外は乾いた風が吹いている。強い太陽が外ばかりを光らせ、室内はしんと静かな影の中だ。要塞内の一番奥、司令室には半日ほど前にはここの主だった男と、いまこの時ここを支配している少年とその軍師だけがいる。
「全部見てってくれて構いませんよ」
明かりのそばに焼け跡もなく、書棚はきれいに整頓されている。何一つ損なわずに明け渡された部屋の真ん中でグリフィスは両の手を軽く広げた。
なにもかもを、明け渡している。それは明確な裏切りであるのに、彼はその後ろ暗さを見せようとはしないのだ。
「ずいぶんとお優しいんですね」
マッシュは書棚から台帳を一つ取り出した。そのためらいのない動きに背筋を強張らせたのはセキアだけだ。グリフィスが肩を竦めた。
「まあ今さら帝国に尽くす義理もなし」
自嘲気味に口角を上げた顔は仮面のようだ。軍人らしからぬ長めの髪が乾いた空気に揺れた。
「こりごりなんですよ。自国同士で殺し合うような戦いで死ぬなんて、無駄死に以外の何物でもない」
静かで乾いた、怒りの声だ。
マッシュが捲る台帳を覗き込めば、軍の出動記録だった。解放軍相手ではない。頻発する小さな反乱の鎮圧の数といったら、この国の末期を示すのには十分だった。
「俺たちは部下に死ねと命じるがね、だからこそ背負うもんがあるだろ」
セキアとて知ってはいた。解放軍に声を掛けるものも、解放軍が火の手をつけたものも煽ったものも、全く無関係に立った者たちさえもいる。ただ記録され客観となった数はその静けさゆえに重い。
ため息を噛み殺す。マッシュが静かに帳面を閉じた。
「この国はもう……本当に終わりだな」
それでも漏れたセキアの独り言に、グリフィスは低い笑い声を上げた。
「あんたがそれを言うのかい」
下から覗き込んでくるような、心の底を見透かすような、値踏みの視線だ。お前は俺たちの忠誠を捧げるに足るのか。民の、空恐ろしいまでの期待の、願望の目だ。
「兵の死をあんたらなら意味のあるものにできると思ったから、俺は乗り換えたんだ」
失望の色を分かりやすく乗せてくるのは警告だからだ。あまり心をさらけ出すな。それはお前に許された贅沢ではない。
「終わらせてくれると信じてるぜ」
グリフィスはもう決断した。信じるものを乗り換えた。それに値するよう振る舞い続けるのはセキアだけが背負うべき重荷だ。
裏切りを受け入れた以上、どれだけ苦くても微笑んでそれを受け入れる義務がある。煽った責任は他の誰が取れるというのか。
何度、この立場の重さを突きつけられれば魂に刻まれるのだろう。語るべき言葉が選ぶべき表情で、ふさわしい口から出てくるのは一体いつになるのだろう。
頬は赤くなっていないだろうか。それを確かめるすべもなく、セキアはすべてをなかったことにして笑みを作った。
「全くだな。これからは頼りにさせてもらうぞ」
マッシュはただ黙ったまま、新しい帳面のページをめくった。セキアが背負うものをすべて知っているからこそ、余人には何もできない事も彼は知り尽くしている。
言ったグリフィスこそ眉をひそめ、視線を彷徨わせ、そうして居心地悪く髪をかき回した。
「それでは始めましょうか」
北方を手に入れなくてはならない。そうしてこの国をさらなる終わりへと導く。兵の命の使い方を決めるのが今、この場の目的だ。
セキアは頷く。グリフィスは居心地の悪そうなまま鷲鼻をかいた。
三人きりの会議はつつがなく終わり、解放軍の主は踵を返した。それを抑えるように、グリフィスが片手を上げた。
「一個だけいいかい、セキアくん」
思わぬ呼ばれ方にセキアは目を瞬かせた。その顔に、グリフィスはまるで自嘲するように息を漏らした。
「さっき俺は君に立場を求めた。それは君の立場なら当然持っていてしかるべき覚悟と信じるからだ」
「ああ、分かっている」
「俺だって関所の主だ。小さい山とて一番上がどれだけ孤独か、多少なりとも知っている」
だれも助けてはくれないし、だれも責任を取ってはくれない。
「僕は」
「ああ違う。君を責めようってんじゃない。ただマッシュさん、あんたも含めて」
かつて大将軍の息子と言われた軍主と、北方の守りの要として動いた軍師。そして関所守りが今は誰もその立場にいない。
なにもかも、誰も彼も。
寄って集って帝国を、その手で打ち倒そうとしている。
帝国という大きな山のてっぺんに手をかけようとしているのだ。
「もし俺たちが、俺たちのうちの誰かたった、たった一人でも……」
一番上で待っているだろう人に寄り添えていれば。
沈黙が落ちた。