みんなの前の顔、あなたの前の顔 四月後半のある日。
牙隊の新人と若手を連れ、私、アミィ・アザミは魔関署の隅の道場へ向かった。
道場では爪隊が訓練中で、中央には汗ひとつかいていないキマリスが微笑んでいる。
「あ、アミィくん。そろそろ時間?」
「いや、まだいい。ちょうどいいから見学させてもらう」
「わかった。あとちょっとで終わるよ」
キマリスの周囲には、爪隊の隊員が倒れて散らばっていた。
その内の一人の女悪魔――私の幼馴染が新人の面倒を見ている。
「キマリス様相手によく粘ったねー」
「でも全然敵いませんでした……」
「そりゃそうだ。爪隊大佐は伊達じゃないよ」
彼女はニコニコと新人の怪我を治している。
言いたいことは山ほどあるが、すべてを飲み込み、目を逸らす。
だが、目が合った。
彼女はぱっと顔を明るくし、勢いよく手を振る。
肩をすくめると、彼女が立ち上がる。違う、そうじゃない。仕事中にヘラヘラ寄ってくるな。
「次!」
「あ、はーい!」
だが、そのタイミングで、彼女はキマリスに呼ばれる。……いや、おそらくキマリスのことだ。わざと、呼んだのだろう。
彼女の腕前を見せてもらうとしよう。
「よろしくお願いします!」
彼女は一礼し、キマリスに向かう。彼女の強みは素早さと手数だ。弱点は軽さだが、魔術で補えば問題ない。
隣の新人がポカンと口を開け、キマリスと彼女の組手を眺めている。
さっきまで彼女に手当されていた爪隊の新人も同じだ。
「……すご……。なんですか、あれ。全然見えないです」
「魔術で視力を強化しろ」
「しても見えないです……」
新人ならそうかもしれない。
彼女は素早いうえ、動きが直線的ではないため、目で追うのも測するのも難しい。
とはいえ、キマリスには敵わず、しばらくして投げ飛ばされた。
「ありがとうございましたー!!」
「はい、お疲れ。課題はやっぱり軽さかな。あとは……」
総評が終わると、爪隊の隊員たちはゾロゾロと道場を出ていった。
「アミィくん、後方旦那面が板についてきたね」
「面ではなく、本当にそうなのでな」
「アザミくん、またねー」
「仕事中は大佐と呼べ」
爪隊全員が出ていったことを確認し、道場の中心へ向かう。
新人と若手へ向き直った。
「次は貴様らの番だ」
新人が小さく悲鳴を上げた。
数日後、魔関署の訓練用プールで、水中戦闘と遠泳の訓練を行っていた。
若手が溺れぬよう監督し、中堅以上には手を抜くなと激を飛ばす。
「アザミくーん」
「仕事中は大佐と呼べ」
間の抜けた声で呼ぶ幼馴染を睨む。
彼女は訓練用の水着姿で、にこにこと手を振っている。
「アミィ大佐、あたしとも水中手合わせしてくださいよー」
「キマリスに勝てるようになったらな」
「研修中は手合わせしてくれたじゃないですか! キマリス様強いんですよ? んー、あと……六年かなぁ」
「へえ、大きく出たね」
後ろからやってきたキマリスが彼女の頭を小突く。
「アザ……アミィ大佐に訓練をつけてもらえれば六ヶ月でいけると思うんです」
「そういうことなら、手を貸すとしよう」
「二人がかりでも、俺はそう簡単に負けないよ」
爪隊の隊員がぞろぞろと集まってきたため、牙隊隊員をプールから引き上げる。
息を切らす若手を追い立て、次の訓練へ向かわせる。
一月ほど後、キマリスが爪隊の半数を率いて、ベヒーモス退治に遠征していた。
転送用の魔法陣で帰還するので受信用の陣を魔関署の訓練用トラックに敷く。帰還時に不審者が紛れ込まぬよう、牙隊で帰還者の確認を担う。
最初に戻ったのはキマリスだった。背中には青白い顔でぐったりとした彼女を乗せていた。
「……容態は?」
「ベヒーモスに押し潰された。軽傷だ」
「そうか」
副官を呼び、彼女を運ばせる。
次々と転送されてくる隊員を確認し、チェックリストと照らし合わせる。
最も重傷を負っていたのは彼女で、それ以外は全員かすり傷程度だった。
「俺をかばって先輩が押し潰されて……!」
と泣く新人を、キマリスが蹴飛ばしてた。
「新人を庇ったくらいで怪我するほうが弛んでるから気にしなくていい。庇われなくなるくらい強くなるんだね」
キマリスの言う通りだ。
若手とはいえ、新人一人庇えず、大佐に背負われて帰還とは情けない。
副官が戻る。
「アザミ大佐。彼女は夜までに意識が戻るそうです。大佐が上がる際に回収するようにとのことでした」
「了解。キマリスにも伝えろ」
「イエッサー!」
爪隊隊員の帰還後、ベヒーモスを解体した資材が転送される。爪、牙、毛皮、血液。それらを数え、保管庫へ運ばせる。
夜。医務室へ向かうと、彼女はすでに着替えて待っていた。
「アザミくん! 間違えた、アミィ大佐! お疲れ様です!」
「仕事は終えているから、好きに呼べ。体調は?」
「大丈夫! さっきキマリス様来て、めちゃくちゃ叱られた!!」
直属の上官に叱られたのかは、私が言うことはない。彼女の手を取り、家へと向かう。
彼女は寮住まいだが、今夜は家で様子を見る。
途中で夕食を済ませ、帰宅後は軽くシャワーを浴びさせ、早めに寝かせる。
私の胸にしがみついて、彼女はぼそぼそとボヤいた。
「いやー、鈍臭いって怒られちゃった」
「新人を庇ったと聞いたが?」
「うん。庇ったときに足を滑らせて、離脱が遅れたの。ベヒーモスって重いね」
……あの重量級を「重いね」の一言で済ませられるから、こいつは爪隊隊員なのだろう。
感心すると同時に、不安も覚える。
私の見ていないところで死にかけないでくれ。
「……今度の休みに、稽古をつけてやる」
「やったあ」
「キマリスにもベヒーモスにも負けない隊員になれ」
「うん、なる。ごめんね、アザミくん。心配かけて」
「心配くらい、させてくれ」
強く抱きしめる。
囁くような声で「怖かったぁ」と聞こえ、さらに強く、腕の中に抱え込む。
私の背中を掴む手は、あまりに小さく、不安しかない。
だが、彼女は魔関署の悪魔だ。
私が鍛え、キマリスが爪を研いだ鋼鉄の悪魔。
それを知っている。だから、これからも何度でも彼女を見送り、帰りを待つのだろう。