未だ雌伏の時か、目覚めはまだか「寮長になるにはどうしたらいいか、だって?」
リドルはぱちり、とまばたきをするとエースの目を見た。
「なんだい?又僕と決闘をしたいの?」
出会った頃は頑なで張り詰めていた雰囲気もあの事件の後から徐々に柔らかくなり、今ではすっかり風格も身に付いたハーツラビュルの女王は薄く微笑んだ。
「や、そういう訳じゃ無くて…。」
入学したばかりのあの頃ならいざ知らず、今となってはリドルにかないっこない位のことはわかるようになった。なんならあの頃よりも差は広がっているかもしれない。
ただでさえ一年の差があるのに、学年主席を保持するリドルと、中間位をどうにか維持しているエースでは差が広がっていって当然なのだ。年齢というハンデをものともせず、寮長の座を奪い取ったリドルの凄さを改めて実感する。
「基本的には」
常になくまごつくエースにリドルは言葉を続けた。
「寮長からの指名、又は決闘で強奪。この二つだ。極稀に学園長が嘴を挟むことがあるようだけど、今のバーツラビュルではあまり関係無いだろう」
つまりは、どちらにしても目の前のこの男に認められないと始まらないのだ。
「寮長は誰を指名をするつもりっすか?」
「気が早いね。そんなに早く引退してほしいのかい?」
「あ、いやっ!違うっす」
慌てるエースとは裏腹に、優雅に紅茶を飲むリドルは本当に堂に入ったものだった。たかが一年されど一年なのか、それとも立場が人を作るのかよくわからないけれど、この寮長が自分とたかだか一年しか違わない、とは思えなかったし、ほんとの本音で言えば、この先ずっと寮長でいてほしいと思っていた。
「まだ具体的に誰、とは決めていないけれど…。そうだね、まずはハートの女王の法律を全て覚えていること。」
いきなりハードルが高い。
ぐう、と唸るとリドルが眉をしかめた。
「まだ覚えきれていないのかい?どうやら首をはねられ足りないようだね」
間も無く学年も上がろうというのに、事あるごとに首をはねられたり、見逃してもらっているのだからこの言葉は尤もである。人間、興味の無いものはいくら言われたって覚えられないのだ。ましてや、あんなヘンテコな法律である。覚える意味がわからない。
表情に出ていたのだろう。リドルが目を伏せながら続ける。
「ハーツラビュルの寮生になったからには仕方の無いことだよ、エース。逃げられるものでもないからね。それに、法律をどう使うかはその寮長によるけれど、使うためには知っていないと話にならないからね。都度調べるでもいいのかもしれないが、揉め事が多いここではいちいち調べていては時間が足りないし、たかだか八百十条くらいなら覚えてしまった方が早いだろう。」
確かに理に叶っている。それに、もし自分は忘れていて後輩に教えられた日には最悪である。威厳も何もあったもんじゃない。
「それから…。きちんとルールを守れることも重要だね。寮長の許可も無く、他寮へ泊まりに行くなど言語道断だよ」
明らかに自分のことを言われていると思った。というか気付いていたのか。
「君の片割れは毎回律儀に申請してくるからね」
面倒くさいとうやむやにしていた過去の自分に苦虫を噛み潰したような気分になる。
「後は成績だったり、魔法の強さだったり、人を纏める力だったり色々あるけれど…」
そこでリドルは一旦区切り、エースの目を真っ直ぐに見た。
「エース・トラッポラ。君は寮長になりたいのかい?」
大きな瞳がエースを射抜く。そこに冗談やからかいは感じられなかった。
「はい、いえ、あの…!なりたいっつーか。」
今日は始終しどろもどろだ。
だって、仕方がない。まだ確定していない未来のことなんて小っ恥ずかしくて口に出せない。あの元ヤンのクセに純粋なクラスメイトとは違うのだ。
「寮内にいると確かに寮長の権限は大きいように見えるかもしれない。けれども、それ以上に求められるものは大きい。雑務も多いしね。寮長会議に各種イベントの実行委員。各寮毎のイベントの運営。寮内の規律を守らせ、寮生の成績の底上げ。クロウリーに突然振られるあれこれ…。数え上げたらキリがない。だから、どうしても、という覚悟がなければとても務まらない。それでも君は寮長という肩書に興味がおありかい?」
答えられなかった。
代わりにもう一つ質問をする。
「なんでリドル寮長はそんな面倒くさいモノをやろうと思ったんですか?」
「僕がこのハーツラビュルで一番優秀だと思ったからだよ。優秀な者が他を導くのは当然のことだからね」
間髪入れず放たれた回答は不遜だが、ひどく納得のいくものだった。
「質問は以上で終わりかい?エース。では、僕はそろそろ失礼するよ。君もあまり長居をし過ぎないようにね」
そう言って自室へ戻るリドルにエースは「あざっした」と挨拶をした。
「やー、寮長いるとやっぱ緊張するな」
リドルが去ってあからさまに空気が緩んだ談話室。話しかけてきたのは同じ一年生の寮生だ。
「お前、よく話しかけにいけるな。しかもピンで。いやー、俺には無理だわ」
「そうか?別に見境なく首はねられるわけじゃ無いし。何がそんなに怖いの?」
「いや、オーラ?」
確かに暴君だったあの頃のイメージは、怖い、というか面倒くさくて厄介だ、というものだけど本質は多分違う。
むしろ幼い。
あの攻撃性の高さは、幼さを隠す為のリドルなりの防御法なのだろう。
怒りのポイントは分かりやすいし、それさえ踏まなければむしろ面倒見のいい先輩だ。純粋な魔法の強さといい、正直憧れるし敵わないと思っている。今は。
兄もそうだったのだろうか。みんなが憧れる寮長。
「気分いいぜ〜。俺がなんか言うとみんな『はい!寮長!』って従うの」
そう言って兄が笑うから、エースはその颯爽とした兄を想像して寮長に憧れた。あの頃はまだ子供で、素直に「俺もハーツラビュルの寮長になる!」なんて高らかに宣言していた。
だから入学した後、首をはねて回るリドルを見て幻滅したのだ。多分誰よりもショックを受け、憤慨したのだと思う。憧れだったハートの女王を汚された、と。
でも、今はわかる。寮長とはそんなに簡単では無いのだ。
その肩に立場とかプレッシャーとか、理想と現実のギャップだとかを載せてそれでも背筋をピンと伸ばして立つ精神力の強さが必要だ。
寮生に好かれるような愛嬌があると尚良い。
そんな難しい立場を、あの兄が全うしたのかとはとても思えない。
でも、まあ、途中で下ろされたって話は聞かなかったから多分そう言うことなんだろう。
「最近寮長が談話室によく来るのは、アレだろ?副寮長探し」
「だよな。トレイ先輩も四年になったら外に行くことも多くなるだろうし、多分引退だよな」
「なんか、ちょっと寂しいな」
「な」
いろんなことが起こりに起こって、駆け足どころか全力疾走してたら、いつの間にか一年が過ぎようとしている。
もう少ししたら後輩ができるし、先輩はいなくなる。寮長はリドルのままだろうが、副寮長は交代するのだろう。最近リドルがちょくちょく談話室に顔を出すのも新しい副寮長を見定めているとの専らの噂だ。
「で?何?エースは副寮長狙ってるの?」
「ん〜」
返す言葉はやっぱり鈍い。明言してしまうことが気恥ずかしいのもそうなのだが、やりたいのかどうか、自分でも判然としない。
「寮長がどうしてもっていうならやってもいいけど〜」
「うわっ。出た、上から目線。何様だよ」
お互い混ぜっ返して笑う。
「だけどさ、マジな話、本気出してみてもいいんじゃね?エースは力があるのに勿体ないなってトレイ先輩に言われてたぜ」
あの食えない顔で笑う副寮長がそんなことを口に出すなんて意外だった。なんとなく、何かを企んでいるように思ってしまうのは穿ち過ぎか。