2025-03-26
「決断力があってよろしい事で」
ベランダに括りつけられたロープを見て、ビクトールは肩をすくめた。少年兵の部隊が何者かに襲われて全滅した。ハイランドはミューズの傭兵のせいだと言い、それにミューズ市は反論こそして見せたが、傭兵たちに全面的な信頼をおいているわけでは無さそうだった。ハイランドとの休戦協定が守られるなら、傭兵部隊の一つ二つ、いけにえに差し出しても惜しくはない。副市長をはじめとした正規軍の連中がそんなことを言い出したら、面倒がまた一つ増えると言うものだ。
そんな中で、件の少年兵部隊の生き残りと称する子供を拾ったのは僥倖だった。あれはハイランドの狂言だ。ここにその証人がいる。一応ミューズに捕虜の報告を上げ、ハイランドの言っている事は全部でっちあげだ、と言い切ってはいるものの、何しろ子供の証言だし、ハイランドの人間であると証明する術がない。
なんとなく嫌な気配がある。戦争の匂いがどんどん深く、濃くなっている。ミューズが傭兵隊を斬り捨てるかもしれない。その時に自分たちの身の安全など、誰が保証してくれるというのか。
近いうちにハイランドへ人をやらねばならないな。とは思っていた。そんな折に、子供を、タイラギを助けるためにもう一人の生き残りが砦に忍び込んできたのだ。
「ちょっと待てって言ったつもりだったのによ」
捜索隊を適当に編成していたはずのフリックがベランダに顔を出した。
「タイラギはともかく、あのジョウイってやつがそんな言葉を信用するかよ」
「してほしかったねえ」
タイラギの言を最初から疑わなかったし、食事も皆と同じものを提供していた。まあ多少粗末だったかもしれないが、休戦協定の成った国の傭兵には金がないからそこは飲んでほしかった。少なくとも、捕虜とは名ばかりで新入りと殆ど同じような扱いをしていたはずなのだ。
フリックもロープを一瞥し、ビクトールと同様に肩をすくめた。
「最初っから決めてたんだろ。一旦は戻らないと納得しないぜああいう手合いは」
「姉ちゃんがいるとか言ってたしな」
「無事だといいんだがな」
タイラギもジョウイも、今のハイランドにとって急所と成りえる。崖から飛び降りて死んだだろう、で済まされはしない。
確実な死を齎すために、家族を人質にとるぐらいは当然考えられる手段だった。
ハイランドが二人の永遠の沈黙を望むならば、自分たちは二人の命を守る必要がある。子供を奇襲で斬り捨てた。しかも休戦協定が結ばれた後に、ただ殺戮を楽しむためとさえ見えるひどいやり方で、だ。
そんなものを真実にされてはたまったものではなかった。
夜はまだ深い。逃げ出した子供たちが、今はどこか安全なところにいればいいが。
「フリック、お前もう行くのか」
タイラギもジョウイも兵士とは言え、土地勘もない場所を行こうと言うのだ。燕北の峠は今閉鎖中でもある。そう簡単にハイランドへ戻れるとも思えない。夜が明けてからでも良くはないか。
「子供らより先にキャロに着きたい」
燕北の峠を封鎖している正規軍を丸め込んで、潜在的な敵国へ入り込む。
傭兵隊にとって、無実を証明するための手持ちのカードはタイラギ達の存在だけだ。彼らが嘘をついているなどと言う気はないが、あまりにもか細いカードではある。キャロに何があるかは分からないが、このまま手をこまねいているよりは面白いものが見つかるに違いなかった。
「泥棒の真似事かよ」
「泥棒だよ。何言ってんだ」
キャロにはユニコーン部隊の本拠地があるらしい。そこに忍び込めばきっと何かわかるだろう。子供たちの安全を守るのも大事だが、自分たちへのあらぬ疑いとて晴らさねばならない。
「お前はキャロに行ったことあるのか」
捜索を命じられたとはいえ、適当でいいとも言われたらしい傭兵たちが庭から三々五々森に出ていっている。忍び込みに逃亡騒ぎと、まったく今日は久方ぶりにあわただしい一日だ。
「ねえなあ。俺がガキの頃はまだハイランドといや敵国だったし」
フリックに昔のことを聞かれて、まるで何もなかったかのように答えるのも日常だ。フリックは一切の特別扱いをしない。
「使えねえな。敵国なら猶更置き去りにされたりするだろ」
「お前んとこの特殊環境と一緒にすんな。こちとら一般人だぞ」
「お前に土地勘がないなら仕方ないな。朝までには出るけど、お前はどうする」
「じゃあ俺も行こうかな」
フリックを信頼していないわけではないが、今のハイランドの空気を知っておきたかった。よく知る子供たちを殺されたキャロの人間たちが、どれだけ怒りを抱えているか。そしてそれをハイランドがどれだけ煽っているのか。
知っておいて、アナベルに伝えておいて損はない。まだ人を殺す段階になっていないだけで、多分戦争は始まっている。終わらせたつもりで、終わっちゃいなかったというわけだ。
「あんまり良くねえ感じがするんだよな」
「……お前の悪い予感は当たるからな」
それはまったくその通りで、二人はそろってため息をついた。