かわいい子には余計なお世話「リヒターのことなのです」
俯き加減の顔を上げると、少し癖のついた金髪が揺れた。
目の前の男よりだいぶ色素は薄いが、瞳の色は同じ。日が昇る世界の空の色だ。
「技を同じくする者だからかもしれませんが、戦いの場ではつい頼ってしまう…。頼られるならともかく、情けない姿は見せたくないと思うのですが」
対する男の鋭い目付きは彼の生来のものであり、威嚇する意図はない。
「リヒターのことはそれほど知らないが…血が近いせいか、お前自身の人柄か。お前のことは理解できる気がする。少なくとも、シモン・ベルモンドは戦いで失望されるような力の持ち主ではないとな」
「ありがとうございます、高祖ラルフ」
シモンはラルフに静かに頭を下げる。
「そして申し訳ない…このような話を聞いていただけるのは、貴方しか思いつかず」
「お前にとって祖先は俺しかいないからな。だが人生経験はお前のほうが上だろう?シモンさんとお呼びしたいくらいだ」
「恐れ多いことです」
ラルフは冗談を笑い、シモンは恐縮する。
初対面ではお互いに最上の敬意をもって言葉を交わしたが、早くもラルフの方はシモンに気安げに話しかけている。そういう性格なのかと思っていたが。
「シモン、せめて今だけでいいから敬称は外してくれないか。アルカード以外と腹を割って話してみたい」
「む…」
意図的にそういう態度をとっているらしいと今更気付いた。
…思えば生きた時代も離れており、最も召喚が遅かったラルフは、いまだ仲間との交流に手間取ることが多い。それに薄々気付きながら手をこまねいていたことをシモンは恥じる。
「申し訳…なかった。ラルフと呼ばせていただく」
シモンの言葉に、少し嬉しそうにラルフは笑い返す。
「話が逸れた。リヒターのことだったな。あいつはお前よりよほど頑なだろう。…家名が膨れ上がって押し潰してしまったのだとしたら、ベルモンドの名など返上すべきだったな」
リヒターの辿る未来の歴史を、知識としてラルフも知っている。シモンは言わずもがなだ。
「私も同意見で…だ。リヒターの実力は一族随一、故に、届いてはいけないところまで手が届いてしまったのか…惜しいと思う」
惜しいというのは、すでに起きた歴史そのものではなく、それを今のリヒターが悔いていることだ。
「全力を発揮出来ない状況でもあの強さ。私は危ういところをついぞ助けられ通しだ。背中を預けられるとはこのようなことをいうのだと初めて知った」
戦いの場でのリヒターの鬼気の凄まじさにシモンは何度も舌を巻いた。
本来の力がこれ以上なら、自分は勝てないだろう。そう素直に思う。
だがその鬼気は戦い以外では鳴りを潜め、同族の気安さと敬意からシモンには非常に懐いてくれている。それをシモンは嬉しく思う。
「成長したあとのマリアとは、どちらが年上か分からんがな」
「純朴でよき青年なのだ。心からそう思う」
若さと実直さに触れ、高祖と呼ばれ、惜しみない憧れの目を向けられる度、いつしか僅かに苦い感傷をも抱くようになっていた。
その目に映る自分が『高潔』のままで崩れてほしくないと。
それを思うたび、リヒターへの態度がかえって遠慮がちになっていることも自覚している。
ラルフに話したい悩みとはそれだ。
「自分に憧れている者の前では格好つけたい。いいことじゃないか」
「恐れが勝って、心を開けなくなることが怖い。リヒターには何かと感謝しているのだ。…彼の危うさを護ってやりたいとも思うが、それ以上に私の方が助けられていることを、わかってもらいたいものだ」
「あっちは全くそう思ってないということだな」
「そのとおりだ。己の口下手を呪うしかないな…」
そう言って、ラルフもシモンも苦笑した。
リヒターは思い込んだら一直線だ。偉大なる祖先であるシモンやラルフに、頼りにしている、と言われても鼓舞の言葉としか受け取らない。
シモンのような己への厳しさとはまた別種の頑固だ。
シモンの体格で寄りかかると、造りの良い椅子の背も僅かに軋んだ音を立てる。
「…リヒターは、自分の中に恐れがあると言っていた。私も自らの死に迫られなければ、二度目はドラキュラに挑むなどできなかったかもしれない。恐れを乗り越える勇気を持つ者を私は尊敬する…見捨てたくないんだ」
「………」
言葉を選んではいるが、おそらくシモンはリヒターに得難かった仲間の理想を見出している。失望されたくないとシモン自身が強く望んでいるのだ。
それがどれほど心強いことか知っているラルフは、シモンの執着を否定せず受けがう。
「リヒターの城主の件は…矛盾している気もするがな。ドラキュラに戦いを挑むことの恐れと、ドラキュラと永遠に戦い続けたいという欲望。アルカードの言うとおり、自身の意思だけとは思えん」
「だが、暗黒神官とやらの呪いだけではないともリヒターは気に病んでいた。物事は一概に括れぬものかもしれないな」
シモンが顔を曇らせる。リヒターの苦悩を間近で見てきた故に純粋に心を痛めているのだろう。
「よく見てやっている。リヒターがお前を慕うのもわかるな」
「…身内びいきと言われてしまうかな。だが、私はあれがかわいくて仕方がない。かわいい、と思い続けていたいのかもしれない。慕ってくれることに甘えて…リヒターには失礼な話だろうが」
ラルフに肯定され、シモンは己の内心を徐々に吐き出すことができた。
さすがに今のシモンに孫の記憶はないが、辿ればそのまた孫。会うのは初めてでも繋がりを思えば愛おしい。
そして、血の繋がりより強く、リヒターという若者の懸命さを支え励ましてやりたいと思う。
「お前が人を慈しんだ結果だろう」
「初めて得たそれが心地よくて、手離し難くなってしまったのだろうな…」
自己と他をしっかりと見つめる、そういう生き方がシモンには身についているようだ。少なくともラルフはあまりそういう気遣いをした覚えがない。
護りたいものも求めるものも、正しく力で成し遂げる。そのための力を持っているのがベルモンドの血脈たる意味だ。
各々、その方法が少し違うだけなのだと、シモンを通して感じる。よい後継がいたものだと内心密やかな感謝を抱きながら。
呟きのあと自戒に籠りかけたシモンに話が途切れ、沈黙が数分続いた後。
「──アルカード、そろそろいいだろ。出てこいよ」
ラルフが柱の向こうに声をかけると、闇から湧き出る黒い影が人の顔を覗かせた。
それ自体には誰も驚かない。ヴァンパイアキラーの継承者が半吸血鬼の気配に気付かないはずはないのだ。
有角がすぐ近くにいることは別におかしなことでもなく、聞き耳を立てるような人物でないことも知っていたから別段気にしていなかった。
だから今になってラルフが有角をこちらへ呼んだ意図がわからない。
シモンは口を挟みはせず首を傾げる。
「…全く、ベルモンドは皆、かわいらしいな」
有角が嫌味かと思うほど綺麗に人外の余裕を見せて言う。
ラルフ、シモン、そして、その手で口を塞がれつつ拘束されているリヒターを示しながら。
「〜〜っっっ…!!」
藻掻いた跡はあるが、半吸血鬼の腕力にはさしものベルモンド最強も敵わないのだ。
そのまま祖先たちの前に引きずり出され、今やすっかり抵抗する気概は失われている。
シモンは驚愕に目を見開き、ラルフはふんと鼻で笑う。
「気付いていたのか、ラルフ?」
「寄ってこないから何を企んでいるんだとは思ったが…まさかそこまでやるとは想像していなかった。お前にしては随分なお節介だな?」
「俺は、噂の当人がいたのではお前たちが話し難かろうと、静かに待っていてもらっただけだ」
つまり、通りがかったリヒターを力ずくで引き留めすべてを聞かせたということだ。
有角が手を離すと、突然解放されたリヒターは両祖先の方へよろめき立ちすくむ。
「シモン、ラルフ、お前たちの意見に俺も賛成だ。こいつには口で言ってもわからない。真実を見てもらわなくてはな」
「有角、幻也…」
ラルフとの会話を、自分の本音をすべて聞かれていたことに、シモンはさすがに顔をひきつらせている。
高祖ラルフとその友であるアルカード。打ち合わせもなしに息のあったお節介…見事なものだと感心するしかない。
「シモン、もう悩みの相談は必要ないな?」
席を立とうとするラルフに、ため息を吐きそうになるのだけはこらえる。
「…感謝します、ラルフ」
「本当に人間ができすぎてるな。余計なことをと、怒っていいんだぞ」
「貴方は私を騙したわけではない。それに結果として、話したいことを話すことができた。感謝は自然なことだ」
言いたいことを言い終えた頃には腹が括れている。シモンはリヒターに向き直った。
「リヒター」
「っ、はい!!」
かちかちに緊張したリヒターに、必要以上に気を遣わぬよう、シモンは言葉をかける。
「聞いていた通りだ。私はお前を本当に頼りにしている。私を慕ってくれるお前に応えたいと、失望を恐れるあまり、少々無理をしていたかもしれない」
「そ、そのようなことを俺に…」
「すまないが、この際だから言いたいことを言わせてもらう。
私はお前の理想通りではないかもしれない。情けないところを見せることもあるだろう。それでも、お前と共に戦い抜くために、お前の誇りに恥じぬ私であるよう努めよう。
それだけ、私はお前と離れ難いのだ。
……これからも、よろしく頼む、リヒター。」
恥ずかしそうな笑顔で笑いかけるシモンに、リヒターの狼狽は哀れをもよおすほどだった。
「……俺達がいなくなってから言えばいいものをな。晒し者のリヒターが気の毒だ」
お前が言うか、とラルフは真剣に思いながら、自ら人に関わろうとした人ではない旧友のことを嬉しく思う。
「そういう奴らなんだろうさ。というかそう仕向けたのは俺達だしな…見守ってやったと思えよ、最年長者」
「まっぴらだ。お前の子孫だろう」
「これだけ離れればまずは他人さ。そして、仲間としては、この上ない奴らだ」
ひねくれてぼやく有角の肩を押し、ラルフは笑いながらその場を後にした。