ジャックは再び宴から逃げ出し、誰もいない中庭で星空を見上げていた。今日は数日前の試合で夕焼けの草原チームが勝利を収めたおかげで、いつにも増して宴に熱が入っている。
どうにか隙をみつけてここに駆け込んだジャックは、意味もなくぼんやりと空に浮かんだ星を眺めていた。そんな時だった。またあの声が聞こえてきたのは。
「今回の主役がなにこんなところで油売ってんだ?」
聞き覚えのある低音にパッと後ろを振り返ると、前回の宴で同じように中庭に避難してきた時に出会った獅子がそこに立っていた。また簡単な装飾品と絹の長衣を身に纏っている。
「ここでなら、またあなたに会えると思って」
本心ではあったが、どこか浮ついた声が口から出ていく。まさかまた会えるなんて。無意識で尻尾が大きく左右に揺れる。
その姿を見た男はフッと息をこぼした。
「なんだ、口説いてるのか?」
「そ、そんなんじゃねぇ!いや、ないっ!です!」
驚いた尻尾がピンと上に伸びて固まると、男はクツクツと喉を揺らして楽しそうに笑った。ジャックはそれを見て更に顔に熱が溜まるのを感じる。
一歩、また一歩と近づいてくる男に、ジャック背筋を正す。
「あの、俺っ、ジャックっていいます。ジャック・ハウル。この国のマジフトチームに所属しています」
「知ってる」
横に立ち並んだその男はジャックより少しだけ背が低かった。真近で見る顔の造形は幼馴染のヴィルと張り合えるほどに美しかった。篝火がその顔に陰影を作る。
「公式戦初出場で得点王。華々しくデビュー戦を飾ったジャック・ハウルがどうしてこんなところをうろついてるんだ?」
「知ってて、くれたんですか」
男が言うように、この宴の前日に行われた試合がジャックの初出場の試合だった。相手チームを翻弄し、魔法を駆使して点を稼いでいたら、気づくとジャックは得点王に輝いていた。
その分、今日はいつにも増して宴で人に囲まれた。去ったと思えばまた一人、また一人と、飲み物を口にする暇もないほどに称賛の声を浴びせられる。
当然これまでの接待でも早々に限界を感じていたジャックがその人の荒波に耐えられるはずもなく、こうして今回も逃げ出してきたのだった。
もちろん、この獅子の男と再び会いたかったことも嘘ではない。
「ちょっと、あまりにも人が多くて疲れちゃって」
皆、ジャックを褒めるために声をかけてくれる。それを考えると、自分がやっていることは、そんな彼らを裏切ることではないのか。そう気づいてしまったジャックは気まずそうに耳と尻尾を項垂らせた。けれど男はあっけらかんとした態度だった。
「少しくらい抜け出したって構いやしねぇさ。息抜きも必要だ」
「……はい」
会ったのも今回が二度目で、会話すらほとんど交わしたことがない相手なのに、何故だかジャックはその言葉に安心感を覚えた。許された、そんな気さえしてくる。
パチパチ、篝火が燃える。二人でいるのに不思議と沈黙が苦ではなかった。火の動きに合わせて男の肌で影が踊る。何とはなしにそれを眺めていたジャックは、男の肌を影以外のものが彩っているのを見つけて、あっと声を上げる。
「どうした?」
「それ、刺青ですか?」
指を差したのは男の首筋だった。そこにはまるで首に絡まるような茨の形をした紋様があった。ジャックの言葉につられて首筋に触れた男の手首にも、同じような紋様が施されている。儀式的なものだろうか。まるで枷にも見えてしまいそうなそれに、ジャックは首を傾げる。
「なんだか蔓みたいですね」
思ったことを口にしたただの感想だったのだが、男はジャックが見つめていた紋様をもう片方の手で隠してしまった。よく見ればそちらにも同じものが刻まれている。
男はパッと身を翻し、ジャックへ背を向けた。
「もう良い時間だ。そろそろ戻るんだな」
「えっ」
驚くジャックを他所に男はそのまま足を前へ踏み出す。
「あっちもそろそろお前がいないことに感づいてる頃だろうさ。期待のルーキー様とおしゃべりしたい奴らはまだわんさかといるだろうしな」
「え、ちょっと……」
追いすがろうと伸ばした手も空しく、男はジャックを置いて中庭から去って行ってしまった。
確かに、少しばかり長居が過ぎてしまったかもしれない。けれどもこれはあまりに唐突すぎる展開だ。もしかしたら。
「嫌なこと聞いちまったのかもな……」
隠した素振りからするとやはりそうなのかもしれない。ジャックは大きくため息を吐く。いつもならば誰が刺青をしていようとなんとも思わないのに、今回はどうしてか気になってしまった。
また、会えるだろうか。ジャックは後ろ髪を引かる思いで、おとなしく会場へと戻っていった。