深夜ミーティングでもしもの話をその日は夜に就任1年目のスピーチの草案を纏める為の話し合いが深夜にまで及んでしまった。
「すみません、ディーン。こんな遅い時間まで」
いつものスータンではなくゆったりとした部屋着の教皇は、インノケンティウス14世というよりもただのヴィンセント・ベニテスとしてローレンスを気遣っていた。
「いえ…聖下の想いを正しく伝えるのも私の仕事ですから…」
そう答えながらもローレンスはうつらうつらとしていた。
コンクラーベ中はほぼ不眠症気味だった彼も、心配事が減ってきたせいか、ベニテスの前では気が抜ける事が多くなった。
ベニテスもまた、命の危険を感じる必要がなくなってからは浅かった眠りは改善された。勿論、彼の地では信徒への弾圧が続き残してきてしまった彼らの事を考えると胸が苦しむ。
だからこそ、自分に出来る使命を果たさなければ。
「――トマス。宜しければ泊まっていきましょうか?」
ヴィンセントの大胆な提案。
「っ!?いっ、いえ、しかしそんな!」
ローレンスは驚きのあまり一気に目を覚ましてしまったようだ。
「一緒に寝るだけですよ。貴方と、恋人として過ごしたいのです。駄目、ですか」
俯き頬を染めながらベニテスは伺うような眼差しをローレンスへと向けた。
彼等が恋仲になるのは運命という名の必然であった。
コンクラーベ中に出会った彼らはすぐさま互いに惹かれ合った。そして、ベニテスが教皇に選出された後もローレンスは彼に惚れ込んでいき、ベニテスもまた傍で仕えるローレンスに特別な感情を抱くようになった。
勿論、聖職者である手前純潔の誓いは破れない。この身は神のものであり、教義的にも同性愛は許されるものではない。
それでも、温かく柔らかな声で呼ばれる事に歓喜する事を誰が咎められるだろうか?その優しさを自分だけが享受したいという願望は罪なのだろうか?
「参りました。私が多忙なヴィンセントを癒す事が出来るのなら、そうしましょう」
観念したように、ローレンスはズケットを取ってファシアとローマンカラーを外し、シンプルに白いシャツと黒いスラックスだけになった。
こうして見ると、ローレンスは年齢の割に鍛えた体格でスタイルの良さが顕になる。特にすらりと伸びる足は普段隠れて見えない為、今は蝋燭だけの灯りの下ぐっと男らしさが増してベニテスはどぎまぎしてしまう。
「トマス、こちらへ」
はぐらかすようにベッドの中へ潜り込んでローレンスの分のスペースを空ける。ベニテスとて恋人として接する事に羞恥心と躊躇がない訳ではないのだ。
「失礼します」
すると、布団の中へ潜り込んだローレンスが背中からベニテスを抱き締めて、甘えるように長い黒髪から覗く褐色肌の首筋へと唇を落としてきた。
「ひゃっ、」
堪らず小さく悲鳴を上げたベニテスに、極力真面目な表情でローレンスは顔を覗き込んできた。
「貴方と過ごせない日々は、とても辛かったのです。どうかお赦しを」
この数ヶ月カルテル・ガンドルフォへと赴いてバチカンでの留守をローレンスに頼んでいたベニテスは、彼の言葉に頬が緩んでしまった。お互いずっと気を張って生活していたのだ。アフガニスタンのカブールでの暮らしはいつ起きるかも分からない紛争に精神が参りそうになったが、教皇離宮でさえもいつ舞い込んで来るか分からない来訪者やミサの仕事でずっと働き詰めだった。もしかしたら、ローレンスも教皇の代理人として多忙だったのかも知れない。
「ああ、トマス。私もです」
ベニテスは体勢を変えるとローレンスをそっと抱き締め返しその唇へ唇を重ねる。
「ヴィンセントがバチカンから離れている間ずっと嫌な夢を見ました。夢の中で貴方は建築家で――私は俳優として撮影所へと向かっていました。夢の中で私は貴方に気付かず、そのまま擦れ違ってしまったのです」
ぼそぼそと懺悔のように告白するローレンスにベニテスは目を見張った。彼もまた似たような――というよりもほぼ同じ夢を見たからだ。夢の中でベニテスは建築家としてローマの建物をスケッチするのに熱心で、大勢のスタッフに囲まれていたローレンスの姿に全く気付かなかったのだ。
「それは、別の道を歩んでいたかも知れない私とトマスの姿でしょうね」
ベニテスはローレンスの指にするりと指を絡ませた。
「貴方という光のいない人生など要らない」
ローレンスは今にも泣き出しそうだった。
涙の部屋でベニテスが秘密を打ち明けた時と同じように。
滅多に弱音を吐露しない人がここまで変わるとは。愛は人を強くするが弱くもするのだろう。
それでも、ベニテスはそんなローレンスすらも受け止めたかった。確信と疑念の間に生きるベニテスをローレンスが彼なりに受け止めたように。
「……トマス。どうか嘆き悲しまないで。別の人生を選んで道が枝分かれしたとしても、巡り巡って私は貴方と出逢うし、貴方を見つけてみせる。どんなに遠回りになったとしても。だから貴方も此処とは別の世界でもどうか私を見つけて下さい」
ベニテスはローレンスの広いこめかみに口付ける。
「勿論です。約束します」
ローレンスもまたベニテスの柔らかな黒髪を撫でる。
寄り添い合う魂がやがて影となって重なり、やがて燃え尽きた蝋燭で闇の中へと溶けて消えていく。
バチカンの夜が、静かに更けていった。