かぞくのとびら(The way to say I'm home.)4.
「あ〜ポカリ被っちゃった、ごめん。栄養ドリンクとゼリーもあるから冷蔵庫入れるね。おでこのそれ、足りる?他にいるもんあれば買ってくるよ。アイスとか欲しかったら言ってね」
悠仁は持ってきたものを手際良く冷蔵庫に詰めながら、キッチンのカウンター越しに、ソファで横になっている僕に声をかけた。僕は「ありがと」と答えながら、すっかりぬるくなった冷却シートを剥がした。これ、8時間もつなんて絶対嘘だろ。
「五条さん、食欲どう?うどんなら食える?」
「食べれそう…だけど、うちに…そんなの…無いです…」
「だいじょーぶ、買ってきた!冷凍のやつだから明日以降も使えるよ」
悠仁がゴソゴソとスーパーの袋から冷凍のうどんと、束になったネギを取り出して見せた。
「食器棚失礼します!」
「どうぞ〜」
「あ、小さい土鍋ある!ラッキー」
一人用の土鍋を二つ出して、もう一度冷蔵庫を開く。
「たまごもらうね!」
「どうぞ〜」
「お前らは割と元気そうだしちょっと具入れよっか?」
悠仁の足元にまとわりつく子供たちは随分と元気だった。君たち熱あるんじゃないのかよ。
まあ、その気持ちはよくわかる。
うちのキッチンに悠仁が立っている。ピンクの後頭部が揺れている。リズムよくまな板を叩く包丁の音を聞きながら、それだけで、元気になれそうで、でも、熱も更に上がりそう。
前の人生でも、料理は何度も作ってもらった。地下室で食べた鍋は感動したし、僕の家に泊まった日は二人で並んで食事の準備をした。でも、僕も悠仁も風邪や熱には1ミリも縁がないような人間だったから、こんなの初めてで……なんか……どうしていいかわかんない。
ぼんやりしていると「五条さん、テーブルで食べれる?そっち持っていこうか?」と声が飛んで来た。もう出来上がったらしい。
「今行く〜」
ソファからのそりと起き上がり、ダイニングのいつもの席に着くと、恵と野薔薇もそれぞれ自分の椅子に座っていた。
4人がけにしては少し大きめのテーブルに、目の前に汗のかいたグラスが3つと、湯気の立った小さな土鍋が2つ置かれた。シンプルな鍋焼きうどんは鍋の縁でまだ出汁が音を立てていた。あ、おいしそう。
「はい、どーぞ」
い、
「「「いただきます!」」」
悠仁は「あついから気をつけな」と子供用の小さなお椀にうどんをよそい、恵と野薔薇にそれぞれ渡してから、「室温少しだけ下げるね」とテーブルの上に置かれていたリモコンをピピ、と鳴らした。僕はそれを眺めながら自分のうどんをすする。悠仁が作ってくれたそれは、地下室で食べたあの味によく似ていて、少しだけ泣きそうになった。
「おいひい」
僕の声に気づいた悠仁が、白い湯気の向こうで「よかった」と、笑顔を見せた。
「汗かいてるだろうから、食べ終わったら着替えてくださーい」
〝いたどり先生〟の呼びかけに恵と野薔薇が揃って「はーい」と返事をした。
「五条さんもね」
「はーい」
僕も子供達の真似をすれば、その顔を見て悠仁が「そういえば、」と何かに気づいたように言った。
「サングラスしてないとこ、初めて見た」
言われて自分の格好を思い出す。ボサボサの髪、スウェット、額にはさっきまで冷却シート…悠仁が家に来たことにすっかりのぼせてていたけれど、僕、今めちゃくちゃ格好悪いじゃん。こんなの、好きな子に見せる姿じゃない、は、恥ずかしすぎる。もしかして、引かれた…?
頭を抱えた僕の顔を、悠仁が覗き込む。
「目の色、すっげえ綺麗だね!」
また、熱が上がった気がした。
食事と処方された薬で眠くなったらしい子供達を二人がかりで寝室へ運び、エアコンをつけて、夏用の薄い布団を掛ける。野薔薇がすぐに足で布団を蹴った。
「子供って布団かけてもかけてもどこかへ飛ばしちゃうよね」
「寝相の悪さどうにかなんないかな、僕何回かかと落とし喰らったか」
「はは、痛そ」
声を落として笑い合う。明かりを絞ったスタンドライトの光が悠仁の顔を照らしていた。
「虎杖先生」
「ん?」
「本当にありがとう。助かった」
優しい眼差しで子供たちを眺める悠仁に、お礼を言った。
「突然行って、彼女とか、いたらどうしようと思ってた」
「残念ながらこの通りだよ」
首を横に振って見せると悠仁は子供たちのほうを向いたまま「知ってる」といたずらっぽく笑った。
「えっ」
「恵と野薔薇からいつも聞かされる」
「はぁ?」
「五条さん、フリーだから遊びにおいでよ!って」
「な」
なんてこと言ってたんだうちの子らは。そりゃ、いつだって、特に子供たちを引き取ってからは、あと腐れないような相手を選んでいるし、家には死んでも上げない、けど、だからって、そんな話する?僕の表情を見た悠仁は「こんなかっこいいのになんでだろうね?」なんて無邪気に聞いてくるし。誰かさんのせいでこじらせてんだよ!お陰様でね!
でも、チャンスだと思った。
「虎杖先生は?」
「え?」
「結婚してないよね?彼女とか、いないの?」
努めてなんでもないように、ずっと聞きたくて仕方がなかったことを聞くと、悠仁もなんでもないように「いないよ」とはにかんだ。
い、
「いないんだあ…」
「悪かったね」
「そんなにかっこいいのになんでだろうね?」
「もーー」
本当はもっといろんなことを聞きだしたかった。好みのタイプとか、僕はどうとか、そういうの。
でも、あれもこれもととまらなくなりそうで、話題を変えるようにもう一つだけ、気になっていたことを僕は尋ねた。
「虎杖先生は、聞いてる?うちのこと」
「五条さんちのこと?」
「そ」
「見ての通り、ほんとの親子じゃない」
他人にどう思われようが何を言われようがどうだって良いけれど、悠仁が僕と子供達のことをどう思っているのかは少し、知りたかった。〝今の〟悠仁には僕が、僕たちがどう見えてんの?
「引き継ぎの時にちょーっとだけ聞いたかな。でも、言うて俺フリーランスだから……そんなには」
「いろいろあって、引き取って一緒に暮してんの」
「うん」
「初めてだったんだよねえ。うちにきてから熱出したの」
「そうなんだ」
思い返せばこれまで恵と野薔薇は病気や怪我など無かった。でもそれは僕の目で見える範囲でのこと。もしかすると、辛かったこと、痛かったこと、あったのかもしれない。その我慢が今になって現れたのかな。
「ほんとはずっと、無理してたのかなあ」
苦笑すると、悠仁はしばらく考えて「…っていうより、」と視線を僕に向けた。「ん?」
「五条さんの前で熱出せるくらいの距離になったってことじゃね?」
「え」
ぽかんとした僕に「五条さん自身も」と続けた。
「僕も…?」
「きっと、無意識に、お互いどこか遠慮していたんだと、思う。心も体も。でも一緒に過ごすうちにそれがどんどん無くなってさ、今なら熱出しても大丈夫って。乗り越えられるよって。だから」
距離。離れていたから熱が出たんじゃなくて、もっと、近づいたから。目から鱗だった。
「一応これでもプロなんで」
悠仁はわざと得意げな顔を作って、上目遣いで僕を見た。
「五条さんちがちょっと変わった家族の形してるのはわかる。でも、どっからどう見ても家族だよ」
どっからどう見ても家族。胸の真ん中あたりがじんわりした気がした。恵、野薔薇、僕たち家族だって。今に君たちから『臭い』だとか『汚い』だとか言われるのかな。(えっ、やだ!断じて臭くないし汚くない!)
「俺、親いなくてね。じいちゃんに育ててもらったの。でも、そのじいちゃんも早くに死んじゃって……だからちょっと羨ましい」
「そ、っか…」
屈んで、寝息位を立てる子供達の頭を1回ずつ撫でた悠仁は「そろそろ帰るね」と言いながら立ち上がった。
「今度、改めてお礼させて」
「え、いいよそんなの!俺が勝手に来たんだし!それにほんとコレ、ルール違反だから……内緒にしといて……くだサイ……」
悠仁が、パチンと目の前で手を合わせた。じゃあ。
「じゃあなんで来たの」
とっさに、その手を僕の両手で包む。僕の手よりも一回り小さい、少しかさついた手。あんなにたくさんあった傷はもう、無い。心臓が激しく波立つのがわかった。
「え」
「なんで、来てくれたの」
「ご、じょう……さん……?」
揺れるはちみつ色に僕がいた。
ハッとして、慌てて「ごめん」と手を離したけれど、そのまま、お互いに黙ってしまった。こんなに近くに悠仁がいるのに、それ以上動けない。
「あの……?」
「じゃあ、こうしよう。僕と虎杖先生は今から友達。あ、友達だから悠仁て呼ぶね。んで、悠仁は風邪ひいてぶっ倒れたグッドルッキングな友達のことが心配でかけつけてくれた。ちなみにそのグッドルッキングな友達には子供がいて、たまたま悠仁の教え子たちだった」
一気に言って、
「どお?ルール違反にならない?」
悠仁はしばらく目を丸くしていたけれど、すぐに「ふは」と破顔した。
「それいいね」
「でしょ」
「じゃあ、玄関まで見送ってもらおうかな」
「友達だもんね」
こうして僕は悠仁と〝友達〟になった。
廊下の壁にもたれて、玄関の三和土でスニーカーの紐を結ぶ悠仁の背中を見つめる。
「悠仁はさ、なんで先生やってんの?」
「えっ、急にどったの」
「友達のこと知りたくて?」
言えば、悠仁は「なにそれ」と小さく笑ってから考えるそぶりを見せた。
「んー……人に囲まれてたかったんだよね。俺、さっきも言ったけど親、居なくて、じいちゃんも早く死んだから。親子の……そういうの……近くで見てたかったのもある……。それに、」
「それに?」
悠仁は恥ずかしそうに言った。
「なんか〝先生〟っていいなって思って」
お前が、
お前が、恵や野薔薇と同じような子供だったら良かったのに。どうしてそんな姿で僕の前に現れちゃったの。手を伸ばせば届くところに、なんでいるの。
「じゃあ。またね」と静かにドアが閉まった。
またね、先生。そう言っていつかも別れた。
その「また」が来るまでに、随分かかったな。
さっきは友達、だなんて言ったけど、やっぱり、
やっぱり僕は、
もう一度お前がほしいよ。
The way to say I'm home.