと思う、そう感じたから。
    私は静かに首を横に振った。
    けれど人混みが好きではないだろう彼を長々と付き合わさせるのは申し訳ない。

    「あの、今日はもう魔法舎に帰りませんか?」 

    菫の瞳が見開かれながら私を見る。
    少しの沈黙の後、瞳を驚きの色から心配の色に変えて頭を屈めて囁いた。
    「疲れた?」
    「疲れてはないんですけど、なかなか見つからないので。急ぐものじゃないですし、ゆっくり探した方がいいんじゃないかって思いまして……」
    「……そうだな。」

    思案するようにファウストが帽子を深く下げた。
    言っても良いのか、と逡巡して眉に皺が寄っているのがわかる。
    一呼吸置いて、繋いでいた手のひらがぎゅっと強く握られた。

    「……きみが、良いというのならもう一軒だけ行かないか?」

    カフェで休憩するだけでもいい、と言って目をファウストは目を逸らした。
    思いがけない言葉に私はおそるおそる尋ねた。

    「無理してないですか?」
    「……無理はしてない。安心してほしい。」

    菫の瞳を迷子のように彷徨わせる彼は困ったように言葉を溢した。

    「なんだか、惜しいと思ったんだ。この時間が。……どうしてだかわからないけど。」

    ぎゅっと彼の手を握る。
    手袋越しのの温度はいつもよりも高い気がした。

    「私も、私もこの時間が惜しいです。ファウスト。」

    私も同じだ。と彼に告げる。
    ファウストがどうしてそんなことを思うのか私にはわからないけれど、嬉しいって感情が抑えられない。
    だらしなく頬を緩める私をみて安心したように彼は柔らかく微笑んだ。
    お気に入りのカフェがある、と手を引かれて私達歩き出す。彼の美しい顔を眺めながら歩みを進めていると道の段差に足を取られて体が傾いた。
    倒れると思い目を瞑る。けれど、想像していた衝撃はいつまで待っても来なかった。

    「大丈夫か?」

    訪れたのは柔らかな布としっかりとした温もりの感触だった。
    たくましい胸板に包まれて、顔を近づけられる。
    細い身体に見えて意外とがっしりしていることを思い出して、頬が赤く染まる。
    近いし、彼の香りが鼻腔を直撃して脳がおかしくなりそう。
    そんな私を見てファウストは喉を震わせて笑った。

    「きみは見ていて飽きないな。」

    満開の菫のような瞳が一等柔らかく細められて、呼吸が止まった。
    緊張と羞恥と、嬉しさで。
    まるで、あの頃の彼のような笑みだったから。
    勘違いしてしまいそうになる。
    声も出せずに口をパクパクと動かしていると手をスッと取られて「僕から離れるな。」と囁かれた。
    押し黙る私にもう一度笑みを向けたファウストは私の手を引いてもう一度歩き出した。


    ***

    コンコン、とノックの音が自室に響く。
    ファウストとのお出かけを終えて、ネロの夕食をいただいて一息ついた頃。
    静かな部屋に訪れた律儀な音に首を傾げながら扉を開けるとそこには先程別れたばかりの彼が立っていた。
    少し気まずそうにするファウストを部屋に招き入れてベッドに腰掛ける。
    置かれてある椅子に座ることを促すけど、難しい顔をして押し黙るだけだった。

    「きみ、もう少し警戒心を持ちなさい。」

    眉をきゅっと吊り上げて、口元をムッと尖らせてファウストは私を見つめた。
    呆れたようにため息を吐いて、美しい菫をそっと隠した。

    「年頃の娘が夜分に異性を部屋に招き入れるんじゃない。……訪ねてきた僕が言うことではないかもしれないけど。」

    貴方だから部屋に入れたのに、なんて口を開こうとしてやめた。
    言ったら『どうして。』と聞かれてしまいそうだと思ったから。
    彼の大人らしい忠告を聞かないふりをして私は首を傾げて問いかけた。

    「何かありました?」

    私のその一言に少し迷うような素ぶりを見せて瞳を泳がせる。不審な様子にどうしたんですかと言葉を続けた。
    今日、何か忘れ物でもあったのだろうか。
    あの後落ち着いたカフェで軽くお茶をして解散したけれどその時はおかしな様子ではなかったと思う。
    むしろ心地よさげに瞳を細めていた。
    大きく息を吸い込んで、決意を決めたみたいな顔をするとファウストはゆっくりと口を開いた。

    「良ければ、これをきみに。」

    そう言って魔法で渡されたのは細身のネックレスだった。
    細めの銀のチェーンに小さなアメジスト。
    見覚えのあるそれに思わず息が溢れた。

    「西の店主の店で似たようなものを持っていたと言っていただろう。……これは僕の部屋にずっとあったものなんだけど、もしかしたらきみのものだったのかもしれない、と思って。」

    目を逸らせずにアメジストの宝石をじっと見つめる。だって、だってこれは。

    「どうして女性ものの装飾品が僕の部屋に紛れ込んでたのかわからないけれど。きみと親しかったみたいだから、きみを忘れたくなくて勝手に手元に置いておいたのかもしれない。」

    違う?と瞳で問いかけられて呆然としていた私は思い切り頷いた。

    「わたしの、私のものです。」

    「持っていてくれて、ありがとうございます──、っ……」

    視界がぼやけて歪む。抑え切れない涙が頬を伝った。嗚咽を抑え切れずに喉から音が漏れる。
    泣き出した私に近づけてファウストは膝をついてしゃがみこむ。そして、私の顔を覗き込んで頬に手を伸ばした。

    「泣かないで。君に泣かれるとどうしていいかわからない。」

    ファウストは困ったように眉を下げた。
    目尻を指先でそっと拭うけれど、涙は目から溢れてくるばかりで止まる気配はなかった。
    これは、かつてファウストが私にくれたものだ。恋人同士になって丁度一ヶ月。どこからか私の世界の記念日の風習を知って、顔をほんのり赤く染めながら渡してくれたもの。
    きみに身につけてほしいと思って、とはにかむ彼の顔は今でも鮮明に憶えている。
    嬉しくて、嬉しくて、貰ったその日からこの世界を離れる日までずっと身につけていた。

    「ありがとうございます、ファウスト。」
    「……礼を言われるほどじゃない。」
    「私の魔道具、これに決めたいと思います。」
    「いいの?」
    「はい。これがいいです。」
    「そう。わかった。」

    少し落ち着いてきた涙腺を瞬きで堰き止めて、ようやく礼を言った。手にしたネックレスの留め具を外して首にかける。
    今ならどんな魔法でも使えそうだ、と思えるほど心が歓喜に溢れていた。

    胸元で煌めくアメジストは美しかった。


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