2025-07-11
穏やかな昼下がり、商店街をぶらぶらと昼食を求めて歩いていたビクトールはタイラギの声に振り返った。
「ほら、ビクトールさんですよ」
誰かに軽く紹介している言葉だ。またたきの手鏡をトランから貸与されて以降、戦況が落ち着くと軍主は時に共も連れずにふいにどこかへ行ってしまう。シュウに毎回小言を言われているはずだが、強く出きれないのはシュウの少年に対する罪悪感が故だろう。子供らしいことを奪っている以上、少年の欲求は出来る限りかなえたい、と軍師はいつか言っていた。
人ごみのむこうで、タイラギが振り返ったビクトールに手を振っている。その隣には同じような背格好の少年がいた。ビクトールを見て、目を細めて唇の端を上げたがその目は一つも笑ってはいない。
背筋にぞっと寒気が走って、一瞬見なかったことにして立ち去ろうかとも思ってしまった。だがそんなことをしても、彼がけして自分を、というか自分たちを逃がしはしないなど分かっている。
人ごみを分けて、少年たちがビクトールに近づいてくる。タイラギはまるで無邪気にビクトールを見上げて言った。
「ビクトールさん、僕、バナーに行ってたんですけど」
「行くのはいいけど、せめていつ帰るかぐらい言ってからにしてやれよ」
シュウの胃腸を慮っていえば、タイラギは元気よく頷くだけ頷いた。わがままなのか試し行為なのか、タイラギはこればかりはまるで聞き入れない。
「そしたらね、ほら、誰だと思います?」
いたずらっぽく笑うタイラギと、静かに、ただ静かに笑んで見せる少年を等分に見やって、ビクトールは何とか言葉を探した。
「……古い馴染みだよ」
少年の眉がピクリと動き、間違えたことを知る。
「タイラギ君言っただろ」
少年は小さく笑って下からビクトールをねめつけた。タイラギとは全く違う、上に立つ者の目をしている。三年前はビクトール自身の視野も狭まって、彼が背負うものや背負うべきだったものから目を背けていたが、今にして思えば残酷なことをしたものだ。
「こいつは実に薄情な男なんだよ」
「そうなのかな。僕には優しいですよ」
ビクトールはため息を共に両手を上げた。空いた腹に少年はまるで容赦なく拳を打ち込んでくる。じゃれあいに見えるギリギリの強さに、ビクトールは腹に力を込めて耐える。
「古い馴染みで済ますんじゃない。僕はね、お前を許した覚えはないよ」
「恨みがあるんですか?」
「セキア」
少年の名前を呼ぶ。セキア・マクドールはふんと鼻を鳴らした。
「こいつは盗人なんだよ」
タイラギが目を瞬かせる。
ビクトールはおろした手でそのまま頭をかいた。言葉が悪い。人聞きも悪い。あくまでもセキアの逆恨み。いろんな言葉が浮かんでくるが、今それを言っても受け入れるはずがない。
「好き放題して、最後には消えて、お前、僕がどれだけ」
ぐ、とセキアは息を詰まらせた。タイラギが目を見開く。ビクトールはと言えば、振り上げられたセキアの手をただ受け止めるばっかりだ。
手袋をした右手で、つよく胸を叩かれた。あのとき、フリックに引かれたセキアが伸ばした手はビクトールには届かず、ただ握りしめられていた。
子供の顔にふさわしい大きな目から涙がぼた、とこぼれた。ぼたぼたぼた、と拭いもせずにセキアは何度もビクトールの胸を殴りつけた。
「悪かったって」
戦争の中で親も親友も下男も近しいものを多く失った少年を置いていったのは本当だ。あの時はそれでいいと思った。自分が必要だなど欠片も思わなかったことそのものがセキアにとって許しがたい暴挙だと言われれば、反論ができない。
タイラギは困惑してビクトールを見る。息を切らしたセキアの肩をなでれば、思い切り振り払われた。
「あいつは?」
涙の滲んだ目がまっすぐにビクトールを射抜く。ごまかしも嘘も許さない迫力は昔から変わっていない。
「さあ、今日は会ってねえな」
忙しい奴だから、と言いかける。
「そこは誰のことだ? って聞くんだよバカが!!」
振り上げた足で脛を思い切り蹴られて、ビクトールはうめき声をあげた。