2025-05-30
軍を立ち上げてから組み上げてきたシステムがうまく回り始めたのと、マチルダが加わったことで単純な人手が増えたこと。その二つを大きな要因として、俺たちの殺人的な仕事量はなんとか手に負えるぐらいになっていた。飯はちゃんとそれっぽい時間に大概食えるし、風呂も冷める前にゆっくりとは入れる日がたまにある。
だが不満がなくなったわけではない。
たとえば、しばらくフリックと二人で酒を飲んでいないとか。
歩兵部隊の訓練を終え、飯と風呂の前に自室まで戻ろうと兵舎に足を踏み入れたところでマチルダのトップ二人と立ち話をするフリックを見かけた。二日程前から部屋に戻ってこなかったから、どうせマチルダとの本格的な合同訓練にでも出ているんだろう、と踏んでいたが、それはまさしくその通りだったようだ。
戦場での役割がまったく違うから、仕事が立て込めば顔を合わせる事そのものが減ってしまう。ちゃんと一日一回、自室に帰るかどうかさえ怪しかった時期と比べれば多少はマシになったとはいえ、だ。
俺の姿を認めたのは、カミューが最初だった。華やかな笑みを浮かべて俺に手を振り、他の二人はそれに合わせてこちらに振り向いた。マイクロトフが生真面目に深めに頭を下げる。
「ビクトールさん、お疲れ様です」
「おうよ」
歩幅を変えないようにほんの少しだけ気を払う。フリックの隣はマイクロトフが占めていて、それに割って入るだけの度胸はなかった。
「お前、仕事終わったところか?」
シュウに報告するんだろう資料を抱えたフリックは、多分まだ仕事中だ。羨ましそうな声音に、俺は望まれるように頷いてみせる。さっさと終わらせて戻って来い。そしたら久しぶりに一緒に。
そこまで考えていたと言うのに。
「軍師殿への報告の後、ご飯でもいかがかという話をしていましてね」
まったく崩れず、それでいて作り物感のない笑みでカミューが言った。胸を軽く小突かれたような気分になったが、俺に何をいう権利があろうか。これから長く一緒に戦っていく奴らだ。親交を深めて悪いことは何もない。
「ビクトールさんもぜひご一緒いたしましょう」
マイクロトフが力強く言った。フリックはと言えばどちらでも良いという顔をして、俺を見ている。
一緒に二人で酒を飲んだの、いつが最後だったかな。
軽く肩をすくめ、へへと笑ってみせる。
「俺も部隊のやつらと飯食うことにしててさ」
訓練後にねぎらいも兼ねて晩飯を共にするなんて、お互いによくある事だ。フリックは一つ瞬きをし、首をほんのり傾ける。カミューがその薄いリアクションに、同じく薄く反応するが、ぜんぶマイクロトフの元気なレスポンスにかき消されてしまった。
「なるほど先約が。残念ですが、いたし方ありませんね」
「また誘ってくれや。二人とも、何が好きだ?」
「私はそうですね、ワインをたしなみますよ」
「俺は肉が好きです!」
イメージ通りの好物だ。いくつか城内の店が思い浮かんだが、それもまた後日の話だ。
「じゃあお疲れ」
後ろ髪を引かれていることを悟られては流石に恥ずかしい。部隊の奴らと約束をしているわけではないが、たむろしている店に行けばどうせ混ざる事ができるだろう。
踵を返して歩き出した俺の名を、フリックが呼んだ。立ち止まるのと、駆け寄ってくるのはほぼ同時だ。手招きされて耳を寄せる。
「しばらくお前と飲んでないな」
目を瞬かせた。まさか同じような事を考えているとは。自分の顔に、小さく、だが深く笑みが浮かぶのが分かる
「飲みてえよな」
「そうだな」
別に何か特別な事があるわけでも、とっておきを開けるわけでも、美食を探してくるわけでもない。今更改めて話すことがあるわけでもないとお互い分かってはいる。だが、二人で翌朝にはさっぱり忘れているような他愛ない会話と、自分の好みにだけ合わせた酒を顔をつき合わせて飲む時間はやはり楽しみだったのだ。
「今度、な」
「俺とお前が飲むのにわざわざ予約がいるなんて、まったく宮仕えはこれだから」
顔を見合わせて、一緒にけらけら笑った。
今日の所はそれだけだ。それだけで十分だ。