乳香とウイスキーかつては兵の詰所として使われていた場所――そこに宿泊するまでは良かった。
「参ったな。ベッドがひとつだけだ」
アモルト神父がばさりとシーツを広げる。少し埃っぽい匂いにトマース神父は少し咳き込んでしまった。
「長旅の疲れもあるでしょう。貴方が休むべきです」
残り199体の悪魔を祓うべく様々な場所を彼等は訪れている。だが、現地調査は中々骨の折れるものだった。悪魔の背景には必ずその存在を隠匿しようとする教会があり――関係者も重い口を開こうとしない。だがアモルト神父は神の御名において行われた宗教裁判や魔女狩りの類は裏で悪魔が糸を引いていたものだと確信し、図書館で資料を集めていた。
トマースもまた悪魔憑きと思しき者がいないか聞き込みを行ったがその日は徒労に終わったのだ。
「私が老体だからと労るつもりかね?」
「そんなつもりでは……」
トマースは窓から外を見遣る。今しがた門前払いされた教会がここからは良く見えた。
「もし誰かが悪魔に憑かれたら君の力が必要だ。休むべきは君の方だ」
アモルト神父はシーツを敷き直すと枕をぽんぽんと叩いた。
まるで幼子を寝かし付けるような仕草にトマース神父は苦笑する。
「祓魔師としては貴方に及びませんよ」
「だが君は聖職者として私よりずっと神を信じている」
アモルト神父の言葉にトマース神父は彼の方を振り向いた。
「信仰心が揺らいだ事あるのですか?」
アモルト神父はベッドサイドの椅子に腰掛け短く息を吐いた。
ランプの小さな明かりがアモルト神父の顔に長い影を落とす。常に慈愛に満ちた表情を称える人、という印象
「悪魔はいつも我々の祈りの言葉を中断させる為に同じ事を言う――『神はいない』と。我々を窓わせる為の言葉だと分かっていても、奴等の呪いの言葉がいつも私の罪悪感を呼び起こすのだ」
トマース神父は小さく唇を噛んだ。ロザリアの件をアモルト神父は未だに己を許せないでいるのだろう。こんなにも心優しい人を置いて自分だけ休むなどとても出来ない。
「……ガブリエーレ。やはり、貴方は休むべきです」
「君だけ硬い床に寝かせる訳にはいかないだろう。トマース、来なさい」
アモルト神父は柔和に微笑みトマース神父の手を引いた。
そして、まるでそうするのが当たり前のようにトマースを寝台へと導く。
「まさか、一緒に寝ようなんて言うつもりですか?」
「狭いが我慢してくれ」
トマース神父は戸惑った。父親程年齢の離れた人だ。
だが、ここで拒んでしまえばアモルト神父は傷付いてしまうだろう。
「……では失礼して」
アモルト神父は目を細めた。何だか居心地が悪い。
どうして貴方は時折イエス・キリストのような目をするのだろうか。
「君からは乳香の匂いがするな」
天国の香りとして悪魔祓いの時に炊く香はいつの間にかカソックに染み付いてしまった。
それがジョークなのか、嫌味なのかは分からない。
「貴方はウイスキーの匂いがします」
「ははは、1杯引っ掛けたのがばれたか」
アモルト神父が、ごく自然にトマース神父の髪をさらりと撫ぜる。トマース神父は気恥ずかしくなってアモルト神父に背を向けた。
「残念だな。抱き枕代わりになってやろうとしたんだが」
「……そんな歳じゃありません」
「――そうだったな。おやすみ」
トマース神父は背中に温もりを感じながら瞼を閉じる。
彼が、過去の悪夢に魘される事のないように祈りながら。