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    ヒプマイ百物語。

    死んだ人間と話せるという公衆電話の調査を依頼されるバスブロの話。

    『公衆電話』  始まりは依頼を知らせる着信音だった。
    ―ピコピコ
     軽やかなメロディに一郎はスマートフォンを取り出した。三人で依頼を管理しやすいように三郎が作ったアプリをタップすると、依頼一覧の一番上に新規の依頼が表示されていた。
    「うーん……」
     ざっと目を通した一郎は小さく唸る。
     他の依頼もなく、依頼を受ける事自体は問題ない。
     ただ、その内容が問題だった。
    「兄ちゃん」
    「いち兄」
     同じく通知を受け取った二郎と三郎も事務所の方へとやってきた。
    「新しい依頼見た?」
    「どうします?」
    「俺もちょうど考えてたところだ」
     新しい依頼の内容はこうだ。
    【サンシャイン60通りにある公衆電話が死んだ人間と話せるという噂があるので、調査して欲しい】
     夏らしいといってしまえば夏らしい依頼だ。テレビでも怪談の特集が組まれる時期でもある。
     だが、それが自分自身に降りかかるとなると話は別だ。
     二郎と三郎が事務所まで来たのも、一郎があまりこういった類のことを得意としていないことを知ってのことだ。
    「…話を、聞いてからだな……」
    「いいの?」
    「十五時に来るって書いてあるしな」
    「今日はたまたま居たから良かったですけど、居なかったらどうするつもりだったんでしょうね」
     依頼人自身のことを記入する欄はあるが、名前こそ埋められているものの電話番号もメールアドレスもない。依頼の最後に事務所に行くとしか書かれていない。
     三郎の言うことも最もだが、事務所にはいるし、時間もある。何より十五時はあと少しなのだ。ここで追い返すことも出来まいと曖昧に笑ってみせる。
    ―コン、コン
     一郎がそういうならと納得した瞬間、事務所の扉がノックされた。
    『あの、すみません。先程依頼した久地連ですが……』
     くぐもった女性の声に二郎が扉を開ける。
     白いシャツに黒のロングスカートを履いた彼女は、長い髪をゆっくりと垂らし、頭を下げた。
    「突然の依頼、申し訳ありません」
    「いえ。まずはお話を伺えますか?」
    「はい」
     ソファに座った彼女の向かいに一郎が腰掛け、三郎がお茶を置き、ソファの後ろに立つ二郎の横に立った。二人も話を聞こうということだろう。
    「私は久地連新(くちつれ あらて)と申します。お話といっても、先程依頼フォームから送らせて頂いたことが殆どになります」
    「サンシャイン60通りにある公衆電話が死んだ人間と話せる、ということでしたよね」
    「60通りのって、えーっと今はゲーセンと薬局の間のやつ?」
    「そうです」
    「それって壊れてなかった? 壊されたっていうかさ」
    「そういや、黄色いテープ貼られてたな」
     先日アニメイトに行ったとき、ついでにゲームセンターを覗こうと寄り道した一郎は、公衆電話にぐるぐると張り巡らされたキープアウトのテープを思い出した。
     だが、それ自体は珍しいものではない。治安の悪い話ではあるが、酔っぱらいが公衆電話に絡むなり、揉め事なりで、公衆電話を囲うガラスが割られているのはよくあることなのだ。
    「あぁ、また壊されたんですか」
    「よく壊れる理由をご存知ですか?」
     どうせくだらない理由で壊されたのだろうと呆れる三郎は、久地連に突然問われ、内心心臓を大きく跳ねさせた。そうだ、今は依頼人の前だった。二郎が平然と問いかけるものだからすっかり意識から抜けてしまっていた。
    「こう言っては元も子もないですが治安が悪いからでは?」
    「いいえ。違うんです」
    「違う?」
    「あの電話はあの世と繋がりやすいんです。そして、流れ込んでくる向こうの力が大きすぎて耐えきれず壊れてしまうんです」
     久地連は突拍子もない事をさも当たり前のように口にしていた。
    「……」
     一郎は、いや、一郎だけでなく二郎も三郎も何も返せず、事務所にはカチコチと時計が秒針を刻む音が響く。
    「と、いう噂ですよ? ふふっ、信じちゃいました?」
    「あ、あぁ、噂。そうですよね、噂ですよね」
    「それがきっと、死んだ人間と話せるって噂に繋がっているんでしょうね」
    「なるほど。噂は変化しますもんね」
     張り詰めた空気が久地連の笑いで和らぎ、一郎はぎゅっと握ってしまっていた手のひらをゆっくりと解いた。思わず力が入っていたのか手のひらには薄らと跡が残って、汗もかいてしまっている。
     手のひらの汗を拭い、小さく息を吐き出して気持ちを切り替えた。
    「失礼ですが、どなたかとお話されたいんでしょうか?」
    「死んだ、母と……」
    「お母様ですか」
    「親子二人暮らしだったのですが、昨年病気で……。入院していたんですが、私は仕事中だったので母が亡くなったときには会えなかったんです」
     言葉尻がだんだんと小さくなり、俯いた久地連の膝に置いた手の甲にぽたと涙が落ちた。噂でもいい。もし話せるのであればということなのだろう。
     死んだ人間と話せるなんて噂、一郎も信じているわけではない。けれど、だからといって藁にもすがるような気持ちの彼女を無視することはできなかった。
    「わかりました。依頼、お受けします」
    「本当ですか?! ありがとうございます!」
    「……あの、一ついいですか?」
     顔を明るくさせた久地連に三郎が頭に浮かんだ疑問を問いかける。
    「なんですか?」
    「どちらにしろ電話をかけるのなら、僕たちに依頼せず最初から電話してみたらいいんじゃないですか?」
    「三郎……」
    「いいんです。仰ることは最もですから。死んだ人間と話すためには時間が決まってるんです」
    「時間?」
    「えぇ。深夜の三時に電話する必要があるんです。あの通り、真っ暗になるということはないでしょうけど、ちょっと……」
    「確証もなくってことですね。もし、噂が本当なら一緒に行きます」
    「何から何までありがとうございます」
    「丁度今夜空いてますし、調べます。それで、久地連さんにはどうやって連絡したらいいですか?」
    「今、スマホが壊れてしまっていて…、明日また同じ時間に来ます」
    「わかりました」
     ぺこぺこと何度も何度も頭を下げながら、久地連は事務所を出ていった。
     ぱたん、と扉が閉まり、二郎は一郎の隣に腰掛ける。お茶を下げた三郎も向かいに座った。
    「俺、夏休みだし一緒に行くよ」
    「夜遅いし危ないからいいって。俺一人で行く」
    「夜遅いと危ないのはいち兄も同じですよ。僕も行きます」
     久地連の物言いでは怖さも薄れていたが、元は死んだ人間と話せるというもの。いつもならきっぱりと断る一郎も、小さく唸ったあと、観念したように肩の力を抜いた。
    「三人で、行くか……。明日は夕方からだったよな」
    「はい! 帰ってきてからもゆっくり寝れますよ」
    「つーか、三時までってどこで時間潰す?」
    「そうだな、漫喫でも行くか?」
    「いいね! 丁度読みたい漫画があんだよね」
    「仕事ってこと忘れるなよ、低能」
    「うるせぇ」
    「喧嘩すんな、やっぱ置いてくぞ」



     ついでに夕飯も漫画喫茶で食べ、深夜アニメで慣れたものではあるが念のためと仮眠を取り、目が覚めたときにはゆうに日付を回っていた。
    「ちょうどいい時間に起きれたな」
    「だね。そろそろ行く?」
    「あぁ、出よう」
     目的の公衆電話は漫画喫茶から目と鼻の先。会計を済まし、エレベーターに乗り込む。
    「……あの、いち兄」
    「どうした?」
    「眠いなら寝てたら良かったろ」
    「違う、眠くない。さっき、公衆電話の噂を調べてみたんです」
     二人が寝ている間、なんとなく嫌な予感が抜けないままだった三郎はネットの海に潜ってみた。
    「それで?」
    「確かにあの公衆電話には噂がありました。けど……」
    「けど、なんだよ。もったいぶんなって」
    「……死んだ人間と話せるというものではなくて、あちら側に行ってしまうというものだったんです」
    「え?」
     ポーンと音がして、エレベーターの扉が開く。
     いつもはゲームセンターやパチンコの賑やかな音がする一階もこの時間ともなれば静かだ。閉まりかかった扉から慌てて出た三人の頬を温い風が撫でる。
    「あちら側ってなんだよ……」
    「異界。こっちとは似て全く違う世界。死んだ人間の世界とも書いてるものもあった」
     三郎が差し出したスマートフォンに表示されていたものにざっと目を通す。いくつかピックアップされていたページのどれにも公衆電話の噂があったが、その中のどれにも久地連の言っていた死んだ人間と話せるというものはない。唯一共通しているといえば、あちら側と繋がるから壊されやすいという点だけだ。
    「………」
    「…どうする、兄ちゃん」
    「調べてから帰ろう」
    「いち兄?!」
    「もう時間も近いし、明日久地連さんが事務所に来る。連絡できない以上二度手間になってしまうし、調べちまおう」
    「兄ちゃんがそういうなら……」
    「わかりました……」
     時計を見れば二時五十五分。ゆっくりと足を進める。
     平日でも人の往来の多いサンシャイン60通りもこの時間ともなればキャッチもいない。人が居ないと物寂しく感じるものだが、やけに明るい街灯のおかげかそういった印象もない。
     修理されたばかりで、真新しい公衆電話の前に立ち、時間を確認する。二時五十八分。もう時間だ。
     一人で中に入るつもりだった一郎だが、無言で二郎と三郎も中に入ってきた。一人用の広くない公衆電話の中、三人でぎゅうぎゅうになりながら、一郎は受話器を持ち上げ、十円を入れる。
     久地連の話ではそれだけで電話が繋がるということだった。
    「!」
    「兄ちゃん…」
     流れてきたコール音に二郎が弱々しく名を呼ぶ。唇の前に人差し指を立て、一郎は音に耳を傾けた。

    ―プルルル、プルルル、プルルル

     電話先も知らない電話はどこに繋がろうとしているのだろう。変哲もない聞き慣れたコール音のはずなのに、一郎は無意識に生唾を飲み込む。

    ―プルルル、プルルッ

     ぶつりとコール音が途切れる。
     切れたわけではない。繋がったのだ。
    「……もしもし?」
     電話の向こうは無音だ。
     いや、正確には無音ではなかった。微かに物音が聞こえる。
    「もしもし?」
     一郎の呼びかけには答えない。
     だが、微かな物音は段々とその音をはっきりとさせてきていた。
     それは物音ではなく、笑い声だった。受話器を少し離して忍び笑いをしていたが、堪えきれずに段々と声が漏れているような声だ。
    「あはははははははははははははははははは」
     一郎が笑い声だと認識した途端、耳を澄ましていた一郎は勿論、受話器に耳を近づけていた二郎も、その反対側でなんとか聞こうとしていた三郎でさえも、突然大きくなった笑い声を聞いた。
    「あはははははははははははははははははは」
     反射的に一郎が耳から離した受話器から尚も漏れ聞こえる笑い声。
     しかし、楽しく笑っているというよりも、無機質に声を上げているようにしか聞こえない。それゆえに、背中がぞわりと震える。
    「あはははははははははははははは、」
     その笑い声もぶつりと途切れ、ツーツーと機械音が流れる。恐らく十円しかいれていなかったから切れたのだろう。微かに震える手で、ゆっくりと受話器を戻す。
    「なん、だったの」
    「…分からない。けど帰ろう。答えは出た。死んだ人間とは話せない」
    「……そうだね」
     重い足を引きずるようにしながら公衆電話から出て、西口の自宅へと足を向ける。この時間では北口側まで一旦向かわないといけない。
     駅方向へ向けて歩き出そうとして、三郎がぴたりと足を止めた。
    「三郎?」
    「…何か変じゃないですか?」
    「変?」
    「静かすぎる」
    「そりゃこの時間だし」
    「違う! 車の音もしないなんて変だ!」
     ハッとして振り返る。昼間に比べて数は減れど、全く一台も走らないということはない。トラックやタクシーなどが走っているはず。それは向かおうとした正面の道路も同じだ。
     ディビジョンとしているぐらいに見慣れた風景のはずなのに、違和感が拭えない。
    「スマホの電源もつかないです……」
    「……まさか、本当に?」
     久地連の言った噂は嘘だった。
     けれど、三郎の調べた噂は本当だったのかもしれない。電話を通じてあちら側に来てしまったのかもしれない。
     そんなこと現実にあるはずがない。フィクションの世界のはずだ。そう思いたいのに、目に見えるものが否定する。
    「……コンビニに行ってみよう」
    「あ、そこなら」
    「人がいるはずだ」
     少し歩いた先を左に曲がればファミリーマートがある。
     客はいなくとも、店員はいるだろう。ばくばくと煩い心臓の音を無視しながら、コンビニへと向かう。

     期待を裏切られるのはすぐのことだった。
    「すみませーん」
     そう広くはない店内には誰もおらず、声を掛けても誰も出て来ない。スタッフルームの中を覗いても誰もいない。明るい店内の中は人だけが消えていた。
    「いち兄……」
     三郎が差し出したのはおそらくポテトチップスの袋だ。色合いは見覚えもある定番のうすしお味。だが。
    「なんだ、これは……」
    「なに? は? え? なにこれ?」
     読めなかった。
     書いてあるはずの商品名は全く読めない文字となっていて、袋を開けてみても中にあるのは何か黒い塊でポテトチップスとは思えない。
     よくよく店内を見渡せば、よくあるコンビニの陳列物の様相をなしているだけで、そのどれも知らない文字で、中身は知らないものとなっていた。
    「……出よう」
     よくよく外を見渡せば、あちらこちらとある看板の文字何一つ読めない。ここは知っているイケブクロではなかった。
    「ど、どうしよう……」
    「俺たちは帰らないといけない、ってことだな」
    「……どうやって、帰るんですか」
     わかりやすく戸惑う二郎と、静かにけれど一郎を見上げる瞳が揺れている三郎。
     ぎゅっと唇を結び、一郎は二郎と三郎の手を握った。
    「兄ちゃん?」
    「いち兄?」
     ここで一郎まで困惑を見せたら、弟二人を困らせるだけだ。なるべく声を震わせないように平生を努めて口を開く。
    「まず状況を整理しよう」
    「う、うん。あの公衆電話で電話したら変な笑い声がして」
    「僕たちは恐らくあちら側に来てしまった」
    「たまたま車がない可能性もあるが、おかしな文字を見る限り、あちら側に来てしまったと考えていい」
     夢みたいな話だ。いっそ夢であったら良かったのに。
     でも今は現実を見ないといけない。
    「あ、もっかい電話掛けてみるとかどう?」
    「僕は意味ないと思う」
    「なんでだよ」
    「『電話を掛けるとあちら側に行ってしまう』。行ってしまうんだ。行き来できるわけじゃない」
    「一応、掛けてみるか。試すだけでも悪くないと思う」
    「…そうですね」
     公衆電話に戻り、十円を入れてみるも、今度は受話器から何の音もしなかった。何も番号を押していないのだから当然とも言える。受話器を戻すと十円が返却された。
    「だめ、でしたね」
    「あー! どうしたらいいんだよ!」
    「騒ぐなよ!」
    「じゃあなんか良い方法思いつくのかよ!」
    「考えてる! 考えてるけど、そんな、異界を行ったり来たりする方法なんてあるわけないだろ!」
    「行ったり来たり……?」
     何かが引っかかる。喉元まで出かかっている。
     フィクションみたいな話はいつも読んでいるじゃないか。その中に何かあったような気がする。
     思い出せ。何か最近読んだ中にヒントがあったはずだ。
    「…二郎、今期のアニメ、見てるか?」
    「え? う、うん。一緒に見てるじゃん。まぁ、深夜アニメは俺は次の日だけど」
    「だよな。その中にこんな状況なかったか?」
    「いち兄……?」
    「今期の中はなくない? 異世界転生とか学園モノじゃん。それなら、春のアニメ………、あっ」
    「そうだ! 春だ!」
    「あの?」
     二郎と顔を見合わせる。
     春アニメの中、怪談物を取り扱うアニメがあった。怪談といっても古い話ばかりではなく、現代のいわゆるネットホラーを話題にした話があった。
    「エレベーターだ!」
    「エレベーター?」
    「あれなら!」
    「あの! どういうことですか?」
    「エレベーターを使った異世界への行き方ってのがあんだよ」
    「それも一方通行なのは同じじゃないんですか?」
    「アニメだとそうだった。けど、これはネットじゃよくある話で、その中には帰ってきた奴もいる。というか、帰ってきた奴がいないとこの手の話は成立しない」
     本当の話かどうかまでは分からない。
     ただ、今の状況を打破できる手はそれしか思い浮かばない。
    「つーか、ネットなら三郎は知ってそうだけど、知らないのかよ」
    「し、知るわけ無いだろ! そんな話わざわざ検索しない!」
    「ふーん」
    「何だよその目は。もういい! それで? その方法というのは?」
    「今、思い出してる……。最初は…四階だったか?」
    「確かそのはず。で、次は二階、六階」
    「最後に一〇階。その後に、五階だ」
    「五階で女が乗ってくるから、一階を押すと」
    「一〇階に上がっていく」
    「細かいんですね……」
    「あぁ。問題は一〇階以上のエレベーターがどこにあるか…」
     ぱっと思い浮かぶのはサンシャインだが、商業施設はそう階数もなく、企業が入っているスペースは高層階行きのエレベーターはあっても一〇階以下を行き来できるのか確証はない。
    「…西武は、どうですか。確かロフトは十二階まであったはずです」
    「西武か」
     深夜は西武はおろか、駅への入り口も閉まっているはずだ。
    「……行ってみるか」
     シャッターが降りているだけならば、通用口を見つけて壊すなりして入れるかもしれない。入れなかったら次を考えればいい。二郎と三郎が頷き、駅の方へと足を向ける。
     やはり、車は一台も走っておらず、それどころか信号も変わる気配もなかった。一郎たちが住む世界を鏡写しのように模しただけの世界。知っている景色と瓜二つ変わらない分、奇妙でしょうがない。
    「あ……」
     まるでそれは一郎たちを待っていたかのようにぽっかりと口を開けていた。
     消えているはずのイケブクロ駅と書かれた緑の文字が光り、その下で降りているはずのシャッターが開き、煌々と明かりを漏らしている。けれど、開いているのならば僥倖と思うしかない。
     そのまま階段を降り、左側の通路を歩む。通路には化粧品の広告が並んでいるが、やはり文字は何一つとして読めない。女優の笑みに薄らと怖さすら覚える。
     突き当たりを左に、そしてすぐに右方向へ。そのまま真っすぐ行けば西武線の改札だ。その手前、やはり降りているはずのシャッターが開いており、その先にエレベーターが見える。
     三人を待ち受けているかのようにエレベーターの扉も開いていた。
    「……行こう」
     エレベーターに三人が乗るのを待っていたかのように扉がゆっくりと閉まる。
     二郎、三郎と視線を交わし、一郎は四階のボタンを押した。
     エレベーターは静かに数字をカウントしていき、四階で扉を開ける。電気の落とされたフロアが目の前に広がる。
     余韻に浸る暇はない。二階、六階とボタンを押し、着いては閉めを繰り返す。
    「ロフトの一〇階って行けたっけ?」
    「は?」
    「いや、今ふと思ったんだけど、ロフトって一〇階はエレベーターじゃいけなくない?」
    「俺もそう思ったんだけどよ。押せるんだよな、一〇階」
     普段は点灯しないはずの一〇階のボタンが光る。やはりここは現実ではないのだ。
     一〇階のフロア。やはり電気はついておらず、本来開かないはずのフロアがどこを模したのかは分からない。けれど今はそんなことを深く考える場合ではない。
     次は問題の五階だ。一郎の指先が五階のボタンを押した。エレベーターが下がっていく感覚がする。誰かが生唾を飲み込んだ。成功するならば五階で女が乗り込んでくるのだ。
    ーポーン
     この短い間に何度も聞いた音がして扉が開く。
    「!」
     女だ。髪の長い女が俯いたまま乗り込んできた。
     どうやらエレベーターでの異世界の行き方は成功している。
     けれど。
     けれども、それなりの広さのあるエレベーターとはいえ、知らない女と乗り合わせている。安堵する余裕などなく、三郎の心臓はばくばくと煩い。
     女の方を見ないようにしていても、視界の端で黒い髪が動く。
     動いていた。
     女はゆっくり、ゆっくりと振り返り、長い髪の隙間から、ぎょろり、と瞳を覗かせようとしていた。
    「っ!」
     思わず声を上げそうになった瞬間、三郎の口は手のひらに塞がされた。視線を上げれば階数表示を一心に見つめる二郎がいた。
     そして、女と三郎の間に割り込むようにして、やはり階数表示を見上げる一郎が立っていた。
     二人の視線につられるように、三郎も階数を見上げた。
     一郎が一階を押しているにも関わらず、数字はゆっくりと増えていく。エレベーターは上がっていっていた。
     一〇階に差し掛かるその瞬間、停電が起こり真っ暗になった。
     それも一瞬の話で、扉がゆっくりと開く。
    「え?」
     開くはずのない一〇階のフロアが広がるはずだった。
    「お客様?」
     一郎の向こうから戸惑った声がする。
    「あ、あぁ、すんません。降ります」
     エレベーターを降りる一郎に続いて降りたのは先程乗り込んだ地下一階フロアだった。
     ざわざわと人が行き交い、どうやら元の世界に戻ってきたらしい。
    「……戻ってきたん、だよね」
    「多分」
     ポケットからスマートフォンを取り出す。今度は電源がついて、一〇時半を示していた。
    「……七時間も外に居たんですか、僕たち……」
    「…時間の経過もバラバラっていうしな……」
    「……ひとまず、帰るか」
    「帰って寝たい……」
    「そうだな……」
     のろのろと朝の通勤時間を少しだけ過ぎた、けれど人の多いイケブクロ駅を歩いて行く。
    「あれ?」
    「どうした?」
    「依頼が、消えてます……」
     電源が切れていた間に依頼が来ていないかと確認すると、一番上にあったはずの久地連からの依頼が消えていた。一郎も、二郎もスマートフォンを取り出し確認するが、やはり見たはずのものがなくなっている。
     三人は顔を突き合わせ、頬をひくりと震わせる。
    「忘れよう」
    「そうだね、兄ちゃん」
    「あ、朝ごはん、買って帰ります?」
    「そうしよう。マック行こう」
    「いいね。久々だなぁ」
     空元気な会話を交わしながら、足早に歩いて行く。
     早く帰って、飯食って、眠って、忘れよう。その一心だけが三人を動かしていた。



    ーピコピコ
     新着依頼一件
    【異世界へ連れさる女を探してほしいんです。友達がその女に唆されていなくなってしまいました。女の名前はクチツレアラテ。この名前アナグラムになってるの分かりますか。あちら、つれてく。だから本名じゃないかもしれません。だけど、大事な友達を連れ戻したいんです! お願いします!】
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