ひとりのあさ 音量を増していくアラーム音が煩わしくて、彼は目を覚ました。
慣れた手つきで操作した携帯端末が大人しくなり、しかしまだ布団の中から出たくないと再び目を瞑る。そこで、直ぐに様子がおかしいことに気づいた。
アオガミが、眠り続けようとする彼を起こそうとしてこないのだ。
隣に身を横たえている筈の半身へと手を伸ばす。腕を伸ばした先には誰もおらず、淡く青く輝く指先がシーツの上を撫でる。
その瞬間、少年の――否、ナホビノの意識が覚醒した。
勢いよくベッドから上半身を起こし、慌てて己の体を見下ろす。指先の輝きも、身に纏っている青色の装甲も間違いなくナホビノたる証である。
昨夜、少年はいつも通りに眠りに就いた。警護の為と、ベッドの横に腰を下ろしてスリープモードに入ろうとしていたアオガミを引き留め、説得してベッドに身を横たえて貰った隣で。
だが、ここに居るのはナホビノがひとり。
ナホビノが存在するのならば――アオガミは、いないのだから。
「アオガミッ!」
己の存在を理解しながらも、意識を担う知恵は生命の名を呼んでベッドから飛び降りた。
直後、鈍い音が狭い室内に響く。
「~~~っ」
ベッドを降り、室内を確認しようと気が動転したままで動いたナホビノが己の長い髪を踏みしめ、バランスが取れなくなってそのまま床に転倒をしたのであった。
『少年、大丈夫か?』
悪魔達との戦闘で負う怪我に比べれば軽度の打撲であるが、想定外の痛みに蹲るナホビノへと語りかける静かな声。俯けていた顔を上げ、ナホビノは再度半身の名を叫ぶ。
「アオガミ!?」
『ああ、私だ』
聞き慣れた心地の良い声音。
『大きな音がしたが、怪我は?』
「……ないよ」
『そうか』
ナホビノはアオガミに嘘を吐いた。
痛みは確かにある。殴打した体は、確かに痛い。けれども、それ以上に現在彼を蝕んでいる痛みは心の痛みであった。
――アオガミが、消えなくてよかったと。
『少年』
寮室にはナホビノしかいない。
それなのに、まるで第三者から顔を隠すように蹲り続けるナホビノ。彼の様子に何かを察して呼びかけるアオガミであったが。
『……いや、何でも無い』
ナホビノからの反応を待たず、返答は不要だと告げる静かな声。ナホビノは顔を隠したまま小さく頷き、アオガミが追求を控えてくれたことに感謝するのであった。
――そうでなければ、きっと、自分は。
言葉を紡げばきっと、震えたものになってしまう。涙が零れる気配がないのが不思議な程に、ナホビノは泣きたくなっていたのだから。
(アオガミにこれ以上、情けない姿を見せずにすむ)
ナホビノがそう考えた刹那である。
「少年」
先ほどまでとは違い、空気を揺らす男の声。ナホビノが――否、少年が身を起こし慌てて己の手を見下ろすと、輝く指先は消え去っていた。視界に映るのは人間の手である。肌色の指先を認識した直後、彼の視界が滲む。
「あっ」
蓋をして閉じ込めていた筈の涙が、緑灰色の瞳から零れ落ちる。
けれども、落涙が床に染みを作り出すことはなかった。少年が己が泣いていると自覚した瞬間、彼の体はアオガミに抱きしめられていたのだから。
「あおがみ」
――アオガミの体に、自分の涙が落ちてしまう。
白銀の装甲を汚す行為に思えて距離を取ろうとする少年であったが、彼が抗おうとするとアオガミの腕の力が強くなる。
「少年」
アオガミは少年を呼び続けるばかりだ。けれども、それがとても愛しく感じられて、少年は離れようとする行為を止め、己もアオガミの背中に両腕を回すのであった。
ひとりではなく、ふたりのままで。
はらはらと少年の双眸から零れ、装甲を伝い落ちていく涙が止まるまで、彼らはふたりで身を寄せ合い続けたのであった。