5/30azm五月頭の話 夕刻の教室には、橙の光が差し込んでいた。私――アミィ・アザミの手元と、机越しに座る研修生の少女のノートを照らしている。
「……わかんない……」
教室に残っているのは、私と少女の二人だけだった。少女は肩を落とし、ぽつりとつぶやいた。
「何がわからないんだ」
「何がわからないのか、自分でもわかりません」
ノートが濡れていないのが不思議に思えるほど、少女の瞳には涙が浮かんでいた。
「最初から説明する」
「説明を受けたときには理解できた気がしたんです。でも、その後の小テストの問題はまったく解けなくて」
「ならば、先に問題を確認しろ。そのあとに説明する」
「……わかりました」
教卓から小テストの用紙を持ってくる。彼女の小テスト用紙には不正解の印ばかりが並んでいたため、回収して破棄した。
「設問の一つ目は魔術と魔獣の持つ属性についての確認をしていて……」
「……はい!」
問題は十門しかなかった。それらすべてを全てを解説し、続けて教科書の該当箇所を説明した。再び小テストに戻り、第一問から確認していく。
「えっと、ベヒーモスは土属性だから、炎じゃなくて、草で……氷の魔術は、効かない?」
「そうだ。次の設問も考え方は同じだ」
彼女がつまずいている内容は、率直に言って基礎の基礎にすぎない。それが理解できない理由すら、私には理解しかねた。……この少女はバビルスの講義中に一体何を聞いていたのだろうか。
しかし見方を変えれば、それらを理解させることが、知識の基礎を築く第一歩とも言える。ゆえに、時間をかけてでも叩きこむ。基礎がなければ、その上に何も積み重ねることはできない。
やがて、全ての設問に正解の印がついた。彼女は疲労困憊の様子ながら、わずかに表情をほころばせた。
「遅くまで、ありがとうございました」
「……それが私の務めだ。速やかに片付けて帰れ。今ならまだ寮の食堂に間に合うはずだ」
「ありがとうございます。お先に失礼します」
少女の華奢な背中を見送ったのち、私も席を立った。牙隊の執務室に戻り、日報の確認作業にとりかからねばならなかった。
「アザミ様、お帰りなさいませ。……まあ、何か良いことでもございましたか?」
「ない」
「ご機嫌なご様子にお見受けいたしますが」
「ない。早く先日の報告書を提出しろ」
軽く手を振って部下を下がらせ、積まれた日報に手を伸ばす。