かぞくのとびら(The way to say I'm home.)6.
「ただいま!」
「ただいま」
「はい、おかえり〜」
「おじゃましまーす」
「どーぞ」
食材をキッチンで広げると、悠仁が「お相伴に預かるかわりにせめてやらせて」と、手伝いを買って出てくれた。
生地を混ぜて、ネギとキャベツとタコを細かく切って、それから紅生姜は多め。相変わらず手際がいい。その間に僕はダイニングテーブルの真ん中にたこ焼き用のプレートを置いて、取り皿を並べる。冷蔵庫からソースとマヨネーズを出して、あっという間に準備が整った。あ、青海苔と鰹節、忘れるとこだった。
「俺のやり方でいい?」
「お願いしまーす」
高温で熱したプレートに、悠仁が油を塗り生地を流し込む。じゅう、と心地のいい音がした。
「あたしタコ入れたい!タコ!」
「熱いから気をつけろよ。恵はキャベツとネギ入れてくんね?」
4人がけのダイニングテーブルに4人座るのは、悠仁がうどんを作ってくれた日以来だな。頬杖をついて目の前の光景を眺めていると、
「ね、五条さんさ」
突然悠仁が僕を呼んだ。
「なに?」
「今日は家でもサングラスしてんのな」
「あー……」
割とすぐに縁が焼けて、カリカリになって、それをシリコン製のピックで裏返す。少し崩れても何度か繰り返すうちに綺麗な丸になっていく。子供たちは悠仁の返すたこ焼きに目を奪われていた。
「まあ……癖みたいなもんかな。前に悠仁が来たときはそれどころじゃなかったけど。ごめんね、気になるよね?」
「あー……いや……?」
「ん?」
「なんかそのほうがしっくり……くる……?なんでだろ」
悠仁は一度だけ首を傾げてから、うはは、と笑ってまたたこ焼きをくるりとひっくり返した。
「なんでだろじゃ、ねーよ……」
「え、なんか言った?」
記憶がなくても、僕のことをどこかで覚えているのかな。
またひとつ、たこ焼きがまわる。このたこ焼きみたいに、一度ドロドロになった僕たちも、まわって、くっついて、もう一度ひとつになれたらいいのにね。
「いや、上手だね、悠仁」
「あ、そお?学生時代によく友達とやったからかな、金なくてタコはあんまり入れなかったけど。変なものたくさん入れたよ!チーズはおいしかった!キムチも!あとはチョコ……は……あんまりだったなあ……」
「学生時代、か」
「ん?」
「楽しかった?」
青春は、できた?その問いかけに。
「おう!」
僕じゃない誰かとの青春は、やっぱり妬けるけれど、それでも。それでも嬉しいよ。
「それは何よりだ」
僕が言ったところで悠仁が「焼けたよ!」と笑った。
野薔薇がたこ焼きを頬張りながら何かを話して、悠仁がそれを褒めて、恵が麦茶を啜って、悠仁が「こぼすなよ」、僕が笑って、悠仁も笑って、またたこ焼きを焼いて、食べて、食べて、笑って、揃って「ごちそうさまでした」。
「片付け終わったらゲームしような」
悠仁は子供達の頭を順番に撫でて、食器をキッチンへ下げ始めた。僕も食器を持って後に続く。
「あ、そこ、食洗機」
「うん。だいじょぶ、前来た時に使った」
「そうだった」
悠仁がビルドインの食洗機を開き、皿を並べている間に、僕はたこ焼きを焼いたプレートを人造大理石のシンクで洗う。フッ素樹脂の上を水が滑っていく。
「前も思ったけどシンクめちゃ広いね!なんでも洗えるじゃん」
「そお?」
「うちの、こんくらい!」
広げた手は悠仁の腰幅くらいだった。
「ちっさ!洗面器じゃん!」
「いや正直!」
「今のとこ、住んで長いの?」
聞けば、悠仁は
「えっと、結構、引越し多い、かも?」
少し、ひっかかるような言い方。もしかして。
「それ、さっきのことと関係ある?」
悠仁の手がとまった。
「ある、かな…」
にわかに空気が重くなる。僕は泡がついたままの手で水を止めて、悠仁へ向いた。小さなシャボン玉がスポンジから飛んで、どこかへいった。
「さっきの女、……の人、前働いてたとこの関係者って?そういえばやたら短いスパンでいろんな園に行ってるよね」
悠仁の目は翳がさしていた。
「聞いておいてなんだけどさ、言いたくなかったら、言わなくていいよ」
短い沈黙のあと、
「笑わない?」
食洗機のドアを閉めながら悠仁が言った。
「笑わないよ」
「実はさ……」
ぽつり、ぽつりと、悠仁が話し始めたのは、悠仁がまだ、新卒の頃の話。都内の、大きな私立こども園。
「いい園だった。設備も、先生も」
「うん」
「子供たちもスゲー可愛くてさ、いたどり先生いたどり先生って」
「うん」
「でも……しばらくしたら」
「うん?」
「なんか……園に出入りするいろんな人……さっきの人は言った通り、園の偉い人の娘さんで……あとは同僚とか業者の人とか……そういうまわりの人とちょっと……面倒なことになっちゃって」
「ハァ?!面倒なこと?」
「顔こわ!や、なんつーか……俺はマジで心当たりねえんだけどさ……住所突き止められて手紙送り続けられたり……?盗撮されたり……?……まあ、今日みたいに……待ち伏せされたり……?」
「ストーカーじゃん」
「間違いかも、勘違いかも、って最初のころは考えてたんだけど、あまりにも続いて……最終的に警察呼んで職場にも他の保護者にも迷惑かけちゃって。移動せざるを得なくなったんだけど、今度はそこでもまた……」
悠仁は短く息を吐いた。
「だからそうならないような、すげー短いスパンで働ける、今のスタイルになったんだよね…」
「そ、うだったんだ」
「そのおかげで最近はそういうの減って……恵と野薔薇の幼稚園では何もなかったし……先生たちもみんないい人だったから……でも、いや、だから、ちょっと気、抜いてたかも……」
僕はすぐに理解した。平常心を失わせるほどの何かが悠仁にはある。一度の転生なんかじゃすり減らないほどの(僕の顔や足の長さと一緒だ)まわりを惹きつけ、駆り立ててやまない規格外な魅力。(あ……なんか思い出したぞ……京都の葵とか……いきなり現れてお兄ちゃんだなんて名乗り出した不届き者もいたな……あいつら今世で会ったらどうしてくれようか)
ただただ天性の人誑し。悠仁が悪いわけじゃない。
『なんか〝先生〟っていいなって』
そう思って、思ってくれて、叶えた夢が、こんなふうになるのは、胸が痛いよ。
「せめて誰かに相談できれば良かったのかもだけど、俺、家族いねえし……」
「そっか」
「でも、」と悠仁は一度区切ると、僕の方を向いて言った。
「今ちょっと話せてすっきりした。ありがとう五条さん」
あの頃、この子にこんな弱さはなかった。僕らの立つ薄氷のすぐ下に、死があったから。少年時代の青春を途中で切り上げさせられ、弱くなれるなんてそんな余裕はどこにもなかった。だけど、今は違うんだ。
だからこそ、僕が護りたいと強く思う。六眼も呪力も無く、最強でもないけれど、
「ねえ悠仁」
今度こそ守らせてよ。お前の青春のその先を。
「これからは家に帰りたくない日は、うちにおいで。それで解決するかはわかんないけど、逃げ場があるのと無いのじゃ全然違うでしょ。何かあれば電話して」
静かに、諭すように、でも決して重くならないように言った。
「すぐ迎えに行くから。そしたらさ、」
項垂れたピンクの髪をそっと撫でる。これくらいは、いいよね。
「また、たこ焼きしよ!」
「五条さん……」
少しだけ落ち着きを取り戻した目が瞬きをして、それから、へろ、と気の抜けた笑顔になった。
「あ、あと変な人についていっちゃだめだよ〜」
冗談っぽく言うと、リビングのほうから視線を感じた。恵と野薔薇をが揃って「お前が言うな」って顔をしていた。そ、そんなの、僕が一番わかってるよ!
悠仁だけが、いひひと笑って
「変なやつについていくなだなんて、学校の先生みてえ」
「え、」
「五条先生、だね!」
昔と何一つ変わらない声だった。
もう、ほんと、そーゆーとこだよ、悠仁。
The way to say I'm home.