もしも親子になれたなら「先生がパパだったら良かったのに」
ぽつり、パームくんが呟いたその言葉が、どうにも頭から離れなかった。
——その日は穏やかであった。
温かな光が溢れ、春風にふわりとカーテンがなびき、窓からはチュリネ達が並んでこうごうせいをしている姿が見えた。
ウィンディは日当たりのいい場所にどしりと寝転がり健やかな寝息をたてていたし、グラエナもまた、食後の眠気には勝てなかったのだろう。普段はピシッと背筋を伸ばし、主人である私の側でおすわりしているのだが、今ばかりは足元にその身を伏せて眠っていた。
パームくんはトレーナーズスクールが終わるとご両親の職場.....研究所に駆け足で来ては入口の椅子で私を待っているので、いつもこの時間は部屋に招いて彼と少しばかりの休憩を取るのだった。
「私が...ですか?」
「だって、パパいつもいないし。ずーっと帰って来ないんだよ?」
パームくんの父...クロツグ博士は私の上司にあたる人である。非常に研究熱心な人で、確かに、研究所に寝泊まりする事は常であった。しかし...彼は部下に対してもよくよく気配りをし、労いを忘れない人柄である。
そんな人でさえ、子からしてみれば...構ってくれない酷い親、となるのだとパームくんの呟きを聞きながら、考えてしまった。
「帰ってきても勉強はしてるのかとか、友達出来たかとか、ポケモンのお世話はちゃんとしてるのかとか...うるさいし....」
膝の上に乗せたエネコの前足をふにふにと触りながら、不満気に漏らす。
きっと博士も心配なのだろう。しかし、ここでパームくんの抱える想いを否定するのも酷な事に思えた。
「ボクはさ、家事とか育児とか...ポケモンのことも含めてだよ?全部ママに押し付けておいて、帰ってきた時だけ父親ヅラするのが嫌なんだよ」
「.....なるほど」
「仕事じゃ良い人かもしれないけどさ....父親としてはダメだと思うよ。ボクは」
この子は歳の割に大人びているところがある。何でも自分の頭で考えて判断しているのだと、会話の節々で感じた。
「このところ学会発表の準備で忙しくなされてますから...パームくんにとっては寂しいかもしれませんね」
「寂しいっていうか...別に忙しいなら帰ってこなくてもいいけどさ...口ばっかりなんだよ。それがムカつく」
「ふふ....」
パームくんの愚痴は何というか、妙に的を得ていて.....笑い事ではないと思いながら、そのバッサリした口ぶりを私はどこか気に入っているのだった。
「先生は、そういうのじゃないから...良い」
「そういうの、とは?」
「いつだって....ボクの為に時間作ってくれる。いつもボクを迎えに来てくれる....『心配してる』って言いながら、放っておいたりしない....」
「パームくん....」
あぁ、この子は“悲しい”のだ。
反射的に伸びた手が、彼の小さな頭を撫でていた。優しく...愛しむように髪を撫でると、ぽすりとこちらに身を預けてくる。
ふにゃりと頬を綻ばせるところが、わかりやすくて可愛らしいと思った。
「先生の手、優しくてすき....」
「それは何より」
触れ合っているところが温かい。
まだ子供なのだ。
ほんのちいさな、まだ9才の。
「エニャ〜....」
パームくんに抱っこされていたエネコがひょいと膝を降りて、ぐぅっと背筋を伸ばす。
「どこ行くの?ママのとこ?」
パームくんの母...カルナ博士もまた、この研究所で勤務中なのであった。エネコはカルナ博士のポケモンだったが、パームくんとは産まれた時から一緒らしく随分と仲良しに見えた。
彼とエネコは....よく似ている。
きまぐれで、自由で、迷いがない。
「ニャ!」
「多分お腹すいたんだよ。いつもママがご飯あげてるから...」
「君は行かなくて良いのですか?」
「うん.....ママの場所わかってると思うし....まだ先生といたいから....」
そうして甘えるように体重をかけてくるのが愛らしい。この子は初めて会った時から私によく懐いていたけれど、最近は特にそう感じる。トレーナーズスクールは自分の居場所ではないと言わんばかりに研究所に入り浸っているし、私にくっついては楽しそうに色々なことを話してくれた。
彼にとってスクールは自分を否定される場所...変わってるねと茶化されるので、嫌いだと言う。
「先生の手、おっきいね...。ほら、ボクの手がすっぽり」
おもむろに手を合わせては、楽しそうに私の顔と手を交互に見つめていた。
「君はまだ9歳なのですから、これから大きくなりますよ」
「え〜?ボクは小さいままがいいんだよ」
首を傾げ、何言ってるの?という目で見られる。
「だって大きくなったら先生の膝にも座れなくなっちゃうもん」
「おやおや...君は甘えん坊ですね」
「うん....えへへ」
パームくんは甘えん坊と言われても気を悪くするどころか.....むしろそう思われたいという風に嬉しそうにするので、ついつい甘やかしてしまう。ぽんぽんと膝を叩けば「いいの?」と言いながらいそいそと移動し、横向きで足の間に収まった。こうして見ると、パームくんは小さなポケモンとそう変わらないように思える。
「よし...よし...」
とん、とん、と優しく背中を叩くと、とろんと眠そうな目つきになってくる。身体も温かくなって、口数も少なくなっていった。
「...眠いのですか?」
「うん.................」
「構いませんよ。カルナ博士が迎えにくるまで、このままでいましょうか」
「や.....ママが来たら起こして...はずかしいから......」
「ふふ...わかりました」
毛布をかけ、優しく背中を撫でる。
すぅすぅという寝息が聞こえるまでそう時間はかからなかった。全身を預け、安心したように....或いは無防備に眠る様子に、自然と頬が緩んだ。
「君は...可愛いですね」
誰にも聞かれないように、小さく呟く。
——穏やかであった。
何もかもが、優しい色をしていた。
温かいゆりかごのように。
「ごめんなさい!遅くなって....」
「おや、お戻りになられましたか」
すっかり日が落ちた頃、カルナ博士は今にも落としそうな程荷物を抱えながら、バタバタと転がり込むように部屋に入る。
「まだ仕事残ってるんだけど....それよりごめんねトビシマくん...いつもお世話になっちゃって....」
「いえいえ、そんな。博士もお忙しいでしょう。構いませんよ」
「ありがとうね....ありがとう........」
そう言って何度も何度も頭を下げるものだからバサバサと資料が落ちてしまい、またしても忙しなくそれらを回収するのだった。
「パームー?ね、寝てる.....ママだよー!起きて!」
「エニャー!」
思うよりパームくんがぐっすりだった為、途中で膝から降ろしソファに寝かせたのだ。
そんなパームくんをエネコは容赦なくしっぽでバシバシと叩くものだから、後ろに控えていた博士のサーナイトはおろおろと心配そうな様子であった。
「い、いだい....何するのさ.....」
「またトビシマくんに迷惑かけて!ここはお仕事する場所であってパームの休憩所じゃないの!」
「な....!そもそもママ達がボクのこと無視して仕事ばっかしてるからでしょ!!なにさ、全部ボクのせいにして...!」
眉間に皺を寄せ、不機嫌であることを隠そうともしない。博士やエネコはガミガミと説教するのだが....私はどうにもパームくんを怒る気持ちにはなれなかった。
——親に見てもらえない。
その悲しさは...既に自身も知るところだった。
「今は特別忙しい時なの...!」
「ふん、いつもそれだよ。今日だってどうせ帰んないんでしょ?」
口調に苛立ちが込められる。博士は図星を突かれたようで、頭を抱えていた。
それもそうだろう。ただでさえまだ仕事が残っているのに、子供にも怒られ、追い詰められているのだから。
「ヤダ。もう1人でご飯食べたくない。エネコだってママのとこに残るんでしょ?つまんない」
「お願いだから、ママの言う事聞いて.....」
「ヤダよ。ていうかパパは?顔も出さないで何してるのさ...いっつもそうだよね」
——ボクより仕事のが大事なんだ
「博士、今日は私の家で預かると言うのはどうでしょう」
パームくんのその言葉を聞いた瞬間、つい口を挟んでしまった。
....昔の自分に重ねてしまったのだ。
「えぇ?!そんな...ありがたいけど申し訳ないよ...」
「いえ、私も食事は一人ですから...パームくんが居てくれると喜ばしいのですが...」
パームくんの方を見ると、いいの?いいの?と言わんばかりに目が輝いており、思わず口元を緩めてしまう。
「そ...そりゃ私もめちゃめちゃ助かるよ...?でも...いつもお世話になってるのに...」
「構いませんよ。博士さえ良ければ、是非」
その言葉にとうとう博士は了承し、またしてもありがとうありがとうと何度も頭を下げるのだった。控えめな性格のサーナイトはペコリとおじぎをし、エネコは....相変わらずパームくんのことをペシペシとしっぽで叩いていた。一旦荷物置いてくるね!と博士が退室すると、余程嬉しかったのだろう。パームくんはパタパタと駆け寄ってきた。
「ね、ね、いいの?いいの?」
「えぇ」
「うれしいっ!」
ぎゅうっと抱きつかれて、こちらも温かい気持ちになる。よしよしと頭を撫でてあげると、気持ちよさそうに頬を綻ばせた。
「でも、なんで?」
「いえ...ただ少し...私にもわかるのですよ」
「ボクの気持ち....?」
「えぇ...」
「ふぅん...」
パームくんはただ、優しく抱きしめて欲しかっただけなのだ。
だけども両親は連日連夜帰ってこず、父親に至っては滅多に顔を見せない....故に悲しくて、怒るのだ。
それをわかっているからこそ...私にはとても彼を怒る気持ちにはなれなかった。
「夕食は何がいいですか?」
「オムライス!」
間髪入れずに答える様子に、つい笑みが漏れる。せがむように白衣をぐいぐいと引っ張る手が、嬉しい嬉しいと言っているようで愛おしかった。
「ね....旗つけて欲しいなー....」
「ふふ...お子様ランチですか?」
「うん、うん....そういうのが食べたいなー...」
「では、シンガンデパートに寄ってから帰りましょうか。楽しみですね」
「うわー.......夢みたい...夢みたい.....!!」
ぴょんぴょんと跳ねて全身で喜びを表現するパームくんに、やはりこの子はまだ子供なのだと感じる。
ウィンディはおうちくるの??と言うように、そそっかしくパームくんの周りをうろうろしていた。
この子はパームくんをまだほんの3歳くらいの子供のように可愛がるところがあり、彼を背中に乗せて研究所の庭を駆け回るのが好きだった。
「ふふ...ウィンディも楽しみだそうですよ」
「え〜?ボクもだよ!」
じゃれつくウィンディに「お...重い.....」と苦言を漏らしながらも、パームくんは嬉しそうだった。
そうしてその日は同じ家に帰り、食事を共にし、同じベッドで....パームくんが一緒に寝たいとせがんだので、彼の温かい背中を撫でながら...眠りの狭間で、思考が巡る。
もしも親子になれたなら
この子のパパになれたなら
パームくんのように自由に生きれたら
ヒノデタウンから溢れた光がバハギアを包み、全ての命に等しく夜明けを告げても、その想いが消えることはなく、ただ、心の底でくすぶるのみであった。