見た目の割にきちんと空調整備の整った校舎の中。家入硝子は暇を持て余していた。
夏油傑が呪詛師となって約一年。突如として特級術師が呪詛師になったのだから、高専は勿論の事、上層部も大慌てで対応と夏油の行き先を探っている。五条悟は思う所があったのか、真面目に授業や任務をこなす様になり、時間があれば術式の強化のために運動場を壊しては夜蛾に怒られている。
戦闘に特化している訳でもなく、それどころか反転術式を使える家入は専ら高専で自習をしながら待機か、ギリギリアウトな方法で医師免許を取得するために、補助監督やらと話し合いか、時折やってくる酷い怪我を負った呪術師に治療をする日々を過ごしていた。卒業も控えているからか、授業よりも高専での勤務体系や進路の話の方が増えてきたくらいだ。
今日は五条は任務で不在、先生代わりの補助監督も夜蛾も来月のお盆の時期に備えて準備があるから不在。只でさえ広い教室の中、家入は自習という名の、何の生産性も無い無駄な時間を過ごしている。課題も特に出ていないから提出物も無し。待ち侘びたチャイムが鳴るなり、誰が見ている訳でもないのに出していたノートを机に仕舞い、教室を後にした。
学校が終わったとて、家入が暇な事には変わりない。寮に戻っても殆ど誰もいないのだから、自習と何ら変化が無い。場所が教室から寮になっただけだ。
さて、この後どう過ごすか。今の任務の前に行った先で、五条が土産だと渡してきたシュークリームの残りでも食べるか。家入一人にと買ってきたそれは、五つ入りだった(そのうち一つは渡してきた五が奪っていった)。
甘党で常時脳味噌フル回転の五条なら余裕で食べられるだろうが、家入は普通の人間で甘党でもない。
自室の冷蔵庫からシュークリームの入った箱を取り出し、シールに書かれた賞味期限を確認する。今日、七月三日の午後九時。
「……あ。」
日付を見て、思い出す。箱の中には三つのシュークリームが入った袋。あとはいるかどうか。家入は箱と煙草、それから財布を片手に自室を飛び出した。
「よっ。おつかれ。」
「こんばんは、家入さん。」
どこを探すかと、共同の歓談スペースに辿り着いたところで、家入は後輩の七海と遭遇した。着替えたばかりと思われるラフなTシャツ姿と少し濡れた髪を見て、任務帰りであることを察し、どうだったかと家入が聞けば、特に問題も怪我もなかったと返ってきた。
「探してたんだ。この後暇か?」
「えぇ、まぁ。」
「ならこい。」
怪訝そうな七海を他所に、家入は七海の手首を掴むと、そのまま引き摺るようにして歓談スペースをあとにした。特に文句を言われるでもなく、されるがままついてきた七海と家入が来たのは、自販機が設置されている休憩所だった。辿り着くなり家入は窓を開け、ポケットから煙草を取り出し、咥えながら自販機の前に立つ。
「奢ってやるよ。何がいい?」
「水か、……スポーツ飲料で。」
日中の任務は暑かったからだろう。塩分を欲しがった七海だが、家入の前の自販機のスポーツ飲料はことごとく売り切れだった。考えることは皆一緒なようだ。自分用にコーヒーと、七海の水を買い、ペットボトルを七海へと投げる。簡単にキャッチした七海は礼を言い、早速封を切って半分ほど飲み込んだ。余程喉が乾いていたらしい。任務終わりで、風呂から上がったばかりなら当然か。どこか他人事のように、水を飲む度に上下する七海の喉仏を見つめながら、家入は煙草に火を付けた。煙が窓の方に行くようにするのは忘れない。
「で、突然どうしたんですか。」
何も言うことなくついてはきたものの、家入の行動に思い当たる節が無い。七海はペットボトルを手持ち無沙汰に触れながら問う。
「あ、忘れてた。これやるよ。」
当初の目的をすっかり忘れていた家入は、七海の問いに、休憩所につくなり椅子に置いた箱を開け、七海に差し出した。
「……シュークリーム?」
「そ。五条から土産で貰ってさ。もしかしてお前も貰ってたか?」
「いえ。あの人とは全然会いませんし。」
「なら良かった。賞味期限今日でさ。一人でこんなに食えないから、七海におすそ分け。」
家入の言葉に、そういうことなら、と七海は箱からシュークリームを一つ手に取った。冷蔵庫から取り出してそれほど時間が経っていないシュークリームは、まだ少しひんやりとしていた。家入も、放置された空き缶を灰皿替わりにし、ハコからシュークリームを取り出して一口かぶりつく。金持ちで甘いもの好きの五条が買ってきたものだけあって、滑らかでバニラが香るカスタードクリームと、しっとりしたシュー生地が絡み合って美味しい。コーヒーで時折口の中の甘さを流し込みながら食べ進める。七海も家入が食べ始めたのを見て、柔らかいカスタードが零れぬよう、慎重に口をつける。想像以上に美味しかったシュークリームに、七海の顔が少しばかり綻んだ。
「口に合ってよかった。これ、入るなら食ってくれ。」
箱に残った最後の一個。それを箱ごと七海の傍に置く。家入とは違い、まだシュークリームを食べている最中で手で拒否することも出来ない七海は、少しばかり考えを巡らせる。
「知ってるだろ。甘いのそこまで好きじゃないの。助けると思ってさ。」
「……そういうことなら。」
残ったコーヒーを飲み干し、幾分か短くなった煙草を吸い始めた家入。完全に食べる気は無いと言った態度に、七海は素直にシュークリームを受け取ることにした。任務終わりで小腹も空いていたところだった七海は難なく一つを食べきり、最後の一つのシュークリームを口元へと運ぶ。
「誕生日、おめでと。」
「…っ、」
かぶりつく寸前。家入の言葉に驚いた七海は思った以上にシュークリームにかじりつき、手にも力が入った結果、気温のせいで若干柔らかくなりつつあったカスタードクリームが少し飛び出てしまった。その様子に家入は肩を震わせる。
「そんなに驚くことかよ。」
「……自分でも、忘れてたんです。」
「だよなー。去年はそれどころじゃなくて、……祝ってくれるやつもいないもんな。」
まだ唯一無二の同級生を失った傷が癒えていない七海には、その言葉だけで去年の記憶が鮮明に甦る。とてもじゃないが勝ち目のない相手。傷付いていく友人。半身を抱えて逃げるしかできなかった弱く情けない自分。シュークリームを持つ手が震え、クリームがぼとり、床に落ちる。
「……悪かったな。」
「いえ……、家入さんが悪い訳では、」
「あたしも今一人が多くて。シュークリームの賞味期限見たら、お前と……灰原が、誕生日祝おうって言ってたの思い出したんだ。」
ゆっくりと紫煙が吐き出され、クリームの甘さと燻んだ匂いが混ざり合う。
「あたしはここにいることが多いからそうでも無いし、いない時の方が多いけど五条も、夜蛾先生もいる。去年もバカが騒いで祝ったしな。」
「そうでしたね。」
「賞味期限、なんて酷い理由で、オマケにケーキもなくて、貰いもんで、二人きりだけどさ。」
短くなった煙草を空き缶に押し付け、火種を消して中に放り込む。
「七海、誕生日、おめでとう。祝えて良かったよ。」
「ありがとう、ござい、ます。」
鼻をすする音には気付かないフリをして。冗談混じりにロウソク代わりに煙草でも刺すかと家入が提案すると、お供え物みたいだから止めて下さい、と涙混じりの泣いているとも、笑っているとも取れる七海の声が返ってきた。