「その件は私から」
役人たちからビクトールへの質問に、フリックが応えた。白いシャツにタイをゆるく結んだ格好は居並ぶ役人たちとそうは変わらない。居心地の悪いふかふかの椅子から立ち上がる様をなんとなしに見上げていると、フリックの指先が会議の進行を示すかのように書類の一点をさした。
その間も、ミューズへの報告はよどみなく続いていく。
まったく何をさせてもそれなりに取り繕ってしまう男だ。
傭兵隊とてミューズの正式な組織の一部だ。定例会議への出席は義務付けられている。毎月何を成し、いくら金を使い、次に何を行うのか。自分たちの存在意義は自分たちで示さなければならない。
面倒この上ない。だからと言って、出席しなければ自分たちを推したアナベルの名前に傷がつく。それもまたビクトールの本意ではなかった。
だから毎月毎月こうして会議への出席をしているのだが、ビクトールが直接しゃべったのなど本当に最初だけだ。二度目、どころか最初の会議の二言目から、「副隊長」とやらの権限をでっち上げたフリックがその任をすべて負っている。
傭兵隊など不要なのでは、と幾度となく議題に上がり、そのたびにハイランドの脅威論を唱えてはいる。毎度毎度飽きもせず、ご苦労な事だ。
「我がミューズの財政もさほど豊かではない。ハイランドとの戦争にばかりかまけてはおれんのだ」
「だから軍備を縮小すると。まず、無駄飯ぐらいの傭兵から?」
フリックが浅く笑う。それだけで役人は息を詰めた。
「ハイランド軍の規模が縮小されたという話、少なくとも私の耳には入っていませんね。ルカ・ブライトが軍を掌握した、」
よく通る声を、役人の一人が慌てて遮った。ここはあくまで定例報告会であり、ミューズの方向性を大きく左右する場ではない。様々な意見は市長へ正式に提言するように。
大きな都市の大きな議会は、その巨体に相応しくゆるりと動く。
「ハイランドへの警戒は常の通りでよかろう、と言っているのです」
「……皆様が納得されているなら、私からあらためていう事は何も」
長年敵対しているハイランドと休戦協定を結ぼうという動きがある。あくまでも噂程度だが微妙に強くなっている傭兵隊への風当りからするとあながち根も葉もない事もなさそうだ。
素性の知れない、市長の道楽。単なる戦争屋に、この都市の何が分かるというのか。
音も立てずに着席したフリックに嫌悪や忌避の視線がささる。その中の何割かは不安だろう。ハイランドと比して、ミューズの防備が甘いのは確かだ。これで傭兵が機嫌を損ねてしまえばまたその差は開くばかり。
信用は出来ないが、裏切られてはたまらない。そう言いたげな顔を見回して、ビクトールは内心おかしくてたまらない。
益体もない報告を終えた二人はいつものように議場からさっさと退散した。絡んでくる連中はもう殆どいないが、悪口を言いたい奴らは山ほどいるからだ。
それぞれの職場に戻る役人たちはそれぞれにため息をつき、やまとある仕事へ帰っていくのだろう。自分たちはとりあえず、今日のところの仕事は終わりだ。
「今月もおつかれさん」
「やってらんねえよな。あいつら、平和ボケもいいとこだぜ」
その言葉に、周りの若い連中がぴたりと動きを止めた。顔を見合わせ、不安げに頷きあい、そうしておずおずとビクトールではなくフリックに言う。
「……やっぱり、良くないんでしょうか」
「ルカ・ブライトが軍を掌握した以上、軍備はさらに拡大されるって」
「戦争、ですか」
まるで頼れる先輩に、組織の行方を尋ねるかのようだ。フリックは知らぬという事もなく、肩をすくめて見せた。
「覚悟だけはしておいた方がいいんじゃないか、と俺は思うがね」
フリックさんがそういうなら。
一向に晴れない若手たちの顔にはそう書いてある。いつの間に手懐けたものか。ビクトールが一人で近づくだけで、獣でも来たような顔をすることさえあるものを。
怖いです。怖いです。何事もないといいです。
若者たちは口々にそう言い、それでも仕事へ帰っていく。彼らに出来る事はあまりなく、目の前の仕事を片づける事がほぼ唯一と言ってもいい。事務方なんてそんなもの。だが彼らの不安こそが、市民の不安ともっとも近い。
大丈夫というのは簡単だが、フリックはそれを言わない。
「懐かれてるな」
「似たような立場だと思われてんだよ」
どういう意味だ、と聞き返す前に、後ろから太い腕が肩に巻きついてきた。
「戦争が始まるなんて、あの場でよく言うなあ」
先ほどの会議で、ビクトールと同じだけ暇そうにしていたミューズ軍の部隊長だ。好戦的な男たちがその後ろに並び、ビクトールに笑いかける。
「ちょっと話そうぜ。なんか俺たちの知らねえ情報を持ってんだろ傭兵隊」
誰もかれも必要な情報を集めようと必死なのだ。事務方はフリックに声をかけ、軍隊はビクトールにちょっかいをかける。
どうしたものか、と隣を見やれば、フリックは輪から外れて階段をおり切るところだった。
「おい!」
「俺は帰るわ。明日の出立には遅れるなよ」
軍人たちはわはわは笑いながら、有無を言わさずビクトールを兵舎へ引っ張っていく。これは腹をくくって、ミューズの内情でも教えてもらうべきなのだろう。