後ろ手のチョコ「魔関にバレンタインとか、ねえんだよなあ」
「そうですねえ」
ぼやく先輩に相槌を打つ。
今日はバレンタインデーだ。皆のモノが浮かれている。けど、我々牙隊隊員一同はな〜んにも浮かれていない。何故か。
みんな大好き最強きゃわいいアクドル、くろむちゃんの魔苦針ドームバレンタインライブの警備に突っ込まれたからである。
私は准将である先輩と並んで関係者入り口に突っ立っていた。ドームの中からは盛大に盛り上がる声が響いている。
「でもよ、お前はダーリンにチョコレート渡すんだろ?」
「私のダーリン、そんな浮かれたイベントに付き合ってくれると思います?」
私のダーリン……牙隊大佐のアミィ・アザミはライブの警備に牙隊をという話が出た時点でハチャメチャに機嫌が悪かった。そもそもは警備の部署から悪魔を出す予定だったのが、ライブ宛てに爆破予告が届けられ、なにかあったときのためにと急遽割り振られたのである。
「アザミ様、めちゃくちゃ切れてたもんな」
「フェンリル様が宥めてなかったら警備部の少佐の羽、普通に千切られてましたよ」
「……ふふ。千切っちゃえば良かったのにな」
「めっちゃわかりますけど、笑わないでくださいよ。笑っちゃうじゃないですか」
ライブの警備は牙隊の仕事ではない、年末年始の各種イベントの警備にも毎年手を貸しているのに、そんなことにまで誇り高き牙隊をこき使うなど、我々を何でも屋とでも思っているのではないか? とまあまあ冷静に詰めたアザミ様に対して、警備部の少佐が、お高く止まるな、仕事を選り好みするな、くろむちゃんのライブは我々が警備したかったのに先方が不安がるから譲ってやってるんだ、ということをのたまいやがり、アザミ様が譲っていらんと撥ね付けて揉めたのである。
その場にいた准将と私は一部始終を見ていたので、最終的にフェンリル様が両方にお説教したところまでを二人で全て隊内に言い触らした。そのせいで二人してアザミ様に怒られたけど後悔はしていない。アザミ様が真っ先に警備部に言い返したことを隊員の皆が知ったことで隊内の任務に対する反発が起きなかったのだから。
「まあアザミ様はふっつーに大人気なかったけどね」
「アザミ様が短気なのは今に始まったばかりじやないですから」
「それにしても警備部が最近図々しいのは間違いないしねえ」
「そうなんですよ。年末年始とバレンタインと、って年の四分の一、手を貸してますよね。たぶん来年には三分の一になってますよ」
「フェンリル様が釘を刺してたから大丈夫だと思うけどねえ」
なんて呑気に喋りながら、一応警備をしていた。なにしろ今はもうライブも中盤なので関係者入り口を通る悪魔はいない。あと一時間くらいしてライブが終えたら、出ていく悪魔の確認で忙しくなるのだけど。
なんて思っていたらキャップを被り、大きめのジャケットを羽織った悪魔がやってきた。
「すんませーん、弁当お持ちしましたー」
「はあい。入館証ご提示ください」
「おなしゃーす」
「はい、確認しました。こちらの帳簿にサインを」
「ずいぶん厳重なんすねー」
「ええ、そうなんですよ」
私は准将に向かってニコッと微笑んだ。頷いた准将がポケットから緑の粒を取り出して舐める。
「貴方みたいな不審な輩を入れるわけには行きませんので」
「なっ」
顔を上げた悪魔の後ろからツルが伸びてきて、一瞬で捕縛する。悪魔は藻掻きながら悪態をついている。
「離せ、なんだってんだよ!!」
「あら、熱烈なラブレターをお出しになってましたよね。匂いますよ。お腹にしまってるのはボンボンフラワーと火の精の呪詛ですよね。西方の呪法ですか」
「は」
悪魔が黙ったので無線で警備本部にいるアザミ様へと連絡し、本日三人目の爆破予告を送った悪魔の捕獲を伝える。
……そう、爆破予告は十通以上。たかが一、二通なら、わざわざ牙隊が出張る必要もない。
『了解。すぐに迎えを寄越す。……怪我は』
「ないです。無抵抗でしたし、准将がパパっと捕まえてくれましたので」
『ならいい』
そう言って無線は切れた。
「アザミ様なんて?」
「すぐに迎えを寄越すそうです」
「ふうん。それだけ?」
「……怪我がないかとは」
「かーっ、過保護だこと」
笑って肩を竦める准将から目を逸らす。
……一応、アザミさんにチョコは用意してある。してあるけど、渡すタイミングがあるかなあ。
やってきた迎えに悪魔を引き渡し、やがてライブも終わる。関係者入り口の出入りが終えるまで警備を続けて、フラフラになりながら私と准将は警備本部まで戻った。
「今日はご苦労だった。差し入れを頂いているので各自受け取るように。日報を提出したら本日は解散とする」
「イエッサー!」
アザミ様の号令を受けて机を見ると、
「警備ありがとうございました。よろしければみなさんで食べてください。くろむ」
と可愛い文字が書かれたカードと、お高いチョコレートが入ったカゴが置いてある。
なんと、くろむちゃんからの高級チョコレートだ……。すげえや。これは確かに警備部の悪魔たちも警備に入りたかっただろう。ありがたく一つもらって食べつつ日報を書く。
すんごい美味しい。ほっぺた落ちちゃう。けどこれ、アザミさんも食べるんだよなあ。これ食べたあとに素人の手作り渡し辛いなあ。
というか普通に練習の段階で何度か食べて貰っているので今更期待も何もない。アザミさんからすれば、また寄越したくらいでしかないだろう。……また別の日にラッピング解いて渡そうかな。
ちょっとしょんぼりしつつ日報をアザミ様に渡してサインをもらう。
「アザミ様もくろむちゃんからのチョコ食べました? ほっぺた落ちるくらい美味しかったですよ」
「いや、私は不要だからお前が食べていい」
そうなん? 首を傾げるとアザミ様が眉間にシワを寄せた。なんだ? けど聞き返す前に他の先輩が日報を持ってきたので避ける。
「ともかく、残すのは失礼だから残った分の回収は貴様がするように。日報はあと数名だからそこで待っていろ」
「イエッサー」
大人しくアザミ様の横でチョコをかじりつつ先輩たちの日報を眺める。すぐに先輩たちは退室して、最後に出ていった先輩はめちゃくちゃ笑顔で私にサムズアップして去って行った。
「あのう」
「残ったチョコは回収」
「イエッサ」
「着替えて来い」
「はあ」
着替えて更衣室を出るとアザミ様が私服で待っていた。特に約束とか待ち合わせとかはしてないんだけど。
「行くぞ」
「どこにですか」
「私の家だが」
「え」
魔苦針ドームの関係者口から出ると手を掴まれて、恋人っぽい雰囲気……というよりは完全に連行されている。そのままアザミさんの家に連れ込まれて、玄関に入ったと思ったら壁に縫い付けられた。
「あ、あの」
「出せ」
「え」
「あるだろう、私に渡すものが」
「あります、けど、なんで」
「逆になんでわからないと思ったんだ?」
怖い怖い! めちゃくちゃ顔が近くて、珍しく目尻が下がっている。なのに声が低くて怖い!
……バレンタインに恋人からチョコをねだられているシチュエーションでこんなに怖くて泣きそうなことある!?
けど、ある。ちゃんとアザミさんにと思って用意したチョコが。それを欲しいと言ってくれるなら、渡さないでどうする。
「これ、どうぞ」
「ああ」
渡すとやっとアザミさんは離れていった。と思ったら屈んでちゅーされた。
「わ、え」
「続きは後で……ゆっくりと」
「つ、え、まっ」
「待たない」
また手を引っ張られて室内へと連れて行かれる。ソファに並んで座らされてアザミさんは渡したチョコを開ける。
「最初の頃より、かなり上達している」
「……まあ、それは、そうなんですけど」
アザミさんはもぐもぐしながらも私の方を見ている。見ているというか、睨んでいるというか。
「私のために努力したのだろう? なぜそれを隠す。……隠せていないのに」
「だって、くろむちゃんの高級チョコの方がいいじゃないですか」
「?」
「もー、首かしげないでくださいよ! 一般論です! 素人の手作りより、最強かわいいくろむちゃんにもらった高級チョコレートの方が一般的には嬉しいものなんです!」
けどアザミさんは首をかしげつつ、私が渡したチョコを一つ残らず平らげた。
「一般的にそうだとして、恋人が自分のために頑張って作った本命のチョコレートが嬉しいという感情も一般的に普通だと思うが」
「……まあ、そうなんですけど」
「比べるものではあるまいに」
「…………それもそうなんですけど」
「おいで」
こんな不機嫌な声の「おいで」があるか! もっとこう甘い雰囲気で優しい声で言われるものでは!? 私が悪いんですけど! くろむちゃんの高級チョコレートに気後れした私が悪いんですけどね!?
おずおずと広げられた腕に収まりに行こうとしたら、ソファに勢い良く押し倒された。瞬きするより早く口が塞がれる。
「ん、あ、ふあ」
息が出来なくてもがもがと暴れている内に本当に苦しくなってきてアザミさんの胸を叩いてやっと開放された。
「ちょ、なんですか、もー!」
「美味かっただろう」
「は?」
「貴様の寄越したチョコレートは十分に美味かっただろう」
「……もー!」
なんなのこの悪魔! なんなの!!
普段はツンケンしてて無愛想で気が短くて大人気ないくせに、こういうときにがっつり甘やかしてくるのなんなの!?
「なんだ、足りなかったか」
「た、足りました。十分です!」
「そうか。……だが、私は足りていない」
「えっ」
今度は察して後ずさる。そして顔の前で手をバツにした。
「お腹がすきました! あとシャワーを浴びさせて頂きたく!!」
「まあいい。楽しみは後に取っておくものとしよう」
やむを得なかったとはいえ、後が怖いやつだ。まあ仕方ない。ソファから立ち上がって夜ごはんを食べに行く。
……同期から「プレゼントは私♡」ってするといいよと勧められてハートとリボンのついたカチューシャを用意してあるわけだけど、それは流石に恥ずかしいから隠しておこう。
「そういえば」
「はあい」
「その鞄に入れたままになっているラッピングは風呂上りにつけるのか?」
「え」
見上げるとアザミさんの目がギラギラと光っていた。どうにも私はこの方に隠し事が出来ないらしい。月曜日の出勤に影響が出ない程度でお願いしますと言ったら、善処するって返ってきた。