薔薇より赤い 一ノ瀬先生の運転するバスに揺られて会場に辿り着き、控え室でステージ衣装へと着替えてメンバーのみんなと音出しやリハーサルを終えた後のこと。
「朝日奈さん、少しいいかね」
舞台袖で声を掛けてきた篠森先生は、コンサートの主催者がスタオケの代表者と話がしたいそうだと伝えてくれた。
「わかりました。確か篠森先生の学生時代の先輩でしたよね?」
「ああ」
今回の主催者は星奏学院の卒業生で、篠森先生がお世話になった先輩でもあるという。母校の生徒がいる学生オーケストラに興味を持って、オファーをしてくれたのだと前もって聞いていた。
「私以上に厳しい方だ。くれぐれも失礼のないように」
「はいっ!」
そんな厳しい方が興味を示してくれたというのも、きっとステージマネージャーとして篠森先生が上手く話をしてくれたからなんだろう。
期待に応えたくて張り切って大きく頷きを返す私に、篠森先生は「ん?」と眉を上げた。
――え。
何だろうと思う間もなく、すっと伸ばされた先生の手が私の頬を掠めて、その指先が髪に触れる。
「っ……!!」
息をのむ。普段、先生がこんなふうに私に触れる事なんてない。
――し、しし、篠森先生に、触られてる……!?
そう実感した途端。ぶわっと顔に熱が集まって、ぴしりと体が石化したように固まった。先生はそのまま近づいて、俯いた私の後頭部を覗き込む。
柔らかくて甘そうなカスタードクリーム色の髪がさらりと目の前に降りてきて、ふわっと優しい香りに包まれた。
「やはり髪飾りが取れかけているな。そのまま動かないように」
――い、言われなくても、動けません……っ。
今日のドレスは赤色で、それに合わせて身につけた薔薇のコサージュ。ずれた位置を直すためだろう、篠森先生は背後に回って私の髪に触れる。
先生には見えないはずだけど、頬が身に纏うそれらより赤くなっているんじゃないかと不安になるほどに熱い。
夢みたいな至近距離とシチュエーションに緊張しつつ、けれど湧き上がる喜びで、ついゆるんでしまいそうになる口をきゅっと結ぶ。
「よし、もう大丈夫だ」
終わったという合図なのか、そう言いながら先生の指が後頭部からうなじをなぞるように触れてから離れていって。一気に体から力が抜ける。
「~~っはあぁあ」
思わず深呼吸をして目を伏せた。どくどくと心臓が狂ったようにアレグロを奏でる。
「あ、ありがとう、ございました」
「……呼吸を我慢していたのか? 動くなとは言ったが、息まで止めろとは言っていないぞ」
呆れを含んだ低い声がまるで囁くように耳元に落とされて、また表情と体が強ばってしまう。
「っ、いえ、あの。つい、緊張を、してしまって」
胸を抑えながら何とか返した私の態度を、挨拶に向かう前の緊張と捉えたのか、篠森先生はふっと声を優しい色に変えて言葉を続けた。
「――厳しい方だが、身なりを整えて、いつも通りの君らしく堂々と振る舞っていれば心配はいらない。挨拶には私も同行するから安心しなさい」
いえ、私のこの緊張はそういう心配が原因ではないんです……とは言えなくて。
歩み始めた先生の少し後ろに付いて、主催者が待つ部屋に向かう。
辿り着くまでに、篠森先生が求める『堂々としたスタオケのコンミスの私』に戻れますようにと、まだ火照りが治まらない頬を撫でて願った。