セックスで愛を計るな。 一緒に暮らそうと言われたのはその日のうちだった。「少しでも長く貴方と居たい」と言われて喜ばない訳がない。どちらかの家で暮らすのも良いと思ったが、お互い独り身の物件だったので、すぐに不動産を探すことにした。男二人で暮らせる物件は見つかりにくかったが、二人で選んだ物件というだけで苦労さえも喜びに変わるようだった。
一緒に暮らすにあたって、月島とはいくつか約束事をした。例えば、互いに我慢しないこと。なにか要求があればきちんと言葉に出そうと決めた。それに伴って、一人で抱えないということも約束させられた。「鯉登さんはちょっと考えすぎる節があります」と言われてしまって、反論が出来なかった。
「じゃあ言うが、ベッドは一つが良い」
「いいですよ」
「いいのか!?」
「? 何か問題が?」
いやその、と、口ごもる私に、月島は「ちゃんと言う」と子供に叱るような口調で言った。
「月島がしたくなったりしたら、我慢させるみたいで」
しどろもどろになる私に、彼は呆れたような声を出した。
「そんなに我慢がないように見えます?」
「だってどんな事が性欲に繋がるか知らんもん」
「はぁー……なるほど」
今度は呆れではなく感心の声だった。
「まあそこらへんは追々考えていきましょう。とりあえず今は私、貴方をべろべろに甘やかしてあげたいんで」
しれっと言われて、私の方が恥ずかしくなった。こんな自分が愛されることは、生涯ないだろうと思っていた上に、好いた相手からの愛情を向けられて、ときめかないわけがない。多分この胸の昂りを人は性欲に移行させるのだろうが、残念ながらその機能が備わっていない私は、昂りが涙に変換させられるらしい。感涙とは少し違うかもしれないが、嬉しくて、幸せで、涙が零れてくる。黙った私の顔を見て、ぎょっとした月島は、
「どうしました? なにかダメでした?」
と、慌てて私に駆け寄ってきた。私は声を上げて笑って「嬉しいだけだ」と答えた。
新居は、2LDKで、一部屋は寝室にして、もう一部屋は物置兼空き部屋にした。
「一人になれる部屋がないといけないって聞いたんで」と、どこから仕入れてきたかわからない情報を頑なに譲らなかったのは月島だった。まあ確かにいろいろと必要だろうな、と、少し下世話な事を想像してしまった私は非道い恋人だろうか。
引っ越して一日目。段ボールの山から生活に必要最低限の荷物だけ出し、近くのスーパーに買い物に行った。夕食と朝食の分を適当に買って、酒も少々。引っ越しの挨拶なんてしなくてもいいだろうという私とは反対に、月島は「今後のためにも一応」と、隣人への手土産も買っていた。家に帰ってから月島は早速隣人への挨拶に行ったが、私は行かなかった。ご近所付き合いは月島に任せよう。甘やかされていることに胡座をかいている自覚はあったが、今は存分に甘やかして貰おうと思った。
私の家から持ってきたダイニングテーブルで夕食を終え、新しいソファをおいたリビングでのんびりする。
「明日は荷ほどきが終わったらこの辺りの店に食べに来ましょうか」
「賛成だ!」
「終わったら、ですよ」
「私の荷物が多いと言いたいんだろう? あれは嵩張っているだけで量はそんなにないからな」
「じゃあ私の手伝いはいりませんね?」
「んんん……ちょっと手伝って欲しい」
「いいですよ」
柔らかく笑った月島は、本当に私に甘いと思う。このまま甘やかされているとダメ人間になってしまうかもしれない。それにあんまり貰ってばかりだと、少しお返ししたいと思ってしまう。お返しというのはおかしいかとは思ったが、ちゃんと言葉にすると約束したので、考えていたことを口に出してみる。
「なあ月島、その、なんだ、これから一緒に暮らしてくだろ? だから、こう……月島が……シたいなと思ったら、ちょっとは協力、する。というか、協力させて、欲しい」
呆れただろうか、と、月島の顔を見ると、彼はみたことのない顔をしていた。
◆
鯉登さんには昔から驚かされたり、振り回されているがここまで自分の頭を回転させたのは初めてだった。突然言われたことへの処理が追いつかず、間が開いた。
「あっ、月島がいやなら」
「嫌じゃないです」
思わず彼の言葉を遮った。
「鯉登さんは嫌じゃないんですか」
「嫌じゃない。これは本当だ。前も言ったが性行為に嫌悪感があるとかではないんだ……でも気持ちいいとかそういうのはないからな? それだけ分かっておいてくれれば……」
「今ちょっとぎゅってしてもいいですか」
「うん?」
私が手を広げると、彼は頭に疑問符を浮かべたまま静かに寄ってきて、私の腕の中に収まった。この愛しい人をどうしてくれよう、と、ぎゅうと抱きしめる。良い香りがする。彼の匂いだ。
「あんな、もしおいが抱きしめたくなったら、抱きしめても良いか?」
「もちろん。喜んで。私には許可なんていりませんから、いつでもどうぞ」
「寝るときでもいいか?」
「ええ」
腕の中で彼がもぞもぞと動いて顔をあげた。顔が至近距離にある。こういう時に自然とキスをする流れになるんだろうな、と、思っていると頬に柔らかい感覚があった。
「……これくらいなら、できる」
恥ずかしそうに目を反らした彼の顔は、なんとなくバツが悪そうな、失敗したというような表情をしていた。愛おしさが込み上げてくる。同時に、彼と触れ合いたいと思う気持ちが欲となって現れた。キスをして、このまま―――。
なるほど、こういう感覚が彼にはないのだろうと自得して、彼の頭を撫でてやる。艶のある髪が指を通る。彼はこういう触れあいは好きらしく、安心したような、ほっとしたような表情になった。
「無理はしなくて良いんですよ」
「でも月島が喜ぶならやりたい」
「貴方ね……」
「我慢させているだろう?」
「そりゃ、まあ、少しは」
その言葉に、彼の顔が一瞬陰ったのを見逃さなかった私は、慌てて話を振る。
「あっ一緒に風呂に入るのはありですか」
「一緒に? 昔も入ったことあるだろう?」
「……ああ確かに」
すっかり今に浸っていて失念していたが、軍に居た頃は一緒に風呂に入ったこともあるし、バーニャもした。鯉登さんが純真なのか、私がやましいのか、いや、多分後者の方が大きいだろうが、下心を口走ってしまったことを少し後悔した。
「あ、今度温泉でも行くか? 月島と旅行行きたい」
私の下心に気づかなかったのか、純に尋ねる彼のその可愛らしさに、愛おしさが溢れる。
「鯉登さん」
「ん?」
「話が戻るんですが……鯉登さんが良ければ今夜……『お願い』をしても、良いですか?」
今、話を遮ってまで言うことではなかったろうか、とは思ったが、彼は満面の笑みを私に向けた。恥じらわれたほうがまだ良かったかもしれない。言った自分の方が恥ずかしくなるのを感じて、敵わない、と目を閉じた。