使い古された文句でしょうが、それでもやはり彼女は花のように笑う人でした。
誰もを等しく照らす太陽を思わせる朗らかさを持ちながら、風の合間に解けて舞っていってしまいそうな儚さのある人でした。
ある時はその横顔に温かく静やかな月を見て。
またある時は全てを穏やかに包み込む水の揺らぎに身を委ね。
元来何物にも関心の薄い私であるというのに、彼女の魂にはこの世の尊ぶべき森羅万象が溢れんばかりに満ち満ちているように感じたのです。
何の因果か生命溢れる地上で出会い、共に過ごす束の間の時間。それは死者を裁く私の罪を浄化してくれるとさえ錯覚するほどかけがえのないものでした。
彼女が私を好いていたのかは分かりません。
友と呼ぶには精神的な結びは深く、恋仲と呼ぶには肉体的な繋がりはあまりに浅かった。
依存でもなければ利害の関係でもない。
今になって思い出す。私はそういう者だった。二人の関係の名前だとか、相手にとって自分が何者であるかだとか、そういったことには毛ほども関心がなかったのです。
もしくは、ただ無知であったのでしょう。
彼女の想いも自分の気持ちも、いつか、そのうち、漠然とした形になるのだと何となしに考えていた。
私はひどく浮かれていたのです。
ふわりふわりとその儚い手を取るでもなく、漂うように時を流れ、ある時ふと手を握ったそこには彼女の骸さえ残ってはいませんでした。
私と彼女の間に流れる時はこれ程までに違うのかと、失って初めて気がついたのです。
私は彼女を愛していたのでしょう。
それが友愛か敬愛か、はたまた恋慕の類であるのか。そんなことはどうでもよかった。ただただ、この気持ちが何であれ彼女を愛していたことは確かなのです。
離れた時間を数えるのもとうの昔に億劫になって、彼女のいない空白に想いを置き続けることなど、土台無理な話だと一人苦笑する日もありました。
一つはっきりしていることは、私の“これから”は彼女と過ごした時間の何倍も長く。彼女がいない日々は永遠に増し続けていくのだということ。
「ねえ、貴女の輪廻に私を連れて行ってはくれないか」
零れた言葉が冗談なのか本心なのか。
どちらにせよ、ただの独り言にしかなり得ないことは明白なもので。
貴女のいない退屈な輪廻を、私だけに訪れる永遠の輪を、この身が朽ちるまで流れよう。