かぞくのとびら(The way to say I'm home.)10.
一向に雨のやまない窓の外へ視線を移しながら、悠仁は「俺ね」と切り出した。
「恵と野薔薇を見た時、初めて会う気がしなかったんだ。二人が俺の隣を離れなくてさ、こうぎゅうぎゅう挟まれて。あまりにも動けなくてじっとしてたらそのまま二人、俺の体に寄りかかって寝たんだよ。それがなんか……すごくしっくりきて……懐かしかった」
ふいにいつかの任務帰りを、僕は思い出した。西日の高速道路、振り返った後部座席。眠る恵と野薔薇に挟まれた悠仁は優しい表情をしていた。
きっと、二人と再会した日の〝虎杖先生〟も。
「〝先生〟やってる俺がこんなこと言っちゃだめなんだけどさ、二人は特別かわいいと思ってる。他の子供たちの〝可愛い〟と……ちょっと、ううん、全然違う……あ、これ秘密だからね」
悠仁は僕に向き直り人差し指を立てた。
「五条さんに会った日だって……。二人を迎えに来た五条さんを見て、やっぱり懐かしいって思ったよ。初めて会う気がしなかった。五条さんに関しては……一目惚れってこういうことなんかな〜なんて思ってたけど、今の話聞いて、腑に落ちたっつーか……」
「腑に、落ちた……?」
「だって俺、五条さんが家でサングラスかけてるの、ずっと前から知ってた気がする。映画の好みとか、好きな食べ物とかも。コーヒーに入れる砂糖の数だって、なんでかわかんないけど、わかってた」
何度か家で食後にコーヒーを飲んだことがあった。僕は相変わらずドボドボ砂糖を入れていたけれど、そういえば、悠仁は一度も驚いてなかった。
「やめたほうがいーよ、アレ」
「き、気をつけます……」
「最初に五条さんのこと好きになったのは、もしかしたら、五条さんの言う通り、前世?で何かあったからなのかもしれんね」
一度区切ると「でもさ、」と続けた。悠仁は目を逸らさない。
「風邪引いて鼻垂らしてたり、子供達がやらかした部屋の落書きにサインさせたり、あ、車にジュースぶちまけられてタオル乗せるようになったり?多分そういうのは、前の俺……?は、知らなかったと思う」
悠仁は「そうだろ?」と穏やかに訊いた。
「だって俺、そんな五条さんには懐かしさは感じなかったもん」
確かにそうだった。風邪なんかひいたことがなかったし、当たり前だけど子供のいる生活なんか知らなかったから、部屋に落書きなんかされたことだってなかった。車の運転だって、滅多にしなかった。伊地知がいたし、飛べたし。
「俺ね、五条さんのそういうとこ見て、もっと好きになったんだ」
手に持ったままだったタオルを眺めて、悠仁が頬を緩めた。そして、
「俺たち、一緒だね」
笑った。
「だから信じるよ……あれ?五条さん?」
僕はシフトノブの向こうの悠仁に腕を伸ばし、思い切り抱きしめた。肩のあたりで「ぐえ」と可愛くない可愛い声が聞こえた。
「ねえ悠仁、キスしたい」
「唐突すぎる」
抱きしめられたまま、苦笑いをした悠仁は、すぐに「けど、どーぞ?」と身体を離して顎を少し上げた。腫れた目がとてつもなく愛おしい。
お互いの顔が、鼻の触れる距離まで近づいて、唇が重なる。
はずだった。
「あ!?」
突然、悠仁の目と口がパカ!と開いて思わず僕も「え!!」と仰反る。悠仁は何かに気づいたように目と口をぱちぱちさせていた。
「な、なに……?」
「なにじゃねーよ!恵と野薔薇!」
僕の両肩をがしっと掴み「あいつら置いてきたの?!」と声を上げた。
「ねえ五条さん!だだだ大丈夫?!今何時!?あっ鍵!鍵かけてきた?!」
「力つよ……」
がくがく揺さぶられながら、やっとのことで「お、落ち着いて悠仁」と僕は言った。
「子供たちは信頼できるシッターにお願いしたから!あともちろん鍵も!」
その言葉に、一時停止ボタンが押されたかのように悠仁の身体はぴたりととまった。
「し、シッター…?」
「うん」
「時々、お迎えきてた人……?」
「そ。僕の子供の頃からお世話になってる人。なんていうかもうスーパー家政婦なんだよね。なんでもできちゃう」
簡単に説明すると掴まれていた肩から、悠仁の力が抜けたのがわかった。
「もういい年だけど、こんな夜遅くに連絡しても二つ返事で、GTRに乗ってくるの。ウケるでしょ」
「か、かっけえ……」
「そうなの、かっこいいんだ。僕のことなんていまだに坊ちゃま呼ばわりだよ。子供たちもよく懐いてる」
だから安心して、と続けようとした僕の声に着信音が重なった。ダッシュボードに置きっぱなしだった僕のスマホだった。今度はなんだよもう。
「ご、ごめん」
僕はスマホを取り、通話ボタンをタップした。
「もしもし、悟坊ちゃん?」
聞き慣れた女性の声。まさに、シッターの彼女だった。声が聞こえていたらしい悠仁が「ぼ、ぼっちゃん…」と小さく驚いた。ね、言ったじゃん。なんか恥ずかしいんですけど……。
『大丈夫ですか?』と尋ねる声に、
「あーうん、ほんと、ごめん急に」
後頭部を掻きながら謝ると『いたどりはみつかった?!』と野薔薇の声が割って入った。弾丸のような強い声に、一瞬スマホを耳から離す。
「……うん、いる。大丈夫」
答えてやれば、ほっとしているのが電話口から伝わった。きっと隣に恵もいるんだろう。そうだよね、君たちも心配だったよね。
「だから悠仁を送ったら帰……」
『それなら、かえってこなくていいわよ!べつにごじょうさんいなくてもへいき』
僕の声を遮るように野薔薇は捲し立てた。
「は?!」
『かしってやつです』
恵の声も聞こえた。
「え!?ちょ、貸し?どこで覚えたのそんな言葉、いや、ちょっと……」
『坊ちゃん』
「あ、」
再びシッターのおっとりとした声になり、そのまま彼女は続けた。
「あんなに焦って電話してくるなんて、よっぽど大事な用事なんでしょう?わたし今日はこのまま泊まるんで、大丈夫ですよ。なにかおいしいものお土産にくださいな」
もう孫がいてもおかしくない歳なのにどこか少女見える、彼女の顔が浮かんだ。その彼女の『それでは』で、嵐のような通話は終了。車内が再び静かになった。
「ほんとに……おぼっちゃんなんだね」
目を丸くする悠仁に
「甘やかされとります」
スマホをスリープ状態にしながら、そう返す。
「で、なんて?」
「帰ってこなくて……いいって……」
「え、あ、そっか……」
「うん……」
さっきまでのとは明らかに種類の違う沈黙が、二人に落ちる。今になってエアコンの風が熱い。ハザードがうるさい。雨の音も。
「そ、そんなわけだから、ちょっとドライブでもしてく?」
気恥ずかしさを誤魔化すように、訊くと。
「じ、じゃあ」
「ん?」
悠仁の右手が、僕の服の裾をぎゅっと掴んだ。まだ手に持っていたスマホが、するりと足元に落っこちた。
「お、おれんち…きませんか…」
The way to say I'm home.