雨の午後きょうは、雨。
荘園にも雨が降ることがある。ゲームは雨天中止。
謝必安はいつにも増して機嫌が悪かった。
『必安、交代しようか』
「いいえ、まだ平気ですよ。疲れたらお願いしますね」
雨天の日の謝必安は大抵調子が悪そうだがあまり范無咎と交代したがらない。
ゲームが無いと言うのに傘から絶対に手を離さないで、部屋にこもってじっとしている。こういう時に限って、暇を持て余したサバイバー達や退屈したマリーやルキノが訪ねてくれば良いのに、と范無咎は思う。
ただ雨音を聞いているだけの1日は長い。
傘に宿る相棒の声なき声を互いに聞いてやり取りが出来る分、なんとなく、言葉にしない部分も普段は感じ取れることが多いが、雨の日の謝必安が何を考えているのか范無咎にはわからないことが多かった。
泣いている時の方がまだわかる。そういうわけでもなく、ただ傘を握りしめてぼんやりしている日はどんな心持ちでいるのか。
先日のゲームで勝った時のこと。負けたときのこと。食堂での出来事。季節マップのこと。思い付いたことをぽつりぽつりと謝必安に話しかけてみるが、そうですね、と力なく笑うだけだった。
こんなに近くに居るのに、范無咎には謝必安を抱き締めてやることも出来ない。
その時、コンコン、と控えめなノックの音がした。
「白無常、居るんだろう」
「…ジョゼフさん」
「お茶にしないか」
「きょうは…ちょっと…」
「黒無常がくれたお茶があるんだ」
「…無咎が?」
無咎、貴方がジョゼフさんに?謝必安は傘を撫でる。范無咎はあまり他のハンターと関わりたがらないし、多少酒の席を共にすることはあるようだが、お茶を?
『たまたま、写真家が居たんだ』
たまたま?
范無咎がジョゼフと?謝必安はその時のやりとりが気になったし、一体何を范無咎がジョゼフに渡したのか気になった。緩慢な動作で立ち上がって、ゆっくりと戸を開ける。
「日本茶だか中国茶だかしらないが、私は見慣れないもので、白無常なら淹れ方を知っているんじゃないかと思って」
ジョゼフが手にした茶筒は日本茶のものに見える。
「…それは、たぶん日本茶だと思うんですけど。美智子さんの方が詳しいんじゃないですか」
「美智子やマリーたちはサバイバーの居館に出掛けてしまった」
じゃあ、ハンターの居館は比較的すいているのか。ジョゼフを相手にするくらいなら良いか、と謝必安はティータイムにすることにした。
「私もあまり日本茶は慣れないんですけど、たしか少し温度が低めの方が美味しいんだと思います」
「助かったよ」
ジョゼフもあまり他者と関わるのを好まないが、退屈はもっと嫌いで、誰かひとりを連れ出してゆっくりお茶を…大抵はその相手に淹れさせることが多い。
食堂から少し離れた中庭に面した小さな部屋が空いていたのでそこに陣取った。
「…無咎がこれをジョゼフさんに?」
ティーカップの方が扱いやすいというジョゼフにあわせて、カップをソーサーに乗せて用意した。淡い翡翠色が白いティーカップに揺れる。
「ナイチンゲールに適当にお茶を頼んだら、知らないものまであったと言って、わけてくれたんだよ。その時紅茶もいくつか貰った」
「…そういえば最近、そんなことがありました。お茶をたくさん持ち帰ってきて、頼んでみるもんだ、と喜んでいました」
ハンターの体に食事は要らない。飢えも乾きもない。無いが、口にすれば味はする。香りの良いお茶は荘園生活で思った以上に慰めになっていた。
「…それで、これを飲むときは、雨の日に白無常を誘うようにと」
謝必安の握った傘がカタリと震える。
「…私に言うな、って言われたんじゃないですか?」
「そんなことは知ったことじゃない。こうして白無常を連れ出したんだから充分約束は守った」
「…すみません、お気を遣わせて」
「別に私が白を気遣ったわけじゃない。緑茶を淹れられる者が必要だったんだ」
ジョゼフの言葉は本心だろう。それがかえって謝必安には良かった。
「…こんな日に部屋に閉じ籠っても良いことはないぞ」
「別に良くても悪くても構いませんよ」
「まあそうだな…」
こういう時、謝必安はジョゼフと喋りやすかった。お互いにあまり関心は無いが、同じくらいの常識を持ち合わせていて、…同じくらい荘園生活に疲れていた。
「日本茶、こんな天気の日には良いな。なんだか爽やかでさっぱりする」
「ええ、色も綺麗ですしね」
気がつくと雨の降る中庭が随分明るくなってきている。ジョゼフのカップも謝必安のカップも空になっていた。
「おかわり淹れますか?」
「そうだな、頼むよ」
自分は一歩も動く気がないジョゼフを置いて席を立つ。キッチンでお湯をわかし直して、ポットにそそぎ、また部屋に戻る頃にはちょうど良く茶葉が蒸らされていた。
「おまたせしました」
ゆっくりとカップにそそぐと淡い色の液体がほのかに光を反射する。
中庭の植物の葉に乗った雨の雫がきらきらと光っている。
いつの間にか雨は上がっていた。
「…無咎、有難う。貴方も一杯どうぞ」
ぎゅ、と一度強く傘を抱き締めてから、謝必安はその傘を開く。傘の中だけに雨が降ると、次には范無咎がそこに立っていた。
「へぇ、諸行無常とやら、初めて近くで見たよ」
「…うるさい」
「美しいね」
「…うるさいんだよ」
「せっかくのお茶が冷めないうちにどうぞ?」
「お前が淹れたみたいに言うな」
ジョゼフに茶化されながら席についた范無咎は傘を撫でていただきます、と挨拶をしてからティーカップに口をつける。
明るい色のお茶はふんわりと柔らかで清々しい香りがした。
「…うまいな」
「そうだねぇ、白無常が淹れたからねぇ」
「お前に淹れさせなくて正解だったな。ワインを注ぐくらいしか出来ないんだろう」
「自分でする必要がないからね」
傘の中で謝必安が笑っている気配がする。
「…写真家」
「なに」
「感謝するよ」
素直な范無咎の言葉にジョゼフは少し驚いて目を見開く。
「…さっきも白に言ったが、私はこのお茶を淹れる者が必要だっただけだよ」
「そうか。それでも、…ありがとう」
少しうつむきがちに、それでもはっきりと范無咎はもう一度言葉にした。
「私も、美味しいお茶が飲めて良かったよ」
雨はすっかり止んでいた。
傾いた日が照らす中庭はまるで穢れを流し去って清々しい希望が充ちているようだった。
「…雨上がりが、綺麗だ、必安」
ええ、そうですね、と范無咎のすぐ近くで声がする。