冬の帰り道夕食の済んだ食卓の上に、デザートのりんごが置かれている。母にフォークを渡された父と弟が、嬉しそうに手を伸ばすのに、俺は同じようにできなかった。
緊張していたんだ。
「杏寿郎も食べなさい」
母の優しい声にうながされ一度持ち上げたフォークを、食卓に置く。ダメだ。やっぱり食べる気になれない。
「今夜はあまり食がすすまなかったようね…何かあった?」
緊張して、あまり喉を通らなかった。とはいえ普通に食べたつもりだったが、母にはお見通しだ。
俺は腹を決め、両親の顔を順番に見た。
「父上、母上。お話があります!」
ただでさえうるさいと言われる俺の声が、ビリッと響いたのが自分でもわかった。弟が視線を逸らすのを見て、さらに付け加える。
「千寿郎にも、聞いて欲しい」
「あ、はい」
その間に母はエプロンを外し、椅子に座った。父は目をぱちくりするだけで、微動だにしない。
俺は大きく深呼吸をしてから、大声にならないように気をつけながら言った。
「会ってほしい人がいるのです」
母はにっこりと微笑んだ。弟はわぁ…と小さく声を上げて笑う。父はみるみる目を潤ませて、掠れた声で言った。
「…そうか、そうだな。杏寿郎ももう23か?そういう相手がいても、おかしくない歳だ…」
ううっ、と声を詰まらせて袖口で目元を覆う父を、母が優しく支えた。
「こんな日が来るのを待ちわびておりました。今度こそちゃんと見届けられると思うと、嬉しいですねぇ」
「そうだな。前世では鬼狩りばかりに精を出して、恋をするいとまなどなかっただろうから…」
「あ、」
間の抜けた声が出た。
二人が一斉に俺を見る。千寿郎の眉が、いつも以上に下がっている。やれやれ、といったところか。
「じつは」
「なんだ?」
食い気味の父に、押されてしまってはいけない。両親にはちゃんと、認めてもらいたいのだ。
「前世から、想いあっていた相手なのです」
「あの継子か!?」
椅子を蹴る勢いで立ち上がる父上を、両手を伸ばして押さえ込む。
「違います、甘露寺ではありません。彼女は前世から小芭内と想いあっていて、今もいい関係を築いています」
「そうなのか!?」
それも父上には意外だったようで、さっきから血走った目が開きっぱなしだ。小芭内のことは母も知っているから、あらまぁ、なんて嬉しそうにしている。今度、甘露寺を連れてウチに遊びに来るように言ってみよう。
それよりも。
「では、誰だ!俺の知らん相手か!」
そう思うだろう。だって父は俺のことを、鬼狩りばかりしていて恋などするいとまもない、と思っていたのだから。あの頃の父は、俺や千寿郎をかえりみようとしなかったし、俺も極力家には持ち帰らないように努力していたから、知らなくても無理はない。
ただ面倒なことに、父上とは面識があるからなぁ…。
「杏寿郎!」
「槇寿郎さん…」
母に諌められて椅子に座った父を、俺はしっかりと見つめた。
「宇髄です。宇髄、天元」
「宇髄…?」
小さくポツリとつぶやいた次の瞬間、今度こそ椅子を蹴り倒して父が立ち上がった。
「お、お…音柱かぁッ!!?」
あまりの剣幕に、気弱な思いがよぎる。認めてもらえないだろうか…。
しかし予想もしなかったところからの援護射撃で、俺は救われることになった。
「やっぱり!宇髄先生なんですね!?」
「千寿郎?」
母上が声をかけると、弟は嬉しそうに身振り手ぶりをしながら説明し始めた。
「学校でいつも、すごく仲良さそうにしてて…俺、前世から知ってました!宇髄先生が兄上のこと…だから今度も上手くいけばいいのになって思ってたんです!」
「そうなのか?」
「ハイ!兄上の髪を…少し切って欲しいと言われて…」
いつ、とは言わないが、前世の俺の葬儀のときだろう。そんなこと言ってたのか?俺だって知らないぞ?
「それで、どうしたのです?」
母上は興味津々だ。
宇髄天元がどんな男なのか、知らないのは母だけだから仕方ない。
「鋏をお渡ししたんです。俺が切るより、おそらく宇髄さんが気に入っておられた部分があるのではと…ピンときたので」
「どこを切ったの?」
「このへん…だったと思います」
千寿郎が手を伸ばし、俺の耳の辺りから輪郭に沿う髪を指差した。確かに宇髄は、この顔周りの髪をよくいじってくるな…先日も事後に後ろから抱きかかえられ、このあたりの髪を撫でつけられて…。
そこまで考えて、カッと顔が熱くなった。千寿郎も赤い。俺を見て、恥ずかしくなってしまったに違いない。家族の前で何を考えているんだ俺は!焦って気持ちを切り替えようとするのに、母がにやにやと意味深な笑顔を向けてきて、恥ずかしさが収まらない。
しかしスッと真顔になると、母は静かに言った。
「天元さん、っておっしゃるの?男の方ね。杏寿郎は以前から、男性が恋愛対象だったの?」
親としては当然、気になるところだ。聞かれる覚悟もしていたから、こちらに動揺はない。
「そういうわけではありません。男も女もなく、宇髄だけが特別なんです」
「前世から?」
「…はい」
「待て」
やっと会話に入り込めた父の、予想出来すぎる抗議が始まった。
「あの男、前世は嫁が三人もいただろう!」
「今は独身です」
「違う!前世だ!お前…そんな男と恋仲だったというのか!?」
落ち着いているように見えて、これには母上も多少の動揺を隠せないでいる。だが俺としては、そこはもう突っ込まないでほしかった。
「そうでした。でも前世です。もういいでしょう?今とは環境も考え方も違う。後悔もしていません」
「よく言った!いいだろう…あの男を連れて来い!俺が直接話をつけてやる!」
急に不穏な空気をまとった父をよそに、母はいそいそとカレンダーに向かった。
「で?いつお連れするの?クリスマスイブなんてどうかしら?」
◇ ◇ ◇
帰宅のあいさつもしていないのに奥から飛んで来た父は、宇髄の長身を見上げたまま、あんぐりと口を開けていた。
「は、初めまして!う、宇髄、天元と申しますっ!」
「…うずい…君…?」
「はい!あ、あの…き、きょうじゅろさんと!おおおつきあい、させていただいておりますッ!」
「あ…あぁ…」
「ようこそお越しくださいました。お寒いですから、中へどうぞ」
後から玄関へ出てきた母は、いつもより化粧が濃い。着物も上等なものを着ている。
宇髄がさらに、背筋を伸ばした。
「あ、こ、これ!おみやげです!」
「まぁこれは、銀座のデパートでしか買えないお菓子では?」
「はい!彼からお好きだと聞きまして…」
宇髄がわざとらしく俺を見るから、わかりやすく頷いてみた。
「大好物です。ありがとう」
「ああ!よかったぁ〜」
ホッとする身振りが大きい。俺は慌てて宇髄のコートを引っ張った。
「ここに掛けておくから、脱いでくれ!」
「あーハイハイ」
ウチのハンガーラックに掛けると、彼のコートは床すれすれになってしまった。
普段では考えられない豪華な具材を詰め込んだ鍋をつつきながら、母は質問攻めだった。
「宇髄さんは、キメツ学園の先生なんですって?」
「あ、はい!」
「教科は何を、教えてらっしゃるの?」
「美術です!」
「音柱なのにか!?」
「え?」
思わずつっこんだ父を、宇髄が不思議そうな顔で見つめる。ゴニョゴニョつぶやいて誤魔化した父は、大量の白菜を口に詰め込んで逃げた。
「それにしても杏寿郎は、メンクイだったのですねぇ」
「母上、メンクイとはどういう意味ですか?」
「宇髄さん、とってもハンサムだから」
ああ、父が白菜で咽せている。母が流れるように差し出した茶は少し熱かったのか、さらに咽せて顔を真っ赤にしていた。
◇ ◇ ◇
宇髄が帰るころには、外は真っ暗になっていた。駅まで送ってくると言って家を出ると、門の外まで来て、宇髄に手を掴まれた。
彼のコートのポケットに、繋いだままの手を突っ込まれる。いつもの俺たちのスタイルだ。
「…な?俺の作戦、成功だろ?」
「ああ…余計なことは、一切言ってこなかったな」
前世の記憶が無いふりをしよう。
そう提案してきたのは宇髄だ。
その方がすんなりいくと思ったし、俺も納得して同意したし、父を黙らせることができて正解だったと思う。でも、やっぱり…。
「ダンナが白菜吐いたときは、吹きそうになったぜ」
肩を揺らして笑う宇髄を見上げると、チラリとこっちを見下ろして来た。
「…お前の言いたいことはわかるよ?騙したみたいで、やなんだろ?」
「まぁ…そうだな」
両親には、ちゃんと認めてもらいたい。それは俺の身勝手な願いなのかもしれないけど。
「いずれ…タイミングみて、ちゃんと話すよ。前世のことも、全部覚えてるって」
「そうすると父が逆上するかもしれない」
「結婚しちゃえばこっちのモンよ」
彼のポケットの中で、俺の手がぎゅっと締め付けられる。そこから伝わるのは、ぬくもりを通り越した、熱。
「俺はね、誰に反対されようと絶対お前を手に入れる。それがお前の両親でも、だ。けどなぁ…お前も今は家族仲良く暮らしてんだし、あんまり波風立てたくねぇんだわ。だからって前世のこと持ち出されて反対されたりしたら、攫って逃げるしかなくなるだろ?」
「そんなことするのか?」
「するよ?人はいつ死ぬかわかんねぇんだ。親に遠慮してる間に、お前がまた俺を置いて逝ったら嫌だもん」
ぎゅ、ぎゅ、と強く握られる。俺もぎゅっと、握り返して。
「それを言うなら君だって、いつどうなるかわからない。今度は俺が、残されるかもしれない」
「あーそーね?一回やってみればわかんじゃね?俺の言ってることがさ…」
ポケットから放り出された手が離される。冬の空気にさらされて、冷たさを感じた瞬間、宇髄に強く抱きしめられた。
「…お前は何も遺してくれなかった…ぬくもりの記憶だけを抱きしめて生き続けるのは、なかなかしんどいぜ?」
「…髪を持っていたんだろう?」
「あれ?バレてる」
腕の中から見上げると、とびきりの美丈夫がぺろっと舌を出した。可愛いな。
「ま!いずれにせよ家族になって顔合わす機会が増えたら、親父さんたちにもバレるだろうし、いつまでも隠し通せやしねーよ」
「家族…」
「そ!家族」
急に頬が熱くなってきて、宇髄の体に腕を回す。そうだ、俺は君と、家族になるんだ!
「今度は絶対、離さないから」
寒さはもう感じない。
君が一緒にいてくれるから。