サッドマンズ・パレード 後編######幕間
「意外だな。」
「・・・なにがだ。」
海軍のコートを着たまま違法風俗店に入店するわけにもいかず、ドフラミンゴとロシナンテが少女を連れて近くの服屋に入っていった。
その様子を外から眺めたクロコダイルが、傍らに大刀を抱えて立つローに呟く。
「弟の方はアレだが・・・。兄貴の方もガキにゃァ優しいのか。」
「・・・。」
道端に柄悪くしゃがみ込んで、葉巻の煙を吐き出したクロコダイルに、ローはゆっくりと視線を下ろした。
なかなか返ってこない答えに、クロコダイルはちらりと上を見上げる。
「ドフラミンゴは、あんたにも"優しい"だろ。」
「・・・そう見えるかね。」
「馬鹿言うなよ。奴は相当、あんたに"優しい"ぞ。」
意味深に言うローの言葉は、あの"フラミンゴ野郎"と、クロコダイルの浅はかにも"丁度良い"関係を嗤っているのだろうか。
『・・・わ、鰐野郎、おま、おれというものがありながら。どこの女と・・・。』
『で、お嬢ちゃんは一体何者なんだよ。一応言っとくが、あの鰐のオジサンはおれのだからやらねェぞ。』
数々のリップサービスに、"愛"を"乞う"ような台詞。早朝、ベッドから這い出そうとする体を抱き止めた、冷たい腕。
全てを、別に、愛だの恋だのと宣うつもりもなければ、"勘違い"する程馬鹿でも無かった。
クロコダイルの口元が、おかしそうに歪む。
「笑わせるなよ。あの"ブリキの玩具"が、"人間"の真似事をしたいだけさ。」
葉巻の煙と一緒に吐き出して、片眉を吊り上げたクロコダイルにローは思わず吹き出した。
喉を鳴らして笑う男に、クロコダイルは不機嫌そうに顔を顰める。
「・・・じゃァ、その"恋愛ごっこ"に、付き合ってやるあんたの"それ"は何なんだ。」
ローの言葉に、何故か、ドキリと冷や汗が背中を伝った。
それを隠すように葉巻を咥える。
(・・・そんなの、)
「・・・ただの、暇つぶしに決まってんじゃねェか。」
「そーかよ。」
未だ笑うローに、クロコダイルは舌打ちをして立ち上がった。
服屋の方から、可愛いワンピースを買ってもらった少女が、嬉しそうにこちらにかけてくる。
「まァ、あれだ。」
再び口を開いたローが、刀を肩に担ぐとクロコダイルを振り返った。
「・・・あの二人が"可哀想なガキ"に優しいのは、昔っからだ。」
######
「いらっしゃい。」
「よォ、"ジャズのコーナーはどこだ"。」
「おかしな事を言うなァ。うちは"ジャズ専門だ"。」
「ああ、そうだったな。"おれの好みに合うのはあるか"。」
「さァ?"好みは"。」
「"最高にノれる奴"。」
「"ディーヴァは"?」
「"誰でもいい"。ただ、"ノラは駄目だ"。"有名過ぎる"。」
街の外れの古ぼけたレコードショップ。
その扉を軽く押して、ドフラミンゴ達は店内へと足を踏み入れた。
店番をしていたのは若い男で、いかにも音楽オタクといった風体で、気だるそうに四人を見る。
ドフラミンゴが口を開くと、"用意された"台詞を滑らかに吐いた。
『店に入るにはルールがあるわ。』
店に入る前、少女はきっぱりとそう言った。
ルールは単純だ。
"ジャズ専門"のレコードショップで、店員に"ジャズ"のコーナーを聞き、あとは決まった台詞のやり取りを間違い無く行う事。
一度聞いただけの台詞を、スラスラと話すドフラミンゴに、クロコダイルのコートに隠れた少女は、少しだけ驚いたようだ。
「見ない顔だけど、うちは常連の紹介が無いと買えないよ。」
「あァ?」
完璧に台詞を口にしたドフラミンゴを一瞥したその若造は、通らない声で言う。
予想外の展開に、ドフラミンゴは思わず素で声を上げた。
「どこで聞きつけたか知らないけど、デリケートな商売なんだ。悪いね、お兄さん達。」
「・・・ノストラ・フランク。」
軽くあしらう男に、一歩後ろにいたクロコダイルが前に出て、カウンターに"右手"を付いた。
ちらりと、ドフラミンゴがそれを見下ろす。
「ノストラ・フランク氏にはマリージョアでよくして貰っていてね。彼の紹介だ。
・・・だが、残念ながら奴は"海難事故"で死んだ。」
ごそりと、クロコダイルが右手を懐に入れた。
再び現れたその手には、100万ベリーの札束が4つ。
「裏取りをしたいなら是非そうしてくれたまえ。それとも、"十万億土"まで紹介状を取りに行くか?」
クロコダイルが札束を男の頬にパサリと当てた。
値踏みするように瞳を細めた男は、頬に当てられたベリー札を見てから、まるで"枯れた"ようにひび割れたカウンターに視線を落とす。
(札束でビンタした・・・!!)
(札束ビンタ・・・初めて見た・・・。)
(イイなァ。エロい。)
後ろで事の成り行きを見守るドフラミンゴ達は、酷く頭の悪い事を思っていたが、澄ました顔をして見せた。
すると、深い溜息が聞こえて、男はゆっくりと立ち上がる。
入場料は、一人"50万ベリー"。
男は4つのうち2つの札束を無造作に自分の後ろの金庫へ入れた。
そして"試聴室"のプレートが掛かった扉を重そうに開ける。
「どうぞ、"サー"・クロコダイル。試聴室へ。」
「ああ、ありがとう。」
酷く行儀の良い顔で笑って、クロコダイルは悠々とその扉をくぐった。
######
「お、おい!!お前なにしてる!!止めろ!!」
「"ノーヴェル"が暴れてる!!押さえろ!!」
"試聴室"の床の蓋を開けると、"地下"へと続く階段が現れた。
その狭い通路を抜けた先は、上のレコードショップが何個も入りそうな広間。
金色に輝く壁に、豪華なソファとテーブル。
壁には無数の扉が並び、ドフラミンゴはモーテルのロビーみたいだ、と思った。
他の客は見当たらない。どうやら客同士が鉢合わせしないように、"上"で調整しているようである。
その小綺麗で豪華な金色の壁に、ビシャリと血飛沫が掛かった。
「なァ、鰐野郎。おれァ思うんだがよ。」
「何だ。」
そのフカフカのソファに腰掛けたドフラミンゴは、向かいのソファに座って呑気に葉巻を燻らすクロコダイルに言う。
グイ、と、指先を折り曲げると、ここまで道案内をしてくれた"あの若者"が、手にしたサーベルを店の従業員やガードマンに振り下ろした。
「"こうやって"国王を操って民衆を虐殺させて、もうヤベェなって国民達が諦め始めた頃に登場し、国王を殺したら・・・おれァ英雄として一国を乗っ取れるんじゃねェか。」
「クハハハ。随分と自信満々だったのは・・・"ガリ勉"君が常日頃思案してた"妄想"だったからか。参考にさせて貰うよ。」
怒号と銃声が響き渡る広間に、並ぶ扉から"御遊戯中"であろう他の客達もドアを薄く開けて様子を伺っている。
『"筋書き"はこうだ。』
『後ろ盾の組織を無くした違法風俗店の従業員が、店の金を持ち逃げしようとしたが見つかり、その場で店員を切りつけた。騒ぎはどんどん大きくなって・・・"たまたま"店の近くに居合わせた"海兵"と"七武海"が異変に気が付き、店に踏み込んで騒ぎを収める。
・・・どうだ、立派な"大義名分"だ。』
レコードショップに向かう道すがら、ドフラミンゴが言った"筋書き"通りに事は進んでいた。
少女とロシナンテ達はこの混乱に乗じて、働かされている子ども達を開放する為に、子ども達の待機部屋へ向かっている。
ドフラミンゴが左の手のひらを握ると、無数に並んだ扉が一斉に開いた。
「アー、お楽しみ中悪ィなァ・・・。店内で刃物を持った男が暴れてる。死にたくなきゃさっさと逃げ出しな。」
扉の中はモーテルの個室そのもので、中で客を取っていたのはやはり子どもばかりだった。
突然開いた扉に驚きはしているものの、流石にどの客も既に服は着ていて、血塗れでサーベルを振るう男の姿に、いそいそとドフラミンゴに言われるまま部屋の外へと駆け出す。
"こんなところ"で、トラブルに巻き込まれるのが死活問題な輩が多いのだろう。全員が速やかに地上へと出ていった。
「ハァー、ハァー。・・・なんで、何なんだ、あんた達。」
客も、子ども達も外へ出てしまえば、残されたのは息絶えた従業員達と、広間の真ん中でサーベルを"構えさせられた"若者だけである。
その若者は、血だらけの顔を涙で濡らして言った。
「何で?何でだと?この世に潔白な人間なんて居ねェだろう?それとも、ロクな死に方をしねェ"理由"が、思い当たるのか。ナード君。」
「・・・ヒ、やめ・・・、」
喉を震わせて笑ったドフラミンゴが、右手を大きく振ると、その首が綺麗に円を描いて飛ぶ。
ぐらりと倒れた胴体に、見ていただけのクロコダイルは溜め息を吐いた。
「ドフラミンゴ!ワニ屋!!子ども達は全員保護したぞ。もうすぐおれの隊も到着する。お前らが居ると説明が面倒だからさっさと退却しろ!」
「お前なんで毎回おれの上に着地すんだよ!!」
ドサリ、と、重たい音がした瞬間、ドフラミンゴが引っ掛けていたジャケットが消えて、代わりにローがその肩に舞い降りる。
突然降ってきた衝撃に、少しよろめきながらもちゃんと踏みとどまったドフラミンゴが、肩に乗ったローを呆れたように見た。
「あの小娘はどうした?」
「流石に軍艦には乗せられねェから、あんたの船にコラさんと一緒に隠れてる。」
ローの返答に、上々だと言わんばかりに、クロコダイルは新しい葉巻を咥える。
「"顧客リスト"は見つけたか?」
「ああ。これだろ。」
「ご苦労。お前が"中将"をやった方が幾らかマシな組織になるんじゃねェのか。」
「残念ながら、うちは"年功序列"でな。」
「お前らおれを傷付けて楽しいか。」
クロコダイルはローから手渡された、長財布程度の黒いファイルを受け取って、適当なページを開いた。
リストの中には各方面の"有名人"の名が当然のように連ねられている。
「知り合い載ってねェか。テゾーロ君とかいそうじゃねェ?探せ探せ。」
「止めろ。まともにあいつの顔を見られなくなる。」
「はやく退却しろと言ってるのが分からねェのか、クソジジイ共。」
冗談はさておき、このまま"何も知らない"海軍が、違法風俗店を検挙したとしても、この顧客リストさえ"世に出てこなければ"、リストに記されている支配者層は黙るしか無い筈だ。
全く馬鹿げた世の中だと、クロコダイルはその表紙を撫でる。
「・・・出るぞ。フラミンゴや、ろ・・・、」
クロコダイルが黒いファイルを懐に仕舞った瞬間、ユラリと、視界の端で何かが蠢く。
そのワンテンポ後に、クロコダイルの瞳の中で、まるで花びらが散るように、赤い血液が舞った。
「・・・ぐ、う、」
「ドフラミンゴ・・・!!」
ボタボタと口から赤い液体が漏れ出して、ドフラミンゴの体がゆっくりと傾く。
胸に空いた穴から、ブシュ、と、血が吹き出した。
「・・・ぅあ、」
倒れて行くその体を、支える事もできなかったクロコダイルの口から、意味を成さない音が漏れる。
床に投げ出されたサングラス。だらしなく開いた口から流れる赤い液体。壊れてしまった、"ブリキの玩具"。
その瞬間、クロコダイルの瞳が赤い光を放ち、その喉が、まるで獣のように鳴った。
######
「三人共、おっそいなァ。」
「そうね。・・・心配だわ。」
クロコダイル達が乗ってきた船に身を隠した少女とロシナンテは、二人して備え付けのダイニングテーブルで向かい合ってお茶を飲んでいた。
その呑気な様子とは裏腹に、中々戻ってこない三人にソワソワと丸い窓から外を眺める。
「私は、海軍に捕まるのよね?三人も殺したんだし。」
「え?あー、まァ、そうはならないんじゃねェかな。・・・うわ!アチィ!!!イテ!!!イテテテ!!」
「・・・だ、大丈夫?」
何でもないように言った少女に、ロシナンテの方が焦ってお茶を溢し、何故か椅子から転げ落ちた。
少女は大人びた顔で、ロシナンテの服に掛かったお茶を拭う。
「人を殺してしまったから、私はもう、"悪人"よね。」
ハンカチを握りしめた少女の顔が、年相応に歪んで、そんな言葉を吐いた。
ロシナンテはその言葉に、ドキリと、痛いくらいに心臓が跳ねる。
ジジ、ジジジ、と、質の悪いフィルムが映し出す映像のように、視界が明滅を繰り返して、傍らにしゃがみ込む少女の顔が、幼い"兄"の姿と重なっていく。
怒りに任せて"父親"の頭に銃口を向けた彼を、人は化物だと言うけれど、自分が"それ"をしなかったのは、ただ、どうしようもなく臆病だったからだ。
ロシナンテは一応我慢していた煙草をとうとう咥えて、震える指でマッチを擦る。
善悪を説けない自分の正義には、もうずっと、うんざりしていた。
「嬢ちゃん。おれは"それ"を、"悪"だとは、言えねェんだ。」
煙を吐いて、少女の小さな体を抱きしめたロシナンテの腕は、カタカタと、小さく震えていた。
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ズバン・・・!!と、空を切る音がして、砂の塊が走った。
その瞬間、ローが能力でドフラミンゴを自分の元へ移動させ、まるで弾丸で撃ち抜かれたように、穴の空いた胸の止血を始める。
「オイオイ、趣味の悪ィ被り物は脱がねェか。マナーのなってねェ野郎だな。」
唐突に現れた人物は、黒いスーツに黒いネクタイを締め、牛のような、角のある動物を模した被り物で素顔を隠していた。
(・・・まさか、こいつァ。)
再び現れた"嫌な予感"と、自分の中で暴れ出す"名前の知らない"感情に、クロコダイルは葉巻の煙を吐き出すと、短くなったそれを床に吐き出した。
「"その小娘"には、抹殺命令が出ているんだ。大人しくこちらに引き渡せ。サー・クロコダイル。」
「・・・あァ?」
その"黒スーツ"の言葉の意味が"分からなかった"クロコダイルが、眉間に皺を寄せたところで、もぞりとコートが蠢いて、あの少女が現れる。
「その小娘には、古代兵器を復活させるという"危険思想"がある。王下七武海なら、"我々"の仕事を理解してくれるだろう?」
「ハァ?!何だそれ!!聞いてねェぞワニ屋!!」
ここには居ない筈の少女が現れた事よりも、黒スーツの口走った言葉に反応したローが思わず怒鳴った。
クロコダイルはそれも無視して、未だ怪しく光る眼光を向ける。
「・・・理解はしてやるが、あまりにも攻撃的じゃねェか。渡して欲しいだけなら口で言え。先に手が出るのは頭が悪ィ証拠だぜ。」
フー、フー、と、自分でも抑えきれない激情が、クロコダイルの呼吸を乱した。
どんどん広がっていく赤い液体に、グラグラと視界が回る。
「後生大事にコートに隠していたからな。大事なのかと思ったんだ。
それなら"リミット"があった方が決断ははやいと思ってね。ホラ、はやくしないと、その中将殿が"死んでしまう"。」
今まで、直視しないように逃げ回っていたのに、いとも簡単に口にされた"それ"に、クロコダイルのこめかみで、ブチリと何かが切れ去った。
ビキビキと額に筋が浮いて、クロコダイルの体があっという間に砂へと変わる。
「ワニ屋!!ちょっと待てよ!!そいつは政府側の人間だろ!!!」
「・・・意外と、浅はかなんだな。・・・"サー"・クロコダイル。」
向かってくるクロコダイルに、黒スーツの男は落ち着き払った様子で懐からオイルライターを取り出した。
シュ、と、火を点けたそれを持つと、文字通りその姿が"消える"。
「・・・マズい!!ワニ屋、」
天井付近に現れた男は、その火を天井に当てた。
何かに気が付いたローの手のひらから、半透明のサークルが出現する。
(・・・水か!!!)
ゾワリと背筋が凍った瞬間、天井に設置された消火装置から雨のように水が吹き出した。
ズブ濡れになったクロコダイルが呪ったのは、賢明にも、冷静さを欠いた自分自身。
「・・・今まで通り、砂漠に引きこもっていれば良かったんだ。世界に楯突けば、誰だって死ぬ。」
(・・・だから、嫌だったんだ。)
空中で、人間の形を成したクロコダイルは、場違いにそんな事を思う。
いつでも、"奴"が居ると、調子が狂って苛ついた。
フワフワとした思考の中で、クロコダイルは妙にスローモーションな男の動作を見る。
「じゃァな、"砂漠の王"。」
男の腕が引かれた瞬間、地上でクロコダイルの位置を変えようとしたローの手のひらを、一回り大きい手が掴んだ。
「・・・え。」
ローが声を漏らした時には、床の上にはどす黒い血溜まりだけが残っていた。
######
「じゃァな、"砂漠の王"。」
ざわりと、強烈な"嫌な予感"がクロコダイルの背筋を這い回ったと同時に、その胴体が何かに引かれた。
振り下ろされた男の腕が急に後退したクロコダイルの体を空振って、入れ替わるように現れた"影"とぶつかり、ガキィン!!と、甲高い音を立てる。
「オイオイオイオイ、あんた、"9番目"だ。なァ"9番目"だろォ?知ってるぜェ?"背中の傷"を、見てみてェと思ってた。」
ギリギリと、覇気を纏った腕同士がぶつかって、およそ人体から出るとは思えない音がした。
自分の吐いた血で、真っ赤に濡れた口元を歪め、ドンキホーテ・ドフラミンゴはやけにギラつく瞳で嬉しそうに言う。
「あァ、おれも、見たいと思っていた。・・・その、"左目"をな。」
「・・・おい、あいつ、大丈夫なのか。」
「・・・・・・・・・・・シラネ。自分で"縫った"んじゃね。」
一方、かろうじて着地したクロコダイルが、自分の体の水分を吸い取りながら、血溜まりの横に立つローと、威勢良く飛び出した"馬鹿野郎"を見比べた。
ローはいつものことなのか、呆れたように吐き捨てるだけである。
二人して、元気いっぱい空中戦を繰り広げるその男に、心配して損した、とばかりに、大きな溜め息を吐いた。
「聞いたことがあるな・・・。"人間"に成りたがった世界貴族が、ある島で"人間"から迫害され、息子が"左目"に"鉄槌"を食らったと。」
バキン!!!と、どちらともなく弾かれ、ドフラミンゴと黒スーツの男は床に着地した。
わざとか、たまたまか、男の足に踏みつけられたサングラスがパキリとひしゃげる。
「その世界貴族の名前は、確か、」
その時、ピシピシ、と、男の言葉を遮るように、広間の床が、奇妙に鳴き声を上げた。
驚いたドフラミンゴが振り返ると、しゃがみ込み、床に右手を当てたクロコダイルの姿。
ちらりと視線を上げたクロコダイルが、一度だけ、潰れ、爛れたその"左目"を見た。
別に、初めて見た訳でも無かったが、その"理由"に、触れた事は無い。
「アーアー、スマートじゃねェなァ。おれも、"お前"も。」
クロコダイルが心底うんざりしたように口を開いた瞬間、バキバキと床が割れ、轟音と共に瓦礫が砂に飲まれた。
瓦解した足元に、黒スーツの男は空を蹴るように空中を移動していく。
「分かったよ。悪かった。おれが大人になろう。政府の犬同士、仲良くしようじゃねェか。」
「「ふざけんな鰐野郎!!!殺す気か!!!」」
「・・・なんだ、生きてたのか。」
様相が一変した広間で、クロコダイルが立ち上がり濡れたせいで落ちた前髪を後ろに撫で付けた。
間一髪、天井から糸で吊り下がったドフラミンゴと、ドフラミンゴの小脇に抱えられたローが怒鳴るが、クロコダイルは何でもないように言い放つ。
「何のつもりだ。」
無事な瓦礫に陣取った男は、クロコダイルの言葉を理解していないようだ。
それを鼻で笑ったクロコダイルは、傍らに居た少女の首を掴んで軽々と持ち上げる。
「・・・この小娘の抹殺をしに来たんだろう。なら、これで、この話は終わりさ。」
「・・・貴様は、古代兵器を、欲しがっていると思っていたが。」
ブラブラと揺れる少女の足首に、男は些か怪訝そうに言うが、クロコダイルは相手にしなかった。
「・・・本当に、"そんなもの"があるなら、そうだな、欲しいかも知れないが・・・。生憎、そうロマンチストでは無いものでね。・・・もう少し、"現実的"なモノの方が好みだ。」
未だ獰猛な瞳は光を弱めず、クロコダイルの口元が凶悪な笑みを表す。
「分かったら、さっさと消えろ。テメェの顔を見てると、虫唾が走るぜ。」
肩越しに振り返ったクロコダイルの手元で、少女の体がどんどん乾涸びていく。
そして、最後には、その小さな体は弾けるように砂へと変わった。
######
ドサドサドサ、と、甲板で大きな音がして、ロシナンテと少女は大急ぎで船室から飛び出した。
夜が明け、明るい日差しに照らされる中、甲板ではローの能力でお払い箱にされたのか、仰向けに倒れたドフラミンゴの上で優雅に足を組んで座るクロコダイルの姿。
「よかった!!無事で!!うまく行ったか?!」
「ああ、問題無い。」
「・・・今とても問題がある体勢だと思う。」
「ドフィ・・・!怪我したのか?!いま救急セット持ってくるからな!!」
クロコダイルに下敷きにされたドフラミンゴが、苦しげに呟くと、必死にその下から這い出した。
真っ赤に濡れたワイシャツに、ロシナンテが真っ青になって船室へと駆け込む。
暫くすると船室で何かが倒れるような音や、ロシナンテの悲鳴が相次ぎ、無表情の少女が黙って船室へと向かった。
それを呆れたように見送って、クロコダイルとドフラミンゴは、やっと息をつく。
「お前、何をあんなに"焦って"たんだ。」
「・・・あァ?」
二人して甲板に座り込むと、ドフラミンゴがクロコダイルの顔を覗き込んだ。
サングラスの無いその視線は、嫌でも"夜"を連想させて、クロコダイルは思わず視線を逸らす。
『派手にぶち壊しやがって・・・!!誰がやったと説明すりゃァ良いんだよ!!!』
『適当に"経年劣化"とでも言っとけ。』
『本当にそう言うからな!!お前が責任取れよ!!!』
ここに送られる直前、ローが不機嫌そうに怒鳴り散らしたのも無理は無い。
あの広間はクロコダイルの右手によって、殆ど崩壊してしまったのだ。
あの、説明がつかない有様を、引き起こす程、この男の頭は悪くない筈。
「・・・別に。」
その答えを、知っているのかドフラミンゴはニヤける口元が抑えられていなかった。
その顔に、クロコダイルはイライラと葉巻に火を点ける。
「アー、良かったぜ。お前、おれが死んだら、"悲しい"のか。」
ぽす、と、正面からクロコダイルの肩に頭を置いたドフラミンゴに、思わずクロコダイルはその短い金髪を撫でてしまった。
(・・・重症だ、おれァ。)
この男が、死ぬのは、怖い。
"それ"が、"一体何なのか"、この聡明な男には理解ができない。
「・・・ウゥ、」
「は?オイ、」
突然、妙な唸り声を上げたドフラミンゴの体重が、クロコダイルに重く、のしかかった。
驚いたクロコダイルが、その体を支えようとした瞬間、ズルリと手のひらが滑る。
目の前に持ってきた手のひらは、予想外に真っ赤だった。
「お前、自分で縫ったんじゃなかったのか・・・?!」
「・・・縫った。縫ったけどよォ、おれも、"焦ってた"もんで。イテテ、開いたなこりゃァ。」
「何でテメェが焦るんだよ・・・!!おい弟!!救急箱はやく持ってこい!!!」
血を流しすぎたのか、ドフラミンゴの瞳が朦朧と揺れる。
クロコダイルはドフラミンゴの背中を抱えて、船室に向かって怒鳴った。
「おまえ、ずぶぬれで、ああ、やべぇなって、思ってよ・・・。」
ドフラミンゴの言葉に、クロコダイルの動きがピタリと止まる。
『笑わせるなよ。あの"ブリキの玩具"が、"人間"の真似事をしたいだけさ。』
本当に、そうだと思っていた。
"人間嫌い"が、気紛れに"人間"の真似事をしているだけだと。
「おれァ、おまえが、しぬのは、こえーよ。いちばん。」
死ぬのが怖い、居なくなるのが、怖い。
(誰か、)
誰か、この感情に、名前をつけてくれないか。
######
「全く・・・。こんな大穴こさえて帰ってきて・・・。私の胃にも穴が空きそうだよ。ドフラミンゴ。」
海軍本部の医療施設で目を覚ましたドフラミンゴは、枕元に立った苦い顔の"大参謀"から、早速お小言を頂戴した。
雑に縫った筈の胸の傷は、綺麗に縫い合わされていて、清潔な包帯が巻かれている。
「・・・お嬢ちゃんは見つかったのか?」
「・・・"死体"で見つかったと、"上"から報告があったよ。捜索も終了になる。ご苦労だったね。」
ベッドサイドの椅子に腰掛けて、つるは戸棚からフルーツナイフを取り出すと、持ってきたりんごを器用に剥き始めた。
それを暫く眺めてから、ドフラミンゴはゆっくりと上体を起こす。
「・・・"死体"、死体なァ。フフフフフッ。おつるさん・・・この世の正義は、随分と盲目だ。」
死体なんて、ある筈が無いのだ。
"鰐野郎"が砂にしてしまったし、そもそも"あれ"は、ドフラミンゴが咄嗟に作り出した"糸人形"である。
おかしそうに、顔を覆って笑うドフラミンゴをちらりと見遣ったつるは、その"潰れた左目"を、いくらか悲しそうに見た。
「"上手く"やったのかい。」
「ああ、万事問題はないぜ、おつるさん。"奴ら"が死体を見たのなら、もう何の問題もねェ。」
「・・・そうかい。」
ドフラミンゴの言い草に、つるはふぅ、と、息をついて、手元のりんごに意識を向ける。
ベッドの枠に肘を付いて、それを眺めたドフラミンゴはニィ、と口角を上げた。
「おつるさん。ウサギ。ウサギにしてくれよ。」
「全く。いい歳した海軍本部の将校が・・・そんな子どもみたいな事を言うもんじゃないよ。」
「フッフッフッ。あんたがおれに、手間を掛けてるのを見るのが好きなんだ。」
ベッドに転がったその大きな男に、つるは口元だけで笑う。
手元のりんごは、既に赤い耳を生やしていた。
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「「「アラバスタに連れて帰るゥ??!!」」」
「うるせェ野郎共だ。それじゃァ、死んだことになってるこのお嬢さんを、海軍本部は保護できんのか。」
「いや、できねェけどよ。」
アラバスタに戻るクロコダイルを見送りに来たドフラミンゴ達は、既に見慣れてしまった、クロコダイルのコートに隠れる少女を見て大きな声を上げた。
「オイオイ、お前、まさかほんとに、古代兵器に興味があるとか言わねェよな。」
「クハハハ。まるで本当に"存在"するかのような言い草だな。中将殿。」
「・・・じゃなきゃ何でお前、このお嬢ちゃんにそう構うんだよ。え?何。お前そんなイイヤツだったっけ?」
ドフラミンゴの言葉には応えず、クロコダイルは右手を上げながら踵を返す。
傍らの小さな少女は、ニコリと笑って手を振った。
「"似たような女"が・・・もう一人居るのさ。丁度良い話し相手になる。」
「ハァ?」
船に乗り込む寸前で、振り返ったクロコダイルの言葉に、ドフラミンゴは思い切り顔を顰める。
それを嬉しそうに見たクロコダイルは、少女を抱き上げて船に乗せてあげた。
「ああ、そうだ。おい、"弟2号"。」
「ワニ屋。そろそろその呼び方は止めねェか。」
「人の事言えねェだろうが。」
思い出したような素振りでローを呼んだクロコダイルは、その生意気そうな瞳を覗く。
首を傾げたローの、怪訝そうな視線とぶつかった。
『・・・じゃァ、その"恋愛ごっこ"に、付き合ってやるあんたの"それ"は何なんだ。』
「どうやら・・・"おれ"の"これ"は、暇つぶしじゃァねェみたいだな。」
珍しく、少しだけ困ったように言ったクロコダイルに、ローは面食らったように目を見開く。
そして、また、あの時のように吹き出した。
「そうか。・・・まァ、宜しく頼むよ。
・・・"大事"なんだ。」
「・・・フン。」
「お前なに鰐野郎と意味深な会話してんだよ。ブッ殺すぞ。」
「やってみろよ。海にシャンブってやる。」
「ロシー!最近ローが生意気だぞ!!」
「いや最近じゃねェだろ。」
甲板から、言い合う三人を見下ろしたクロコダイルは、馬鹿らしいと溜め息を吐いて葉巻を咥える。
ガコン、と錨を上げると、ゆっくりと船は動き出した。
「・・・アラバスタに着くまでに、ポセイドンのお話、する?」
煙を吐き出したところで、小さな少女は小首を傾げてクロコダイルを見上げる。
その頭を撫でると、クロコダイルは船室への扉を開けた。
「いや、アラバスタで聞こう。ああ、そうだ。先に、聞いておかなきゃいけねェ事があったな。」
「・・・?なァに?」
あの店から、逃げ出す為に人を殺し、政府関係者に古代兵器の在処を喧伝したその少女の"狂気"は、称賛できる。
クロコダイルはギラつく瞳を隠しもせずに、ニヤリと口角を上げた。
「一年の中で、一番"好きな日"はいつかね。お嬢さん。」