2025-07-07
竜口の村ならば確実に通過する。だからそこで待っていればいい。
そういうシュウは、口ぶりこそ平静だが見たことがないほど青い顔をしていた。ゾンビが山を越えてくるという流言が流れているからか、小さな村は静まり返っていた。よそ者が三人、借りた家に身を隠していてもだれにも咎められはしないのは好都合だ。
逆に言えば、好都合なことなどそれぐらいしかない。飛ぶ鳥を落とす勢いの新同盟軍の正軍師がこんな小さな村にいる事そのものには何とか理屈がつけられるかもしれないが、その顔色の悪さは見るものを不安にさせるには十分だ。目の下のクマも、いつもは整られた黒髪の乱れも、何かがあったとしか思えない。
ビクトールから報告があってからずっと起きている軍師のために、フリックは適当に寝床を整えた。
「ちょっとでいいから寝ろ」
椅子に浅く腰かけたシュウはフリックに視線もむけない。虚空を見つめる軍師に向け、これ見よがしにため息をつく。正軍師よりもよほど肝の据わったところのあるアップルが、それを見て立ち上がった。
「お茶でももらってきましょうか」
今は待つのが仕事のうちだ。部屋の窓から見える山道への入口にはどこか緊張した風情のティント兵が控えている。
アップルが部屋を出た音に、シュウはゆっくりと目を閉じ、そして開いて大きくため息をついた。
「情けない」
「ただの寝不足だよ。昨日から寝てないだろ」
ただでさえあんたは睡眠不足気味のくせに。
合わせた掌に震える唇を寄せる。噛みはしないのは、跡が残ることを厭うからだ。
タイラギを連れ戻さねばならない。連れ戻して、何事もなかったかのようにふるまわねばならない。そうでなければ、今まで積み上げたものが全部水泡に帰してしまう。
「シュウ」
「寝られるわけがないだろう」
「寝るんだよ。寝不足で正常な判断ができるものか」
「単なる子供を軍主に祭り上げて、耐えきれぬと逃げたのだ」
声を荒げる事もない。合わせた指先が真っ白だ。フリックは眉を寄せて髪をかき回す。
「俺は何を間違えた」
ゲンカクの養子、真の紋章を宿した子供。ハイランドから逃げ、なんの後ろ盾も持たぬがただ成り行きとして武力だけは持っていた。シュウがずっと考えていた、この地に統一国家を作るなら、今しかないと思ったのだ。
この子を祭り上げ、ジョウストンとハイランドを打ち壊して一つにする。それが長く続く平和への近道となると信じた。
タイラギも、きっと分かってくれる。分かったうえで、シュウの傀儡になっているとなんの根拠もないのに信じたのだ。
シュウはまた大きくため息をつくと、つよく目を押さえた。吐いた息は熱く、情けなく震えていた。。
タイラギを追い詰めたいわけではない。だがそもそも子供に背負わせていい重みではない。そんなことは百も承知で、彼の荷が少しでも軽くなればと願っていた。そのために動いたつもりだった。全部つもりでしかない。
動きもしないシュウを眺めていたフリックは、整えたベッドから毛布をはがすと軍師の頭に覆いかぶせた。遠慮のない動作に、軍師は視線を上げる。
「俺は外に出てる」
ここではあまりにも死角が多い。ゾンビが山を越えないという確証はどこにもないし、タイラギたちを見逃しても面倒だ。
軍師の後悔は軍師のものでしかないと、フリックは言葉にせずに言う。彼にはやるべき事がある。
毛羽だった毛布はお世辞にも触り心地が良いとは言えないが、冷えた体をそのまま晒しているよりはよほどいい。
タイラギには戻ってきてほしいが、戻らなくても戦は続く。ならば自分がここで丸まっていていい理由にはならない。
何を間違えたのか。間違っているとしたら、統一国家など夢見たことだ。
自分なりに、タイラギを慈しんだ。敬意を払った。その結果が今だとしても、まだ確定はしていない。
「あの子は戻ってくるだろうか」
この戦いの最初から、まだタイラギが何者でもなかったころからそばにいた男は、小さく笑った。
「投げ出すような奴ではないと思うがな」
「……俺もそう思っている」
リドリーを死なせ、皆の信頼を裏切った子供に対する評価とは思えぬと言われても、シュウに取ってタイラギはまだ仰ぐに値する主だ。