馬車の中の話。 その日。ジルとリゼルが巡回の馬車に乗ったのは夕暮れ時。馬車が一番混み合う時間帯だった。
普段から色んな意味で耳目を集めている二人は、だがすっかり視線に慣れてしまったのか、周りを気にした様子もなく馬車に乗り込んだ。幌の上も既に先客が居て、場所を代わろうか、と言われたが丁重に断って中に入る。
狭い馬車の中、じりじりと開けられる隙間を縫って、二人は目立たぬよう馬車の隅へと移動した。耳目を集める事に慣れているとはいえ、無駄に注目を集めたい訳ではない。
「満員の馬車は久し振りですね」
「いつもは時間をずらしてるからな」
さりげなくリゼルの腕を掴んで馬車の端へ立たせて、その前にジルが立つ。周りの視線が、体温が、気配が前に立つ長身のジルに隠されて、リゼルはホッと安堵の息をつきつつもほんの少し拗ねたように唇を尖らせると、ちろりとジルを見上げた。
「君は過保護です」
「いつもはしねぇよ」
冒険者として一人前になるのだと、日々妙な努力をしているリゼルをジルが止めた事はない。呆れたようにため息をつきつつ、何だかんだと傍に居てくれるが、ジルは時折こんな風にリゼルが無自覚に苦手意識を抱いているものから庇ってくれる。パーソナルスペースより近付かれる事がいまだに慣れないリゼルの為に、いつもは馬車に乗る時間をずらしていたのだけれど、今日はこの馬車を逃すと後がなかったのだ。
ガタゴトと揺れる馬車の中。さりげなくリゼルの腰に腕を回して支えながら、ジルはリゼルの耳元に唇を寄せる。
「昨日まともに寝てねぇだろ。着くまで支えてやるから、ちょっと寝てろ」
悪戯めいた低い響きに、リゼルは今度こそじろりとジルを睨め付けた。
「だ、誰の所為だと……!」
「俺の所為だな」
……昨夜。明日は迷宮に潜るから嫌だと言ったのに、何だかんだと目の前で楽し気に目を細めている男に喰われた。
欲しがっているのはジルばかりではなく、リゼルも同じなのだから文句は言えないけれど、もう少し手加減をしてくれても良かったと思うのだ。
うっすらと頬を朱に染めながら、だがそれ以上言葉にならないリゼルに低く笑って、ぽんぽん、と腰に回した手で宥めるように背を叩けば、リゼルはジルにもたれ掛かってきた。言いたい事は山程あれど、躯が疲れているのは事実だった。
「……ちゃんと支えてて下さいよ」
「任せとけ」
ジルの肩に額を押し付けて、くったりと力を抜くリゼルのほっそりたした躯をさりげなく、だがしっかりと抱き寄せて支えてやれば、リゼルはふう、と安心したように一つ深く息をついた。
さらさらとした柔らかな髪が首筋から頬をくすぐる感触に、ジルは低く笑う。
馬車が着くまであと少し。
かすかに聞こえてきたリゼルの寝息を聞きながら、ジルは今夜はゆっくり寝かせてやろうと思うのだ。