ファンタジーパラレルなロビぐだ♂ 第6話次の日の早朝、草の葉を濡らす朝露が乾くより早くロビンは家を発った。
「いってらっしゃい。本当の本当に気を付けてね。」
「はいはい、オレの嫁さんは心配性ですねえ。」
「ロビンにだけは言われたくなーい!」
名残惜しく出発の間際まで戯れ合いを続けはしたが、出立してしまえば歩みに迷いはない。適切なペースで、安全な路を、寄り道せずに。一見迂回路に見えても魔物や獣の気配を避ける方が最終的には早く着く。幸運にも天気に恵まれ、雨による足止めを喰らわず辿り着けた。
この辺りでは唯一の大規模な市場が立つ街はやはり村に比べて賑やかだ。しかし例の噂の所為か、活気ある雰囲気に一筋の物々しさが混じっている。 例えば買い物客と店主のやり取りや、路地の隅で情報交換をしているらしい兵士の姿。緩慢な速度で、けれども確実に忍び寄る不穏さに街全体が備えを始めている。そんな空気を肌で感じた。
だが、魔物の群れが及ぼす影響は負の方面だけではなかった。こんな事態だからか物資、特に質の高い食料や装備品となる革や爪、牙などの素材が高値で取引されていたのだ。おかげでロビンが携えてきた品物は想定よりもずっと多くの儲けを呼び、買い出しは何ら問題なく進んだ。中でも甘味の類をどっさり仕入れられたのは何とも嬉しい誤算だった。
香ばしく煎った胡桃をたっぷりの白砂糖で包んだ菓子は街でしか手に入らない立香の大好物だ。稚さを残す甘やかな顔立ちが、甘いものを口にするとより可愛らしく蕩ける。それを正面から眺めるのがロビンの幸せだった。
◇◆◇
復路は往路と同様に特筆すべき出来事は何も起こらない、順調の一言だった。強いて挙げるなら何かに追われたらしきはぐれ鹿を見かけたことくらいか。中々の肉付きに鏃がうずいたが、解体の手間や荷重による足取りの鈍りを秤にかけて断腸の思いで見逃した。何をおいても優先すべきは少しでも早く帰宅することなのだから。
街を後にして三日。周辺に人家の気配はなく、自然の合間を縫うように土の道がぐねぐねと伸びている。辺りの木々はすっかり色づき、中にはすっかり葉を落とした気の早いものもあった。道の先を仰ぐようにやや視線を上にやれば、たまたま二匹の栗鼠が枝と枝をちょこまかと渡っているのを見つけた。冬支度だろうか、機敏に動き回る姿に口元が緩む。今更小動物を愛でる趣味に目覚めた訳ではなく、番であろう彼らに己が片羽を重ねただけだ。きっと今この瞬間にも何かしらせっせと仕事に勤しんでいるであろう青年を想うとつい口角が上がってしまう。この調子なら陽が落ちる前には約束通り無事に帰れそうだ。家に着いたあかつきには祝福の口付けの一つや二つ強請っても罰は当たるまい。もうひと頑張りだ、と肩に食い込む荷紐を背負い直し、足に力を入れる。獲物を諦めてなお結構な重さだったが、歩みは軽い。花の顏が綻ぶ姿を思い浮かべれば些末なことだ。
歩き続けて数刻、目に映る色が殆ど深緑になってきたのにロビンは知らず知らずほっと息を吐く。二人が住む森に生えている樹木は季節で色を変えない常緑樹が多数を占める。針のような細長い葉の木々が増えてくれば我が家が近付いてきた証拠だ。帰ってきた、という実感が徐々に湧いてくる。
順調だったとはいえ片道三日半の道程、漸く終わりが見えてくるとなれば多少緊張の糸が緩むのも仕方がない。
早く会いたい。早く帰ろう。そう思いロビンは足を速めて───すぐに止めた。
「…………」
ぐるり、と辺りを見渡す。周囲はひっそりとしており、音らしい音と云えば風ぐらいだ。静寂にロビンは眉をひそめる。
────静かすぎる。
いつもならここまで森に踏み込んでいれば、生き物の気配の一つや二つ感じるものだ。特にロビンは狩人であり、“妖精憑き”だ。生物の痕跡や息遣いには敏い。この地域に住む妖精は内向的であまりこちらと関わろうとしないが、それにしたって居なさすぎる。
まるで、ここら一帯から逃げ出したような。
その連想にぞわり、と嫌なものが上皮を撫でる。感じた怖気から逃れようと、ロビンは止めた足を再び、そして先程より速く動かした。どうか、どうか杞憂であれと一心に願いながら。
◇◆◇
「───立、香……?」
辿り着いたのは、惨状だった。
小規模だが整えられ、手塩にかけて育てていた畑。
陽光穏やかな日には二人で茶を楽しんだウッドテラス。
暮らし向きは慎ましやかでも隅々まで幸福に充ちた家。
それらは今や、見る影もない。
庭を耕して作った畑は見るも無残な有様。折角整えた畝は崩され、背の高い薬草は茎が中程から折れて悲しげに頭を垂れている。植え付けをしたばかりの秋撒きの苗は無遠慮に踏み荒らされて虫の息だ。
ウッドテラスには泥や足跡が幾つも残り、手すりや支柱の一部が破壊されていた。先代家主の遺品だった丸太造りのガーデンテーブルは放り投げられたのか、テラスの外に転がっているのが目に入る。
そして我が家たる───それも、自分の帰りを待つ伴侶が居る筈の───建物の扉は、蝶番が捻じ切れて外れかかっていた。
「……っ立香!立香!!」
肩から荷物が滑り落ちる音で我に返る。どさっ、と中身が革袋から毀れ出る音も置き去りにして、ロビンは家へ駆け込んだ。
足を踏み入れ目にしたのは外よりも荒れた室内。テーブルや椅子が引っくり返り、無言のうちに招かれざる来客があったことを知らせている。
「立香、返事をしてくれ!立香!!」
焦燥も空しく呼び声は板壁に跳ね返るのみ。青年の姿は影も形も見当たらない。
「立香……」
呆然と唇から名前が零れる。手足の先から全身の血が抜け落ちていく錯覚。ひたひたと迫り来る喪失に気道を塞がれて呼吸が浅く、速くなる。一人きりの静寂が鼓動をやけに大きく響かせた。
「……畜生……!!」
狂乱一歩手前の衝動に任せて、ロビンは荒らされた我が家を飛び出した。
思考は支離滅裂で、混乱と困惑に埋め尽くされてぐちゃぐちゃだ。それでも一欠片の理性が目的地に舵を切る。最短距離を一直線に、ロビンは森を駆けた。
やがて前方が開けて明るくなる。獣を拒む高い柵、色褪せた軒、暗い色の石壁。目的地である村落の景色を視界に入れ、更に住民の姿があるのに気付いて一気に地を蹴った。一足飛びに問い質す。
「なっ何だ何だお前は!!」
突然掴みかかられた男が戸惑いの声をあげる。何か作業をしていたのか、右手から木槌が落下した。だがそんな些事はロビンの知ったことではない。そのままの勢いで問い質す。
「答えろ!オレが居ない間に何があった!あの人は、立香はどこへ行った!!」
殆ど怒鳴りつけるに近い勢いである。あまりの剣幕に胸倉を掴まれた壮年の村人は目を白黒させた。
「お、お前は、あの村外れの……」
「ああそうだ、森小屋でオレと一緒に住んでた、オタクらに薬を渡してたあの人はどこ行ったんだって訊いてんだ!!」
「し……知らん!ワシは何も知らん!!」
首を激しく横に振る男。泳ぐ視線と過剰な反応はやましいことがあると白状しているようなものだが、揺さぶっても同じ言葉を繰り返すだけでそれ以上は出てこない。舌打ちをして手を離し、何事かと寄ってきた別の村人を捕まえる。
「おい、オタクは知らないか!?一体何が」
「しっ、知らない!何も!!離してくれ!!」
今度は問いかけそのものを遮るように途中で声をあげられる。若い男は腕を振り払い、どこか怯えた目をロビンに向けた。こちらも明らかに様子がおかしい。
視認出来る範囲には他にも何人かの姿がある。騒ぎを聞きつけて一人、また一人と集まってきてさえいた。だがロビンを見ては誰も彼もが首を振るか目を逸らすか、似たような反応を示すのだ。何の手掛かりも得られない焦り、苛立ち。それらが他から何とか情報を得ようと逆に五感を鋭くさせる。改めて周囲に視線を走らせてみれば、村のあちらこちらに異変が見つかった。
そもそも最初に問い質した男は何をしていたのか。ああそうだ、あれは修繕だった。集落の外周にある『害獣』避けの柵を直していたのだ。見れば数人が同じ作業に従事しており、広範囲に渡って破損しているのが分かる。それに村の入口側の家屋には幾つか壁や戸口が不自然に壊れているものがあった。
ここで何かが起きたことは間違いない。立香が居なくなったのと無関係とはとても思えなかった。
「よ、余所者に何があろうと俺達には関係ない!」
「そうだ、その通りだ!」
「帰ってくれ、わしらは何も知らん!!」
誰かが叫んだのを皮切りに村人達が口々に知らぬと言う。中には気まずそうな表情を浮かべる者もいたが、そういう者も結局同じ選択をした人間同士で顔を見合わせ口を噤むだけ。何も語ろうとしないのだ。
「…………ああ、そうですかい。」
ぽつり、と言葉が唇から滑落する。感情の一切を削いだ声音は鋭く、重く。然程の声量でないにも関わらず刺し貫くような響きを含んでいた。
「……それなら、オレにも考えがある。」
このまま立っていても得るものはない。そう悟ったロビンは最後にぞっとするような一瞥を投げると、緑の外套を翻し森へと消えた。
捨て台詞とも取れるその台詞の真意を村の住民が正しく汲み取るのは、その日の晩のこととなる。
◇◆◇
───男は、己が不運を呪った。
名も知らぬ雑草が肌を突き刺す。嘲笑にさえ感じる梟の声。這いつくばわされた地面は夜露に湿り、服越しにもじわじわと冷たさを伝えた。夜の野外に倒れ伏す男は、ただただ混乱と恐怖の中に居た。
どうして自分がこんな目に。自問したところで当然答える者はない。代わりにすっかり酔いの醒めた脳髄が自答しようと今に至るまでの経緯を回想する。
つい数分前まではいつも変わらない日常だった。干し肉と茸のシチューで硬いパンをふやかし、葡萄酒で流し込む夕食。安物の酒はやや酸味がきついが憂き世を忘れてほろ酔いに至るには充分だ。
酒精がすっかり頭にまで回ったところで、男は夜風に当たりたくなった。千鳥足で外に出ると風が上手い具合に赤ら顔を冷ます。酔い醒ましついでに催した男は家の裏に回り、近くの茂みに分け入っていった。
手早く用を足し、さあ戻ろうと踵を返した時。唐突に視界の天地が入れ替わった。強かに体の前面を打ちつけたかと思うとすぐさま背中にのしかかってきた重量に身動きが取れなくなる。顎の痛みに呻きつつ、そこで漸く事態を理解した。引き倒されたのだ、何者かに。
「……まあまあ、そう緊張しなさんな、オタクにちょいと訊きたいことがあるだけですぜ?」
およそ雰囲気にそぐわない、何とも軽薄な声が降る。だが世間話でもしているようなそれの主こそが、今この場を統べる者であることを男は嫌でも理解していた。
蒼白い真円を背負った声の主の表情は窺えない。光の関係もあるが、それ以前に彼が地に俯せる自分の背に跨がっているからだ。
「戦闘狂じゃあるまいし、オレだってこんなやり方好きでやってる訳じゃねーんすわ。……けど、なあ?」
台詞の切れ間に、どす、と短剣が地面へ突き立てられる。ちょうど喉笛に触れるか触れないかの位置。月光を反射する鋭利な鈍色に男は息を呑んだ。
「オタクらが話すつもりがないってんなら、こういう手段も使わざるを得ないんですよねえ。」
気さくな口調に気軽な声音。内容さえ聞かなければ世間話でもしているかのような風情だ。明日の天気を訊ねるが如き気安さで、襲撃者の尋問は続く。
「なあ、さっさと喋ってくれません?これ、気に入ってるんで。無駄に血脂で汚したくないんですよ。」
手入れが大変でして、などと言いながら少しずつ、そして容赦なく、刃をこちら側に傾けた。薄皮に触れただけで痛みと共に赤い珠がぷつりと浮かぶ。
よく砥がれた鉄が文字通り喉元へ迫って来る本能的な恐怖。男は引き攣った悲鳴をあげた。
「ああ、何か言う気になりました?それなら早いとこお願いします。オタクが駄目なら次を見繕わにゃならんもんでね。」
「わ、分かった!話す、話すから……!!」
必死に叫ぶと襲撃者は僅かに刃物の角度を戻した。けれど言い淀めばいとも容易く処刑人の剣に変わるだろうことは想像に難くない。短剣が再び傾く前にと男はもつれる舌で二日前の出来事を明かした。
突然現れた魔物の集団に村が襲われたこと。
連中は言語を解する上位種の魔物で、南で行われた討伐から落ち延びた一団であるらしいこと。
恐れ慄く村に魔物は食糧と憂さを晴らすための奴隷(ニエ)を要求してきたこと。
困り果てるそのうちに、誰となく“名案”を思いついたこと。
「年寄り連中が言ったんだ!!あの『魔女』なら丁度良い、余所者がどうなろうが知ったこっちゃねえって……!!」
絞りだすようにして叫ぶ、あの日の事実。本当は男も賛同した一人だったが、わざわざ己の首を絞めるような真似をするつもりはない。ただこの場を切り抜けたい、死にたくないの一心で洗いざらい喋った。長老が村から僅かばかりの貯えと家畜を差し出し、『そこにあるものは好きにしていい』と村外れの家の場所を教えたことも。
「───そうですか。」
数拍置いて返ってきたのはぞっとする程軽い声だった。
声音こそ平坦だが、そこからは何の感情も読み取れない。あるのは寒々しい空白。意図や意思、そういったものを全て削ぎ落した、或いは覆い隠したが故の薄ら寒さだ。
「な、なあ、もういいだろ……全部話したからさあ……!」
どこに獣の尾があるのか分からぬ状態で必死に男は解放を乞う。ほんの少し前のことが夢だったように回っていた酔いは抜け、今や怖気で歯の根も合わない。一刻でも早くその物騒なものを遠ざけてくれと祈る思いで見つめていると。
「ええ、もう結構です。おかげさまでよく分かりましたよ。」
そんな言葉が聞こえ、すぐ真横で睨みを利かせていた短剣が引き抜かれた。視界から消える凶刃。ひとまずはほっと息を吐く。
目に見える脅威がなくなったことで気分の重石が僅かとはいえ軽くなった。あとは実際の重量もなくなればと顔を上げようとして───
───横顔を地面に叩きつけられた。
「っあ、が……!」
米神に響く衝撃。頬骨が軋んで悲鳴をあげる。脳髄まで揺らされて瞬間的に吐き気さえ催した。
眩暈でぐらぐらと回る視界。唯一自由になる眼球を可能な限り端に動かして何とか状況把握に努める。
見上げた先には。
「…………ええ、本当に。よーく分かりました。」
どこまでも冷淡に“獲物”を見下ろす、“狩人”がいた。
先程とはうってかわった地を這うが如き声音。そのくせ語調は変わらず柔らかいのが逆に恐ろしい。
ああ、虎の尾を踏んでしまったのだと。気付いた男が慄きもがいても手遅れだった。その間も頭を押さえつける左手は緩むことがなく、むしろ力が増している。ミシミシと顎関節が立てる悍ましい音に苦痛と恐怖が走った。
逃げようとのたうつ男に狩人は月光よりも冷ややかな視線を向ける。鋭利な眼差しは彼が空いた手に持つ短剣にも似ていた。
「…………オタクらを生かしとく理由がないことが。」
かざされた刃が月夜に燦めく。白刃は一縷の躊躇いもなく真っ直ぐこちらへ振り下ろされて。
「ぎゃああああああああ!!!!!」
それきり意識は暗転した。
◇◆◇
「……まあ、わざわざ殺す価値もねえが。」
吐き捨てる言葉にはたっぷりと忌々しさを含ませて。ロビンは再び地面に突き立てた短剣を引き抜いた。白刃に付着した土汚れをさっと拭い、鞘に納める。不意に悪臭が鼻を衝き、見れば敷物にしていたそれが失禁していた。無様さに顔を歪める。
見苦しい豚、否、比類するのは家畜にさえ失礼だろう。
「……オタクらになんざ、かける手間も時間も一秒だって勿体ねえんだよ。」
憎悪と軽蔑、そういったものを一瞥と共に投げつけたロビンはそれきり男に背を向けた。勝手に気絶しただけだ、暫くすれば目を覚ますことだろう。それよりももっと優先すべきことが自分にはある。
「立香…………」
囚われの身となった伴侶の名を呟く。今こうしている間にも彼は苦しんでいるかもしれない。そう考えると堪らなかった。何にも立香を損なわせたくない、守りたいと願ったから、あの手を取って攫ったのに。
それがどうだ、この体たらくは。守るどころか危機に居合わせることすら出来なかった。間に合わなかった。己の無力さに恥じ入るばかりだ。
けれど、まだやるべきことがある。時計を巻き戻すことは出来ずとも、これからの時間を取り返すことは不可能でない筈だから。
「……絶対に助ける。」
夜の森に誓いが溶ける。標的を探し出して追跡し、捕らえる。それは狩人の領分領分だ。ロビンは今程己が職業を利に思ったことはない。
決意を隠すように外套のフードを目深に被る。腹の底で煮え滾る激情を露わにするのは、獲物を捌く時だけで充分なのだ。