ある朝朝の澄んだ空気と眩しい昇日がリビングを照らす。
「ほら、ペッシ起きろ。オレと釣りデートすんだろ」
隣で寝ている青年へ男が声を掛ける。
ペッシと呼ばれた青年は布団を目深に被り直した。
「う~ん…あともうちょっと…」
「ハン!困った眠り姫だ。そんなにバーチョされてぇのか?え?」
僅かに見える耳に囁き掛けると跳ねるように緑髪が飛び起きた。
「ようやくマンモーニのお目覚めか」
目を細める男をペッシは睨み返す。
「兄貴の意地悪」
「何だよ、バーチョされたかったのか?」
素肌を晒した男の肩には歯型が残っており、ペッシは己が昨夜そこへ噛み付いた事を思い出し羞恥心に襲われた。
ペッシもまた裸でその肢体には一晩中求め合った情事の痕があちこちに散らばっている。赤い斑点にペッシは赤い頬が更に赤くなった。可愛い奴だ、と男は唇の端を上げる。
「そもそもプロシュート兄貴のせいじゃないですかい!?」
「何がだよ」
「オレが、寝坊したの、」
次第に語気が弱まっていくペッシをプロシュートと呼ばれた男は愛しいげに抱き寄せた。
「焦らなくても『ペッシ(生きた魚)』は逃げねぇよ。そうだろ?」
ペッシは小さく身を捩ってプロシュートの腕から抜け出して服を着始めた。
「餌がなきゃ、逃げるに決まってますぜ」
すっかり生意気さが板についたペッシにプロシュートは肩を竦めて床へ散らばったままの服を拾い上げた。
「それもそうだな」
男は服を着直してキッチンへと向かって冷蔵庫を慣れた手つきて開けた。
ミルクをグラスに注いで差し出す。
「フレンチトーストでいいか?」
「うん」
プロシュートはペッシと同居するようになってから簡単な料理はするようになった。チームの仲間達からはその変化を揶揄されたりもしたが、プロシュートはオレも成長しなきゃならねぇんだからな、と嗤う者達を一瞥したものだ。
ペッシの好きなフレンチトーストは、卵と砂糖多め、バターは少し少なめにしてしっかり焼き目の付いたもの。
プロシュートは、勘だけで特に分量を考えずに作る。
それでも美味しく作れるのだから不思議だ、と出来上がったフレンチトーストを前に男と甘い匂いが鼻を擽るトーストを見比べた。
ペッシは、焼き立てのフレンチトーストを牛乳に浸して食べるのが好きだった。
こんなはしたない食べ方を出来るのはプロシュートと棲むこの部屋だけだ。特に焦げ目の部分にミルクを染み込ませると甘さと程よいバターの風味がが口の中いっぱいに広がる。
プロシュートは特に咎める様子もなくエスプレッソ片手に優雅にフレンチトーストを口へ運んでいた。時折はらりと落ちてくる髪を掻き上げる仕草にペッシはついじっお見つめてしまう。
「何だよ」
「兄貴が、綺麗だなって?朝日で髪がキラキラしてて、ブルマリーノの瞳が透き通ってて」
「暗殺者相手に一丁前に口説きやがって」
プロシュートの言葉にペッシが息を飲んで罰が悪そうに俯く。ペッシは、自分を美しさとは最も遠い人間だと称するこの男に、そんな事は無いと否定出来なかった。
彼の精神の象徴でもあり、魂の形でもある、老いさせる能力を持つスタンドは――恐ろしく不気味な姿をしていた。
「……まぁ、いい男の賛美ってのは悪い気がしねぇけどな」
目を細めるプロシュートにペッシは瞬きをして不思議そうに首を傾げた。まだあどけなさの残る少年のような仕草にプロシュートは愛おしさを覚える。
「お前はいい男だよ。オレを心底惚れさせやがったんだからな」
惚れている、というより、ひと目見た時からプロシュートはペッシに惹かれていた。天性のスタンド使い。靱やかな釣竿と物質を透過する糸。その針は確実に獲物を狙い釣り上げた
者の中へ侵入していく。糸を断とうと攻撃しようが釣られた者へ衝撃は返っていく。そしてペッシもまた釣りへの才能に優れていた。慎重過ぎる性格も、ある意味武器になる。
まさしく暗殺向きの能力だ。
だからこそ彼を組織へ引っ張り上げた。裏社会で生き抜く術を叩き込んだ。ギャングとしての心得を教えて、いずれは隣に立てるように戦い方を覚えさせた。
ペッシと暮らすようになったのも、四六時中一緒に居る事で彼の成長に繋がるのならばという理由だった。
だがいつしか彼等の関係は兄弟分の域を超えてしまった。
プロシュートはペッシ自身を欲しいと望んでしまったのだ。
ペッシは、プロシュートがどれだけ求めても足りないと思えるただひとりだった。今まで抱いてきた女とは全然違う。
白いシーツの上で泳ぐペッシを、プロシュートはずっと捉えていたいと感じてしまう。
ペッシと栄光を掴む事を願った。その為に彼へ情熱を捧げた。それにほんの少しの劣情が混ざってしまっただけだ。
「それはきっとオレの方だよ」
「そうか?」
「オレは兄貴と居ねぇと上手く息が出来ねぇからさ」
比喩ではなく素直なペッシの本心からの言葉だ。
溺れてるのはオレの方なんだろうな、とプロシュートは内心呟いて立ち上がった。
「ほら、こっち来い。もっといい男に仕立ててやる」
立ち上がったプロシュートに手首を捕まれて腕を引かれるままペッシは洗面台へと向かった。
プロシュートは鏡の前で整髪剤を掌の上に広げるとまるで儀式のようにペッシの髪をいつもの髪型にしていく。
元々面倒見が良かった訳でもなかった筈なのだがついつい世話を焼いてしまうのはペッシだからだ。
ペッシは大人しくされるがままだった。直で触れれば忽ち老いて朽ちさせる所を沢山見てきた筈なのに、ペッシはプロシュートへ安心しきって無防備に身を預けている。
けれど、プロシュートはペッシなりの信頼の証だと知っている。其れが分かっているから、今日もこうして髪に触れるのだ。プロシュートはペッシとの穏やかな時間を噛み締めながら今日の釣果を脳裏に浮かべたのだった。