ロビぐだ♂ファンタジーパラレル8話一日と半分を費やした下調べで、分かったことが幾つかある。
まずは集団が住まう根城にも関わらず見張りの類を全く置いていないこと。本陣の守りについては件の術式に胡坐をかいているようで、警備らしい警備は一切されていない。襲撃されることを全く視野に入れていないのか、奪ってきたのだろう品々で毎晩の如く酒盛りを開いているようだ。
それから建築自体にも利用出来そうな特徴があった。秘匿を第一に造られたせいか窓や入口が最低限しか設けられていないのだ。また雨と縁遠い土地柄に建つ為、水源を寺院内部にある井戸一つに頼っている。魔物達の棲み処は魔術さえ解けてしまえば、何もかもがロビンには好都合だった。
───そう、毒を撒くにはうってつけだ。
◇◆◇
───その夜、かつての寺院は突如として狂乱の坩堝と化した。
「……は……っ、……はぁ……!」
踏みつけられた砂埃が悲鳴をあげる。蹴り飛ばされた何かの破片がぶつかって砕ける。苦悶の形相で異形の者がのたうち回る。夜な夜な強奪品で宴を催していた悪徳の塒は、今や吐き気が込み上がる程に濃密な死臭で満ちていた。
見苦しい惨状、耳障りな叫喚、纏わりつく悪臭、どれもこれもが不快感を引き起こす。芋虫のように床を這う連中には一瞥もくれることなく、ロビンは息を切らしながら建物の中を走った。
王を名乗った妖精が寄越したものの効果に偽りはなかった。虫の巣穴に水を流すが如く円滑に広がっていく“死”。飲み水に、或いは空気に混じった毒塵を取り込んだ魔物達は、何が起こったかを理解する間もなく次々と地に倒れ伏した。
ロビンが足を踏み入れた時には既に殆どが骸か瀕死で悶える肉塊となっていた。幾らかは残っていた死にぞこないも、鉢合わせ次第躊躇いなくとどめを刺し屍に変える。血だまりを踏んだ弾みで飛沫が靴を濡らしたがまるで気にならない。とにもかくにもたった一人の姿を求めて探し回る。
そうして真っ赤な足跡を残しながら進んだ先に──────ようやく、ロビンは彼を見つけた。
そこは陽の光の差し込まない地下。壁掛けの燭台だけが光源の薄暗い空間だった。こもった空気は生臭く、悪辣な環境であるのが一目で分かる。上階の喧騒は遠く、荒くなった己の呼吸音だけがいやに耳についた。
元は保管庫か何かだったのを牢獄に作り替えたのだろう、並んでいるのは扉ではなく粗雑な造りの格子戸である。その最奥に、この半年間求めてやまない姿があった。
ロビンの唇が自然に戦慄く。
「………立、香………」
然程の声量ではなかったが、それでもどうにか届いたらしい。牢屋の中の人影がゆっくりと身を起こしてこちらを見た。
漸く再会した最愛の人は、何とも酷い様相だった。
纏っている服は引き裂かれ、擦り切れて襤褸布同然。片方の足首には枷さえはまっている。乱れた髪は艶を失い、薄汚れた身体はやつれているのに腹の辺りだけが奇妙に膨れていた。悲惨な有様はどんな扱いを受けてきたのか察するに余りある。
だがそれでも───それでも、生きている。
立香が生きて、目の前に居る。視界の端が僅かに滲んだ。
「…………ろ、びん…………?」
ひび割れた声が己の名前を呼んだのだと、実感するのに数秒かかった。最後に聞いたそれより掠れていても聞き間違えるはずがない。
「っ、待ってろ!今開ける……!」
堪らなくなり、ロビンはナイフを取り出して錠前に捻じ込んだ。乱暴に鍵を破壊し、緩んだところを蹴り開ける。耳障りな音を立てて地に落ちる錠。役目を終えた短剣を放り出し、青年に駆け寄った。
「立香!立香、立香……!」
呆けているのか半身を起こしたまま動かない彼を、強く、強く抱きしめる。痩せた身体は抱き心地が悪く、寄せた鼻先には饐えた匂いが届いた。だがそれが何だというのか。生きて抱き締められること、それが叫び出しそうな程嬉しかった。
「……夢、じゃない?ほんとに、ほんとに、ロビン……?」
「ああ、ああ!そうです、アンタのロビンだ。待たせて悪かった。守れなくて悪かった。けど、もう大丈夫です。迎えに来ました。帰ろう、一緒に……!」
次から次に湧き出ずる情動に思考が圧迫されて巧く言語が扱えない。戸惑う声音の問いかけには絞り出すようにして答えた。
奪われた時間は戻らない。苦しんだ事実も抱いた憎悪も消せはしない。ロビンにも立香にも残る傷痕は深いだろう。だが、二人でいられさえするのなら。たとえ他の何を失おうと生きていける。いつか必ず笑いあう幸福を再び取り戻せる筈だ。否、取り戻せると、ロビンは固く信じている。
だって、抱き締めた体温は今でも何一つ変わらないのだから。
「……足の、壊すぜ。動かないでくれよ。」
一旦抱擁を解いて、投げ捨てていたナイフを拾う。繋がる鎖は鉄のようだが足枷自体は木製だ。やり方によっては力ずくで壊せる。継ぎ目に何度も刃先を振り下ろし、こじ開けていった。
立香は己を捕らえていた枷が緩んでいくのを硝子玉のような瞳でじっと見つめていたが、途中でひび割れた唇を動かす。
「……ずっと、探してくれてたの?」
「当たり前、だろ!」
「……そっか。」
嬉しさをほのかに声音へ滲ませ、そっかぁ、と彼はもう一度繰り返した。返答を噛み締めているともとれるそれにぐっと胸が詰まる。一刻も早く解放してやらねば、とロビンは切っ先を殆ど叩きつける勢いで振り下ろした。
果たして、男の一撃に耐えきれなくなった足枷が軋んだ音を立てて外れた。
「……開いた!これで……!」
からん、と転がるがらくた。囚われの象徴が如き物体を視界に入れるのも忌々しく、ロビンは乱雑に隅へ払い除けた。蹴飛ばされたそれの行く末も見ずに立ち上がり、青年へ手を差し出す。
「立香、歩けるか?無理そうならオレが抱えてきますが……さあ、こっちへ。」
「……うん……」
ロビンからすれば当然の仕草だったが、立香はまるでひどく眩しいものを前にしているかのように目を細めた。そうして幾分か薄くなった唇に弧を描かせ、伴侶から伸べられた手のひらに自らのそれを重ねる。
腕を支えに腰を上げた青年の足は、筋肉が落ちたせいか以前に比べて膝小僧が目立った。だが幸いにも歩行に支障はないらしい。襤褸布から伸びる両足を痛々しく思いながらもロビンは少しだけ胸を撫で下ろす。それに気付いたのか立香は小さく笑うと、不意に俯いた。伸びた前髪が顔にかかって影を落とす。
「……助けに来てくれてありがとう、ロビン。また会えて嬉しい……本当に。」
「そんなの……当然だろう。オレだって、どんなに会いたかったことか……!」
ぽつりと落ちた呟き。表情を窺わせないまま吐露された心情は、その分強くロビンの心臓を打った。片羽との再会を改めて実感する。どんな難事が降りかかろうと愛しさは変わらない。感極まって再び抱き締めようとして───それより早く、こちらに掴まっていた指がするりと離れた。
そうして彼は、何故か距離を取るように一歩退く。
「…………立、香?」
戸惑うロビンが名を呼ぶも、首を横に振るだけ。一度作った距離を縮めようとはしない。思わず足を踏み出せば向こうも同じだけ後退する。理解出来ずに見やれば彼もまた眉を下げていた。たかだか数歩分、それでも触れるには足りない遠さの先で、青年がわらう。
「ごめんね。俺、もう帰れないや。」
不可解な言葉、不可解な動作。
何よりいびつなそれに、背筋が総毛立った。
「───────っ、!!」
これは、駄目だ。
理由も根拠もないのにそう直感する。本能的な確信を後押しするようにうなじから圧しかかる悪寒。何がこんなにも恐ろしいのか分からないのに、警報染みた拍動が『これ以上は戻れなくなる』と鳴り響く。
今すぐ耳か、さもなくば彼の口を塞いでしまいたかった。次の言葉を聞いてしまえば最後だ。もたらされる変化は不可逆で、誰にとっても望まれないものである。それは荒唐無稽なただの予感のくせに、あまりに生々しくて無視出来ない。けれども遮る前に、あのね、と立香は唇を開いて。
「───ココにね、赤ん坊が居るんだって。」
耳を疑う、言葉を吐いた。
「……な、にを、言って……」
何を言われたか本気で分からない。否、理解することを無意識下で拒否していた。
もつれる舌、震える声で紡がれる問いかけは白々しい。薄っぺらのそれがはたして届いたのかどうか。判断しかねるのは立香の面差しが凍りついているからだ。先程見せた、粗悪な模造品に似た笑みらしきものすら見当たらない。一切の色を顔面から削ぎ落とした青年は、虚ろな瞳で己の膨れた腹に手を当てた。
「おかしな話だと思わない?俺は男なのに、本当に好きな人とは子供なんか作れないのに、魔物なら出来るんだって。笑いながら押さえ付けられて、何度も犯されて、注がれた。毎日毎日その繰り返し。丁寧に丹念に執拗にこころをすり潰されて、体は玩ばれた。その結果がこれだよ。俺は、化け物を孕んだんだ。」
淡々とした口調。鼓膜を覆いたくなる内容を語る彼の表情は陶器か何かで出来た人形のようだ。森で語り合ったあの日、あれだけ柔らかく胸を満たした声音も、今はただただ、何もかも枯れ果てたような響きで。
嗚呼、何故気づかなかったのか。ロビンは自問する。壁にかかった蠟燭のみが光源の空間では灯りに乏しく、細部を見通すには足りなかった。否、そんなことは理由にはならない。他ならぬ自分は真っ先に気付かねばならなかった。
天穹の貴さと一等星の煌めきを宿す瞳。何よりも愛しく、守りたいと願ったもの。
あんなに澄んでいた蒼が──────今は酷く澱み、曇っていることに。
喉が渇いて舌が貼りつく。言葉一つ出てこない。頭痛が、眩暈が、耳鳴りがする。自分が真っ直ぐ立てているかどうかすら曖昧で。あらゆる思考の奔流に舵を奪われ、微動だに出来なかった。
「……目が覚めるたびに絶望して、内臓に棲みついた生き物のうごめきに怯えて。つらくて、苦しくて、みじめで、今にも気がふれそうだったけど……ロビンが俺の支えだった。ロビンに会いたい。いっそ幻覚でも夢でもいいから、もう一度。それだけが俺の正気を留める光だった。だから、来てくれて本当に嬉しかった。嬉しかったんだよ……」
呼吸以外の全てを忘れたロビンの目の前で、立香が何か落ちているものを拾い上げる。処理速度が極端に落ちているせいで何もかもが遠い。客席から舞台を眺めるような錯覚。彼が手にしたものの判別にすら時間を要した。足枷をこじ開けるのに使った短剣だ。ああそういえば、あれは元々、二人の記念日に立香がくれた──────
「ごめんね、今から酷いことを言います。どうか許して。それから……出来れば、忘れて欲しい。俺のことなんて。」
蒼い眼に一粒涙が浮かぶ。それはみるみるうちに膨らみ、雫となって土に塗れた頬を流れた。けれども青年はかつてのように顔を綻ばせる。
それはどこまでもロビンが愛したあの笑顔で。
幸福そのものの記憶が目に映る現実に重なる。その刹那が、致命的だった。
「……お願いだから、幸せになってね。俺の、素敵な───大切な、駒鳥さん。」
あいしてる。
穏やかに微笑みながら、立香は刃を頸に滑らせた。
一瞬は永劫の如く。
奔る鮮血。傾いでいく痩身。頽れる青年の微笑を赤い飛沫が彩った。生温かい液体が飛び散りロビンの頬に付着する。ぐしゃ、と肉塊が地に落ちる音。引き裂かれた管から血液が、命が、零れて溢れて流れ出て、そして。
──────そこからの記憶は、曖昧だ。
気が付くとロビンは燃える寺院の前で佇んでいた。
夜明け前の一等昏い空を炎が舐める。爆ぜて散った火の粉は星に届かず闇に消えた。不浄の城が焼ける悪臭と共に熱風が吹きつけたが、不思議と乾きは感じない。その程度で浚える浅さではなかったし、同時にもうどうすることも出来ない程涸れ果ててもいた。
腕には首元を赤黒く汚した屍。傷口はこんなに赤いのに、閉ざされた唇は悲しいまでに青白い。生命を循環す液体が殆ど抜けてしまったせいだ。触れている身体だって、こうも冷たくはなかった筈なのに。
彼はもう二度と囀ずってはくれない。色を失くした唇をやるせない思いで見つめた。
「……かえら、ねえと。」
いつまでの間、そうして寝顔を眺めていただろうか。東の空に光が滲み始める頃になって、ぽつりと呟きが口から零れ落ちた。考えて発したものというよりも無意識の産物に近い。けれど当然の帰結だった。最愛の彼を取り戻すこと。それが、それだけが、望みだったのだから。
物言わぬ伴侶を抱きかかえ、ロビンはふらふらと歩き出す。亡骸を連れた男の虚ろな足取りを、天に向かって逆巻く炎だけが見送っていた。