いつもの目を開けるタイミングを完全に失った。そう思った時には、唇が触れていた。
瞬間、動かなかった自分を誉めてやりたい。
一瞬の出来事だった。
目が覚めたのは、頬に触れられた時だった。その時に目を開ければよかったのだが、完全に寝ぼけていて、まだ夢の中のような心地でいたので目が開かなかった。誰かに輪郭を撫でられている。その誰かは先生しかいない。
何をしているのだろうか。と、うっすら考えているうちに柔らかいものが唇に触れた。
何が触れたのかわからないほど鈍くはない。しかし、目を開けられなかった。
思い出したのは、少し前の話。先生は私に一目惚れしたと言っていた。あれから特に何もなかったので、完全に冗談だと思っていた。まさか本当に一目惚れを?先生が?私に?
ドッと心臓が動いて、首元から顔にかけて血が昇る。緊張か、恥ずかしさか、それとも照れなのか。とにかく急激に熱くなった。その熱に気づかれてしまわないかと、心臓が余計に波打つ。それでも目を開けることができなかったのは、目を開けたら、全てが終わってしまいそうな気がしたからだ。
柔らかいキスは一瞬で終わり、先生はすぐに私から離れた。それでも私は身体を硬直させたまま、起きていることを悟られない様に必死だった。
そのまま何分経っただろうか。いや、ほんの数秒の出来事だったのかもしれない。少し遠くで布団がゴソゴソと動く音がした。先生が布団に戻ったのだろう。それでも私は目を開けられなかった。もしこちらを見ていたらどうしよう。流石にそれはないだろうか?あれやこれやと、考えてしばらく経った。寝たか?いやまだか?もう少しか?と、考えて、たっぷり百八十秒数えて、ゆっくり時間をかけて瞼を上げた。カーテンが閉まった薄暗い部屋が全体的に見えてくる。一度大きく瞬きをして、ベッドを見た。目の前のベッドの上には、人一人分の盛り上がりがあった。顔はこちら側になく、背を向けている。目がわ合わなかった事にホッとしながらも、まだ身体は動かせななかった。先生が布団に入ってから少なくとも三分、いや五分以上は経っている。しかし先生はまだ起きているかもしれない。なぜか私が目覚めているのを気取られたくなかった。
(先生、どうして私に何も言ってくれないのですか。貴方は何を抱えているのですか。私を好きだと言ったのは本当なのですか)
そんなことをしばらく考えつつ、布団を眺め続けた。もう何分経ったろうか、多分もう寝たはずだ。起きていたとしても、いまなら動いても不自然ではないだろう。
私はまず椅子の上で伸びをした。身体とイスがギシギシ鳴った。布団は動かない。先生は本当に眠ったのだろうか?と、ベッドに近づいて顔を覗き込んでみた。先生は目を瞑って規則的な呼吸をしていた。すっかり眠っているようだった。私はほっと息を吐き、ベッドから離れるともう一度身体を伸ばした。
先生の目に、涙の痕を見た気がしたが、それを拭ってやることはできなかった。