気がつけば知らない場所に立っていた。辺り一面が故郷の雪景色のように真っ白で、他の色は存在しない、おかしな空間。
「どこだ。ここ……」
記憶は、マジフト大会で箒から放り出され、地面に叩きつけられたところで途切れている。
いったいここはどこなんだ。ジャックは見覚えのない景色にきょろきょろと辺りを見渡す。
しかしこのままここに突っ立っていてもなにも変わらない。とりあえず辺りを探索してみようと、ジャックはどこかも分からない空間に足を踏み出す。
あてどなく、ただ真っすぐに足を進めるジャック。すると突然、目の前にモニターのようなものが現れた。ブォンという音を立てて、画面に映像が流れ始める。
「うおっ!?」
そこに映っていたのは、こちらを見下ろしながら戸惑ったような表情を浮かべたレオナの姿だった。この顔には見覚えがある。たしかあれは二週間ほど前、ジャックがレオナに試合に来て欲しいと跪いて懇願した時のものだ。
すると今度は背後からまたブォンと音が鳴った。そちらに顔を向けると、そこにはラギーと湖に行った時の映像が写っていた。画面に映っている手が持っているものは、あの時に買った雪の石だ。ということは。
「これは、俺の記憶……?」
きっと、いや間違いなく、それはジャックの記憶の断片だった。
ジャックは顔を上げて辺りを見渡す。すると、さっきは色が透けているせいで気づかなかったが、この記憶を映すモニターがあちらこちらにいくつも浮かんでいることに気がついた。
雪の石をレジへ持って行こうとする映像から目を離し、新たに見つけたモニターに近づく。それもやはりジャックが側に寄ると、勝手に電源が入った。電子音と共に画面が映し出される。
そこにはニヤリと口の端を引き上げて笑っているレオナがいた。これは、いつだったか。思い出そうと目を閉じる。
すると記憶の糸はあっという間に引き戻されて、思い出したジャックの尻尾がぶわりと広がった。そうだあれは、またレオナに会えたことが嬉しくてそれを伝えると、口説いているのかとからかわれた時の顔だ。
ジャックは自分の顔に熱がたまるのが分かった。誰もいないのに、とっさに顔を隠して熱くなった首元をぱたぱたとあおぐ。
それからいくつものモニターを見て歩いた。マジフトのプロの世界に入った時のもの。自分の卒業に涙を流して見送ってくれた後輩達。なんだかんだで面倒見が良く、最後まであれこれと世話を焼いてくれていたラギーの卒業式。
懐かしい記憶ばかりだ。
そんな中、どうもおかしな記憶があった。場所は、雪一色の輝石の国。空港でジャックは誰かを待っていて、その人が到着ゲートから出てきた時には一目散に駆け寄っていた。
「───さん、大丈夫ですか?寒くないですか?」
「平気だ」
他の記憶には問題がなかったはずなのに、どうしてかその人物だけは黒で塗りつぶされており、名前の部分もノイズが混ざって聞き取れなかった。どこか聞き覚えがある声のような気はするが、どうも思い出せない。
その次の記憶も同じだった。街中、だろうか。海が近くに見える。そこでジャックは剥き出しの銀色の輪っかをその人に差し出していた。
「なんだ、着けてくれないのか?」
そうして笑っているこの人に、自分は心臓がはちきれそうになりながらもそっと手を取り、右手の薬指にはめた。誰だ。この人は、誰なんだ。
自分はこの人を知っている。それなのに思い出せない。
ジャックが歯がゆい気持ちを抱えながら次の記憶に移ると、そこには頭からイソギンチャクを生やした同級生の姿があった。あの時は監督生に乞われ、一緒にデュース達のために奔走した。海の中まで行って、あれこれ画策していた記憶がある。
そして、次。そこには再び黒塗りで潰されたあの人が、悲痛を滲ませた苦々しい咆哮を上げている姿があった。その映像に、見ているだけなのに胸に締め付けられたように苦しくなった。ジャックは無意識でシャツの胸元を握りしめる。
分からない。思い出せない。ジャックは悔しさのあまり下唇を噛む。それでも黒塗りが消えることはなかった。
それから入学式の記憶があった。憧れのナイトレイブンカレッジ。黒い馬車が迎えに来てくれた時の喜びは永遠に忘れることはないだろう。
そこからはミドルスクールの記憶が続いた。先に進むにつれて、どんどん記憶がさかのぼっていく。家族でスキーをした記憶や、学校の遠足や行事ごと。他愛もない思い出ばかりが続く中、ある一つのモニターで足が止まった。
それはテレビ画面に映ったマジフトの試合映像だった。一人の選手が他の選手を駒のように操り、次々に点数を稼いでいく。画面には砂煙で汚れたユニフォームが映し出されていた。
「サバナ寮の勢いが止まりません!チームを導く選手の名前はレオナ・キングスカラー!彼はまさに、天才司令塔です!!」
実況の叫びが心を震わせ、アップに映ったサマーグリーンがジャックの魂を貫いた。
ぶわりと全身の毛が逆立った。思い、出した。思い出したぞ。どうして忘れていたんだ。
あの人の強さ。あの人の弱さ。あの人の美しさ。あの人の気高さ。
黄金なんて子ども頃から当たり前のようにあったあの人。それでも背伸びがしたくて贈った安物の指輪をすんなり受け取ってくれたあの人。指を飾る銀の輪の光をその瞳に湛え、満足そうに微笑んでくれたあの人。
ジャックは、気がつくと両目から涙を流していた。胸の内から湧き上がってくる想いが、涙と一緒に溢れて止まらない。目を擦っても擦っても、それはまたすぐに出てきて、ジャックの頬を濡らしていく。
早く行かなければ。ずっと一人にしてしまっていたあの人の元に、早く帰らなければ。
ジャックは走り出した。どこへ行けばいいのかなんて分からない。けれども、じっとなんかしていられなかった。
あの人を思うまま、本能のまま、走り出した。
そして数々のモニターの前を通り過ぎる。やがて───光が弾けた。