はちみつよりも少し甘い 吹き抜ける夜風に目を細めて、ロナルドは乱れた銀髪を撫で付けた。
眼下に広がるビルの谷間に視線を這わせ、「どこだ……?」と、呟く。
夜と同じ色の漆黒のマントを風にはためかせながら地上を見渡し、目を凝らした。月明かりも人工の明かりも届かない暗闇に向かって、その隅々まで見逃すまいと気配を探っていると、ある路地の奥に蠢く影を見つけ、青い瞳がきらりと輝く。
「いた!」
一声叫ぶと同時にトン、と軽くビルの屋上を蹴って宙に身を投げ出す。ひゅうひゅうと風を切り裂いて落下しながら、四肢にざわざわと銀色の獣毛が生え、肉体の形が変形して行く。口元の牙はますます大きく尖り、頭には獣の耳が生え、腰からにょっきりと尻尾がつき出す。地面に降りるまでの一瞬の間に、ロナルドは一匹の狼に変身していた。
難なく地面に降り立ち、ふん、と鼻を鳴らして、一目散に駆け始める。闇がざわめいていた方を目指すうち、その鼻が濃い血の臭いを嗅ぎ取った。やがて見据える先に、巨大な影が動いているのを見て、スピードを上げる。様々な生物の肉塊を繋ぎ合わせたような醜悪な姿に、ロナルドの鼻に皺が寄る。脚に力を込め、一気に飛びかかった。
口を大きく開けて、首らしき場所に牙を突き立てる。濁った悲鳴を上げながら、身をよじってロナルドを振り落とそうと暴れるそれに、爪を突き立てて踏ん張る。顎に力を入れると、ごきんと嫌な音がした。傷口から噴出した体液がロナルドの銀色の毛皮を汚して行く。名状しがたい悲鳴を上げながら体を振り回し、ビルの壁に自らの肉体を叩きつけながら吸血鬼が暴れる。壁と吸血鬼の間に挟まれそうになり、やむなく口を離して一旦距離を取ったが、すぐさま体勢を整えて飛びかかった。その際に路地裏に置いてあったゴミ箱を弾き飛ばしたが、そんな事は気にしていられない。再びがっぷりと噛みつきながら、さらに牙を食い込ませる。大暴れする内にビルのガラスが割れ、街灯が折れて地面に倒れた。
やがて動きが鈍くなり、ずずんと大きな音を立てて吸血鬼が倒れる。弱々しい悲鳴を一つ上げ、ザラザラと体が崩れ始めたのを見て、ロナルドはようやく牙を外した。吸血鬼の姿に戻って、うーんと伸びをする。よし!と頷いて叫んだ。
「一件落着!」
「ロナルド君!!」
背後からバタバタと足音が響き、声をかけられて振り向くと、そこにはぜいぜいと肩で息をし、滝のように流れる汗を拭う痩せぎすの男が立っていた。白を基調とした制服をカッチリと着込み、やや尖った耳と、普通の人間よりは発達した牙が口元から覗いている。制服の胸元には、所属を示すバッヂが付いていた。
「ドラルク!!」
振り向いたロナルドの頬が薔薇色に輝く。満面に笑みを浮かべ、両手を広げて抱きついた。
「ドラ公! 見て! 俺が退治したんだぜ!」
「そう……みたい、だね……」
うきうきと話すロナルドとは対照的に、ドラルクは頬を引きつらせて、げんなりと言った。
「はぁ、また派手にやったねぇ」
ゴミを散乱しきったゴミ箱、割れたガラス窓、折れて倒れた街灯。とどめに、頭から体液を被り、ドロドロになってにこにこ微笑むロナルドと、そのロナルドに抱きつかれてドロドロになったドラルク。
「吸血鬼を退治する時は極力周りに被害を出さないようにって言ったよね」
「え、あ、う……」
言われて途端にロナルドがぎくりと体をこわばらせる。 目をうろうろと泳がせ、えーとかあーとか呻いた挙句、大きな体を縮こまらせて、聞こえないような小さな声でごめんなさい、と呟いた。
「まぁ、そこそこ強敵だったみたいだし仕方ないかな。うーん、とにかく……」
ドラルクは、辺りを見回し、はぁ、とため息をついて肩をすくめ、苦笑いを浮かべて言った。
「報告を済ませたら、お風呂、入ろっか」