2025-06-07
ラダトに偵察に行くと簡単に言ったって、行って帰って一日はかかる。城からビクトールさんと二人で出発して、サウスウィンドウで一泊するのが普通の工程だ。
「飯、あれが食いたいんだよな」
ビクトールさんが出してきた名前は、定宿にしている宿屋から五分ほど歩いた賑やかな定食屋さんの看板メニューだ。ジューシーな唐揚げに野菜たっぷりの餡がかかっているもので、少し甘めの味付けがご飯を進ませる。僕も食べたくなってきて、二つ返事で頷いた。
サウスウィンドウまではまだハイランドの手が回っていなくて、物資も人もきちんと流れていた。一人二人待っていた定食屋さんに二人で並び、他愛のない話をする。僕がマチルダに行っていた間の笑い話とか、ビクトールさんが旅をしていた間に体験したちょっと怖い話とか。
僕が聞き役に回って、ビクトールさんが面白おかしい話をする。笑いを抑えるのが大変だった。ビクトールさんは大変な話し上手で、少し距離を取ってみればもしかしたらシャレにならない事をやっているのだとしても、全部まるで物語みたいになってしまう。
十分も待たない内に順番が来て、僕らは店の中にはいる。いちおうメニューは広げたけど、ビクトールさんがあんまり嬉しそうに餡掛け唐揚げ定食を注文するから、僕も釣られてそれを頼んだ。一緒にご飯も大盛にしてもらう。
「怒られたんじゃないんですか」
「怒られはしてないだろ」
デブだなんだと、フリックさんにド直球で怒られていたのを知っているからそう言ったんだけど、ビクトールさんは笑い飛ばした。あれは半分ぐらいフリックさんのコンプレックスだって。そうかな、どうかな。
隣の席から、ラダトの噂が聞こえてくる。僕らは耳をそばだてる。相手がキバ将軍だとか、占拠こそされてしまったけれどハイランドは無体なことはせず、ラダトは平穏そのものだとか。
それは良かったな。じゃあミューズはなんだったんだろう。僕らはこれから、あの清廉潔白で忠誠厚いと噂されていたキバ将軍と戦うんだ。何ができるだろう。僕は、皆の前できちんと胸を張らないと。
ぎゅっと両手を握った。
「甘いもの、タイラギはなにがいい?」
ビクトールさんがいきなりメニューを再度広げて見せた。まだ定食さえも来ていないのに、気の早いことだ。こないだ来た時よりも数品品が減っているような気がした。戦争をしているからだ。
終わらせたほうがいい。終わらせることが僕には出来るんじゃないか。
「タイラギ」
柔らかくて優しい、響きの良い声が僕の名前を呼んだ。確かにメニューを見つめていたのに、僕はまたあらぬ事を考えている。ビクトールさんがそれを引き戻す。
「あんこ、食べたいです」
「じゃあしるこするか。俺も同じにしよう」
店員さんを呼び止め、追加オーダーをするビクトールさんをぼんやりと見やる。目が合って、いたずらっぽく笑われた。ご飯をたくさん食べて、豆の甘いのを食後に食べる。眠たくなりそうだし、寝たら太りそうだ。
「太りますよ」
「動けばいいんだよ」
似たような会話をフリックさんとしょっちゅうしてるんだろうな。ビクトールさんの返事には淀みがない。
お待たせしました、の声の元にやってきた定食二つは、からあげが少し小さくなっていた事をのぞけばいつもの通り。おいしそうだ。
食べながらビクトールさんがこれからの事を説明してくれる。ラダトに行って、入れそうなら入ってみて、一回りして様子を見る。僕は頷く。
こうだったらどうしましょうか。それはこう。
もしこんなことになったら? それにはあの手がある。
僕の疑問にビクトールさんは全部答えてくれる。僕はそれにすっかり安心してしまって、最終的にはご飯をお代わりして、ふくれた腹を抱えて宿まで帰ることになってしまった。
「ビクトールさん」
お風呂を使わせてもらって、後は寝るだけ。いろいろと心配事はあるけれど、今は大丈夫。
「ん?」
振り向いたビクトールさんに僕はちょっと笑って見せる。
「気を使わせちゃってすみません」
宿を決めたのも、ご飯のお店を決めたのも、今日は全部ビクトールさんだ。僕が好むように、でも考えなくて、決めなくて済むようにしてくれた。ちゃんと気づいていますよ。そしてそれに今、僕は甘えていたくて仕方ない。だって今は僕とビクトールさんしかいないんだ。
ビクトールさんは一瞬ひるんだみたいだったけど、唇を歪めるようにして笑ってくれた。がしがしとつよく髪の毛をかき回す。
「今ぐらいはな」
僕はもっと大事な事を決めなくちゃ行けないときがきっと来る。でもそれは今じゃないから、お宿もご飯も甘いものも、いまだけはこの人におんぶに抱っこで構わないんだ。
構わないし、構わないと言ってくれてとても嬉しい。
「ありがとうございます」
ビクトールさんが手を伸ばして僕の頭を撫でてくれた。