3. Confidant ……よし。
「見ろ、ひとりになったぞ。しばらく用事もない筈だ」
満を持して、傍らの青年に声をかける。
巨大な樫の木の幹にへばりつくようにして、元・不死騎団長はこわごわ視線を投げた。
目的の男は主君と別れて、おそらく修練のため森に残っている。
魔族の耳でも察知困難なくらい距離を取り、完璧に気配を消した二人に気づく様子はない。
ヒュンケルは彼の姿を直視できず、思わず下を向いた。
メァリがばすんと腰辺りを叩く。
「行け。行くんだ。躊躇している場合か」
「待て。待ってくれ。……いや、やはり今日はやめよう」
「何回目だよ! ヒュンケル、あのさ、僕も詳しいわけじゃないけど、絆に関しては専門家なんだ。絶対に何とかするべきだって!」
「無理だ……無理だ。もし断られたら」
「それでも不死騎団長か!」
「元・団長だ! 正義に生きると決めたのに、闇の力で誰かの魂を操るわけには――」
「いや、操っちゃだめなんだって! 自然に、互いの心を繋ぐんだよ。まったくもう」
頼むから誰かアシストしてくれ、と心中で愚痴る。やっぱりレオナあたりに頼んだほうが早いんじゃないか。
だが。ヒュンケルの複雑怪奇なやるせない思いをダイレクトに感じ取っているのは、今のところ絆の勇者たるメァリだけなのだ。
仲間たちには、どんなに説明してもうまく理解してもらえないだろう。プライバシー保護の観点からも、他人に相談するわけにはいかない。
「このままずっと待っているつもり? 受け入れがたいんだけど。僕には分かるんだ、ヒュンケルとあの男には、特別な絆がある」
「……だが、ラーハルトは死す運命なんだ。さらに具合の悪いことに、殺したのは俺だ。そして今の奴には、俺などに目を向ける暇はない。運命に抗う事の出来る希少な時間を、主君であるバランとダイの為に捧げたいに決まっている」
その言い訳は前にも聞いたが、まあ、その通りだ。メァリは唇を舐める。
が、納得はできなかった。
魔剣戦士ヒュンケルともあろうものが、あの半魔の槍使いに送る視線ときたら。希望と絶望の入り混じった、あの目ときたら。
「あああ、もう、そんな目で僕を見るな」
頭を掻きむしりながら、理不尽な文句を叫ぶ。
「見ていないだろう。そんな目ってどんな目だ」
「とにかく! ラーハルトと話すべきだ。状況はセッティングしたからな、逃げるなよ」
メァリが斜め下から睨み上げる。
ヒュンケルはいつになく小さくなって、おずおずと一歩踏み出した。
やっとだ。やっと、ここまで漕ぎつけた。
密かなはぐれ者としての共感をこの青年と分け合い始めて、もうどれくらい経つのだろう。
「メァリといると、なんだか気分が明るくなるわ」レオナも、マァムも、そう言ってくれる。
僕もだ。みんなと一緒にいられるのは嬉しい。
次々に編み上げられていく絆を感じることで、生まれたての心は強く、堅固に、自分自身としての輪郭を増していく。
現実世界に抱きしめられているような、地に根差した巨木のような気分になれる。
いつも真剣で、先を見通していて、みんなに可愛がられる、完璧な、「絆の勇者」。
それでも、制御しきれない部分があった。
仲間たちのおしゃべりと沢山の矢印から離れて、動かぬある一点を見つめる時間が、時には必要だったのだ。
謎の、小さな、動かぬ点。
そんな時は、秘密基地に逃れてしばらく過ごした。
今までの戦いと冒険のさなか、密かに集めてきた思い出の品をじっと見ながら、実存を取り戻す。
勇者のそんな裏の顔を知るただ一人の仲間が、なぜかヒュンケルだった。
使徒でありながら大抵一人で行動している彼は、王都郊外の崩れた小屋、秘密の家を作り上げたメァリのもとを、ふらりと訪れるのだ。
その時間だけは、彼はほとんど少年のように不可解で無邪気な顔を見せた。
時間が戻ったみたいに。
メァリが彼の行動を理解してくれると、本能的に分かっているかのように。この奇妙な絆の勇者にだけは、幼くか弱い、柔らかなコアを晒しても大丈夫だと知っているのだ。
――もしかするとただ単に、モンスターの同類と思われているだけかもしれないが(メァリは美しい男にも女にも性的な関心がない。従って、大なり小なり彼のストレスを軽減しているはずだ。若干シャクではあるが)。
孤高の戦士、贖罪に生きる薄幸の美青年に、こんな一面があるなんて。
きっと、彼の師である大勇者すらも見通せていないだろう。あの占い師は気付いているかもしれないが。
メァリとしても、悪い気はしなかった。普段は近寄りがたい偉大な戦神が子犬みたいにそっと身を寄せてくるのに、誰が邪険にできるだろうか。
一晩中チェスとバックギャモンで対戦したり、キノコ狩りに出かけたり、モンスターの言葉を教えあったり。
ものすごくたわいのない時間を過ごしていたかと思うと、突然、ふと顔を上げ、現実に戻って去っていくのだ。
ぜんまいが切れたみたいに。
そんな穏やかな習慣が、とある時空の鳴動を機に一変した。
あまりに分かりやすかった。
あの男、ヒュンケルが命を奪ったはずの陸戦騎が、こっちの世界に現れた。
「それで、どうする気なの」
藪から棒な問いかけに、ヒュンケルはびくりと肩を震わせ、ぱらぱらと木の実を取り落とした。
「どうするって」
無表情を維持しているが、行動が伴っていない。
「僕は絆の勇者だ。ダイみたいに強くはないけれど、誰かの魂が揺れている時はよく分かる。戦力低下に直結するしね」
「現金なやつめ」
と、ヒュンケルが頬を膨らませる。
「結束がお前のエネルギー源なのだな。早めに逃げ出して正解だった。みながお前の力に絡めとられていく」
軽く笑いながら、そう続けた。いやな意味ではなかった。
「そんなこと言うなよ。確かに僕は、絆が読める。でもレオナ姫も言っていただろう、個人の気持ちの方が大事だって。この心で、大魔王に打ち勝つんだからって」
「その場面では、俺はバーンパレスの捕虜で死にかけていた。聞いていない」
「そいえばそうだったね。……いや、そういう問題じゃないだろ」
メァリは話を戻そうとして、バックギャモンの駒を無意識に弄った。
「結束、っていうけど、違うよ。それも大事だけれど。今の僕は、ただヒュンケルのことを知りたいんだ」
「お前は人の心と記憶を消費して強大になるモンスターだ。素晴らしい能力だが、俺を食っても旨くないぞ」
問題満載な言葉だが、気遣わしげに眉を下げるヒュンケルは真剣だ。
彼はとくに悪気はなく、本当にそう思っているのだ。
「だったらなぜ、時々ここに来るの」
と、核心を突いてみた。
ヒュンケルは黙り、天上を見、チェス盤を見、獲ったばかりのナイトを脇に置いて、しばし考え、
「わからない」
とだけ言った。
「嘘だ。わかってるはずだ……僕に委ねてみたいんだろう。絆が鳴いているのが聞こえる。張りつめて、今にも切れそうになって」
言葉を切って、勝負の体勢を整える。
「あの陸戦騎の――」
「違う!」
唸るような否定も、こうも視線が泳いでいては説得力がない。
「いいよ、認めたくないのなら、そのままでも。でもね、今は気付いているのは僕だけかもしれないけれど、いずれみんなにバレるよ。ほんとに分かりやすいんだもん」
「ま……」
ヒュンケルは目を白黒させて何か言いかけ、目を逸らす。
「被害が小さいうちに手を打つべきだと思わない? アバン先生やレオナに気づかれる前に」
「う」
「マァムや……エイミさんに知られる前に」
ちょっと卑怯かもしれない、と思いつつ、切り札を切ってみた。
ヒュンケルは真っ赤になってますます縮こまる。
「他人に愛を語れるのに、自分の愛はどうしていいかわからないんでしょ」
畳みかけると、不死身の戦士は全身の骨が砕けたみたいによろよろと地に伏した。
「違う。俺は戦いに生きる運命だ。人を愛する資格も、愛される資格も無いんだ。断じて違う。恋してなどいない。ラーハルトに憧れてなど、誰よりも俺を見て欲しいなどと、思っていない。絶対に違う」
混乱のあまり、自分から決定的なキーワードを連発している。
メァリは首を振ると背筋を伸ばし、唇を引き結び、びしっと膝に手を置いて、ヒュンケルに向き直る。
「ラーハルトのことが大好きなんだね」
とどめの一言に、遠くで何かが崩れ去るような音が聞こえた。
ヒュンケルがのろのろと顔を上げる。
数時間泣き続けたみたいに、真っ赤で腫れぼったい瞳から、哀れを誘う一筋の涙を流して。最強の剣士の面影もない。親に置いて行かれた子供みたいな表情。
さすがにかわいそうになってきた。が、心を鬼にして続ける。
「気持ちを伝え、次に進むべきだ。そんな爆弾を抱えた君を、パーティに入れるわけにはいかないよ」
「つ……伝える……だと?」
ヒュンケルが弱々しく聞き返す。もはや崩壊寸前の人格を辛うじて保ちつつ。
「そんなこと、出来る訳が無い」
「命も武器にする戦士のくせに、逃げるのか?」
「……う」
メァリは手を緩めない。
「この後どうなるかなんて、誰にもわからない。でも、失ったと思っていた相手が、目の前にいるんだ。ただ遠くから見ているだけで、また失うのを待つのか?」
「……一方的な想いだ。もし、嘲笑されたら。二度と近寄るなと、言われ、たら」
語尾は震えていた。
メァリは腕組みして、少し考えた。
誰だって、想いが成就しないことはある。
だが彼らの場合、なぜか、離れて立っているのを見るだけでむず痒くなる。いらいらする。腹が減る。マジックポイントが目減りし、奥義は当たらず、装備を間違えて出動し、キングスライムに吹っ飛ばされ、動く石像に踏まれ、五十連続でハズレの宝箱を引く。
確かに、今はヒュンケルだけががんじがらめになっている。しかし、あの半魔の硬直した殻の中にも、のたうち渦巻く柔らかな魂がうっすらと見えるのだ。誰かに届くべき紐の先端が、抑制された感情の中に囚われている。
二人を遠ざけるな。
絆の勇者の本能が、そう叫んでいる。だが、言葉での説明が難しい。
「ええと……ひどいこと言われても、諦めなければいいだろう……がんばって、次も挑戦すれば」
いきなり根拠の乏しくなったアドバイスに、ヒュンケルはいよいよ頭を抱えた。
が、しばしのち、幽霊みたいに静かに顔を上げた。
「わかった」
と、か細い声で言った。
そして、現在だ。
メァリは隠れたまま、一点の曇りもない無風の水面の如く気配を消し去ったまま一歩一歩進むヒュンケルの後ろ姿を、固唾をのんで見守っていた。
あと少し。あと少しで、あの半魔の察知領域に入る。
……さあ行け。君ならできる。思いのたけをぶつけてしまえ。
超高磁力の金属同士が、共鳴する音叉が、響き合う管弦が、今まさに出会おうとしている。爆発の予感に胸を躍らせ、痛い程拳を握って、その瞬間を待った。
が。
唐突に、青空が霞んだ。
次いで恐るべき突風が吹き付けた。不意打ちを食らって、メァリは木の幹におでこをぶつけた。
「な、なんだと」
急激な気圧の変化に鼓膜が裏返る。太陽を隠した黒い影は悠々と数百メートルを横切り、ラーハルトの頭上でとぐろを巻いた。
陸戦騎はなんて事のない様子で指を立てて合図すると跳躍し、手なずけたスカイドラゴンの背びれを掴む。
そして竜のいななきとともに高高度へ上昇し、森の果てまで一気に飛んで行ってしまった。
「……」
なんだこれは。こんなの予定になかった。
あわててヒュンケルを探すと、先程見たのとほぼ同じ位置に背中が見えた。
ぶつけた額を押さえながら、しゃくしゃくと落ち葉を踏んで彼に近づいた。
「ごめん。完璧な計画だと思ったんだけど。ラーハルト、急ぎの用事でもあったのかな」
あえて軽い調子で声をかけてみた。
返事はない。
「ま、もう一度挑戦だね。今度はちゃんとしっかり声をかけて、こっちに気づいてもらわないと――」
「いや」
ヒュンケルが静かに答えた。
「気づいていた」
メァリはぱしぱしと瞬きして、彼の方を見上げた。
いつにもまして、人形みたいに蒼白な頬だった。
「一瞬、目が合った」
メァリが返事を探していると、絞り出すような声で、
「だから、去ったんだ」
と呟いて、ほんの少しだけ揺れた。めまいを堪える様に。
かける言葉が見つからない。
おかしい。こんなはずじゃないのに。
ふたつの魂は結びつきたがっている。確かに感じるのに。
「ごめん。僕にはぜんぜんわからない」
正直にそう言うと、ヒュンケルは真っ直ぐ前を見たまま頷いた。
「いいんだ。俺には分かっている」
言い返そうとした時、再度、空気が震えた。
「おお、ヒュンケル。奇遇だな」
豪快な声が降ってきた。冷たい空から、飛竜の衝撃とは異なる、分厚い気流が吹き下ろしてくる。
「獣王」
軽い地響きと共に、主人を抱えた巨鳥ガルーダが接地した。「お前も修行か。メァリも」
木漏れ日に鱗を光らせながら、クロコダインが軽く手を挙げる。
「ああ。ここから北東の方角に、古代の採掘場を見つけた。頑強な金属を斬るのにうってつけでな」
すらすらと答えるヒュンケルに、先程の打ちひしがれた少年の面影は一切見られない。
メァリはため息をついた。この変貌ぶりだ。
鋼のような仮面が、ちりちりと音を立てながら彼を覆っていく。あっという間に、また完全無欠の長兄に戻ってしまった。
獣王は忠実なるガルーダの背を叩いて労ってから、二人に向き直る。
「竜が飛び去るのを見たのだ。お前が倒した竜騎衆の男が操っていた。疑うわけではないが、俺は奴に関してはほとんど何も知らんし、奴もこちらに来たばかりで戸惑っているだろう。よからぬ事が起きていないかと……お前も見たか、ヒュンケル」
「いや、俺は気付かなかった。今度彼に会ったら、それとなく聞いておこう」
魔剣戦士の表情には、針先程の乱れも無い。あんなに震えていた声は、いつもの穏やかさを取り戻している。
「それが良いだろう。俺の思い違いかもしれないが……奴に、奇妙な空白を感じる。ミラドシアに呼ばれたのは、ダイやバランに仕えるためだけなのか。それとも、何かを隠しているのか」
獣王は隻眼をゆっくりと瞬かせた。
「あるいは――魂に、記憶に、欠けた部分があるのか」
獣王もそう思う? と前のめりになったメァリを、ヒュンケルが最小限の動きで制した。
「彼のバランに対する忠誠は揺るぎないものだ。そしてダイがいる限り、ラーハルトの道が悪へと逸れることはないだろう。しばらく、見守ってやろうではないか」
模範解答をよどみなく吐き出すヒュンケルを、メァリは信じられないと言わんばかりに睨み上げた。が、なんの効果も無かった。
「そうだな。お前が言うなら、間違いは無いだろう。気を回し過ぎてしまったようだ、捨て置いてくれ。――それはそうと、どうだ、久々に一戦」
「無論、受けて立とう。北の岩場に向かうか?」
「おう。メァリも来い、本物の腕力勝負を見せてやろう」
獣王が笑うと、張りつめていた森の空気が緩む様な気がした。
「ああ……その、僕はちょっと用事があるから」
元軍団長たちの力比べは心底見たかったが、今はそれどころではない。
「そうか。強打の極意を学びたければ、また来るといい」
何事も無かったかのようにのたまうヒュンケルに半分呆れ、半分感心しつつ、メァリは二人を見送った。悠々とマントをはためかせて去っていく長兄の背に、なんの迷いも読み取れなかった。
……芽吹きかけた絆の蔓がきゅるきゅると縮こまり、絡まり合って、絶望的な糸玉になってしまった。
もうこうなったら、次の手を打つしかない。
くるりと振り返って、街を目指す。ダイを捕まえてそれとなく問い詰め、あいつの行動半径を洗い出そう。
あの不可解な陸戦騎と、直接対峙するために。