『バッドエンドは投げ捨てた8』【ヒロインのピンチにはやっぱり登場】
「えっ、ちょ、何!? なんかとんでもないイケメン二人来たけどCM起用のモデルさん!? もしくは仕事ダルすぎて寝てるうちに異世界飛んだ!?」
声量は小さいながら存在感のある悲鳴のようなものが、隣に座る指導担当の先輩の席から聞こえてきた。
一点から波紋のように広がり室内中でヒソヒソと漏れる声を耳にすれば、何が起こっているかは顔を上げる前から誰よりもよく分かっていた。
オフィスの上席側にある出入り口に、末席に居る私から見ても分かるほどの長身の、黒い髪と薄茶の髪の究極イケメンが二人……関さんと今大路さんが、扉を立ち塞ぐように佇んでいた。
今朝の私からの一報、社長2時出社の報告を受けて、関さんと今大路さんはすぐ様こちらに向かい、社長の到着を待ち続けていた。
計画はこうだ。違法薬物取り締まりのように令状が無いことで強気に踏み込めない私達は、最初から直接社長に話を聞こうとしても煙に巻かれて逃げ切られてしまう懸念を潰すことができなかった。
だから、捜査当初から目をつけていた危険ドラッグ売買の直接的な関与が分かっている男性社員の方を先に崩しにかかることにしたのだ。
社長がオフィスに出社したら、テナント営業につき捜査対象の会社とは関係ないビルのフロントスタッフに捜査協力を頼み、アポ無しで建物内に入る。
身分証明などは一層厳しくなりつつある昨今で受付の突破も容易ではないけれど、厚労省本部への直接の電話確認を行ってもらうなど、そのための手順は整えてきたから門前払いされることはない。
関さん、今大路さんはオフィスに入ったらまず、男性社員の任意聴取を行いに来たことを社長に説明する。
男性社員は、勤務姿勢自体は至って真面目で無遅刻無欠席。まず不在ということはなく、今日も就業時間5分前に着席したことを私から報告済みだ。
捜査官を無闇に追い返せば自分に疑いが向きかねない立場に居る社長は、関さんと今大路さんをオフィスに招き入れるしか選択肢が無くなる。
捜査協力を拒絶すれば、その時点で自分の関与を肯定したと同じ意味になる。
人目もあるし、ここでは社長も無闇に抵抗や逃走には走れないだろう、ということだ。
あとは関さんと今大路さんが男性社員から危険ドラッグ売買について聞き出し、社長の関与の裏付けを取る。
その流れで全ての危険ドラッグの没収に応じるよう圧力をかければ、実質、社長には拒否権はない。要請に応じないとなれば売買を強行しようとした悪質業務とみなして、特例ではあるけれど危険薬物指定の公布に前後しても検挙すること自体は不可能じゃない。
社長の選択は、危険ドラッグを捨てるか、捕まるか、そのどちらかだ。
ざっと全体を見渡した関さんと今大路さんと、遠目ながら一瞬だけ目が合ったように思う。
間取りは事前に情報共有しているけれど、実際の距離感は現場を見ないと分からない。二人は私が居る場所と、その後ろにある後方の出入り口を同時に確認したようだった。
関さんが、近くのデスクで仕事をしていた女性社員に声をかけると、その人はすぐに奥に取り次いで、社長は予想通りもったいぶることなくオフィスに姿を見せた。社長室のすぐ近くには羽鳥さんが使っている臨時のデスクがあるけれど、席を外していて今は不在だ。
羽鳥さんはこの現場では他人を貫くことになっている。関さん、今大路さんが到着するタイミングを分かっていて席を空けているということは、二人と顔を合わせる機会をわざと減らしているかも知れなかった。
社長室への扉がある上席側で立ったまま、社員達のデスクから見えないように背で隠すようにして、関さんが身分証を提示する。
社長が身構えることなく応接室に関さん達を招こうとしていることから、予定した段取りの通りにことが進みそうだと遠目ながらに分かった。
様子が一変したのは、その直後だった。
オフィスの中央付近でパソコンに向かったまま、それまで関さん達の方へ顔を上げた様子さえなかった男性社員が、静かに、しかし、ただ席を外すにしては随分と違和感のある勢いで、腰を上げた。
そのまま社長達の方を見ることもなく、私の居る方に——オフィス後方の出口に向かって来たのだ。
(まさか勘付かれた!?)
男性社員の居る位置から関さん達の会話が聞こえたとは思えない。けれど男性社員は、確かに何かを感じ取って、逃げるように足早にこちらに向かってくる。
何より会社内で組織ぐるみに行われていたことなら、関さんたちの意図を察した時点でむしろ社長と意思疎通を図ろうとするのが普通の流れなんじゃないか。そもそも彼らは合法だからと今回の脱法ドラッグについて堂々としていたのに、どうして今更……。
逃走を図られることも想定内とはいえ、そんな違和感が瞬時に頭に浮かぶ。
けれど迷っている暇はなかった。
男の後ろを今大路さんがすぐ様あとを追う。関さんは、社長が混乱に乗じて姿をくらまさないように社長室前に立ったままだ。男がいずれ今大路さんに追いつかれるのは間違いないけれど、少しでも無理に止めたり体に触れたりしたら難癖をつけられてしまうのが任意聴取の厄介なところだ。
あのスピードだと、今大路さんはどこで男性社員に追いつくだろう? 廊下に差し掛かるところ、あるいはエレベーター? 追いつけば男は逃走を諦める? 本当に?
時間をかければかけるほど、面倒なことになる。
(グレーな気はするけど、私は今ただのアルバイト社員なので!)
会社に対して捜査官として対応するのは関さんと今大路さんだけで、私は最後まで臨時雇用職員を貫くことになっている。だから……。
机に置いていたコーヒーの入った紙コップを持って、心置きなく立ち上がった。歩く速度を上げていた分、周囲に気を配り切れていない男性社員がちょうど出口に差し掛かるタイミングに合わせて、そこそこの勢いで振り向き、同時に肩をぶつけにいった。
「あ!? すみませんっ!」
紙コップの中身が大きく揺れて、コーヒーが思い切り男の白いシャツにかかる。
男がよろめいて足を止めたその下に飛び散ったコーヒーがカーペットに広がったのが見えて、『弁償!』と浮かんだ単語は、今は必要ない情報だからすぐ様頭から振り払った。
ほとんど中のなくなったカップを自分の机に置いて、立ち上がる前にパンツスーツのポケットに仕込んでおいたハンカチを即座に取り出し、男のシャツを、しっかり握り締めた。逃げられないように。
その背後に、今大路さんが追いつくのが見えた。
「ごめんなさい、よく見ていなくて! クリーニング代払います!」
一歩退こうとする男を追うように汚れたシャツを掴み直して、「あーどうしよう!」なんて独り言を言いながら茶色に濡れた箇所をハンカチで拭う。「大丈夫ですか」と入り口への逃げ道を塞ぐように間に割って入った今大路さんの声は、男には少しも届いていなかった。
「……から」
「え?」
「いいから」
「え、でも」
「もういいから!」
「わっ」
私の肩を突き飛ばそうとしたその手は、私の体に触れる前に目の前から消える。
上方に外された男の腕は、今大路さんが正当防衛の範囲内できつく捻り上げていた。
間髪入れずに男のもう片方の手が上げられた瞬間。その手を取り押さえようとした今大路さんの指が、宙を掴んだ。
「女の子に暴力を振るったらだめだよ」
今大路さんが、少し驚いた表情を私の真後ろに向ける。
(羽鳥さん!?)
背後から男を掴み上げたのは、後方の出入り口から突然登場したらしい、羽鳥さんだった。
タイミングが良すぎる。廊下で待機してくれていた? 男が逃げるのを阻止するためというより、万が一の時の社長の足止めを想定してくれていたのかも知れない。
真意は分からないけれど、いずれにしても今大路さん、羽鳥さんに行く道も戻る道も阻まれたら、男にはもう進む先は無くなっていた。
「ど、けっ」
男が力一杯腕を振り払おうとしても、日本人男性平均身長と比較して高め、もしくはすごく高めの上背がある二人に手を取られて歪に連行される宇宙人に見えなくもない男は、身じろぎ程度にしか動けないようだった。そのまま私の真後ろにいる羽鳥さんを蹴り飛ばそうとして上げかけた足さえ、今大路さんの脚に絡め取られて一瞬で床に縫われた。
「暴力は男性にも振るってはダメですよ」
男が足を上げかけた瞬間に羽鳥さんに脇に追いやられた私は、彼らの横から身長的に二人よりも近い目線で男の目を確認する。
関さんと今大路さんの訪問に対し、過剰に逃げる姿勢を見せた行動。今も関さんの隣で成り行きを見届けている、社長の冷ややかな目。
男の、開き直ったようでもあり、どこか焦りを孕んだ顔。
(これは……)
私が直感をするより僅かに先に、今大路さんが何かを悟ったように一瞬だけ眉を潜めた。
「お話、伺わせて頂きます」
オフィスが騒然となる中、抵抗をやめない男を今大路さんが巧みに誘導して、応接室へと移動する。
そして。
男性社員はその場で行った薬物検査で明らかな大麻反応が出て、現行犯逮捕となったのだった。