Blessing 朝風呂は最高の贅沢だ。
と、ラーハルトは思う。
春風そよめくこの家に帰ってくると、つい所望してしまう。
彼の相棒は、汚れてもいないのに長風呂なんて気が知れない、と、子犬のように疑り深い目を向けるけれど。一緒に入るかと揶揄うと、ヒュンケルは片眉を上げるだけで、古文書の解読に没頭してしまった。
パプニカ産の高級綿を肩にかけ、裸の胸を見せつけても、微動だにせずページを繰っている。
――この至福がわからぬとは、不幸な奴め。
煌めく水面に癒されたのち、草原の香りを胸いっぱいに吸い込んで。
途端に冷えが鼻腔を刺激し、ラーハルトは珍しくくしゃみをした。
「へっくし」
「ルビスの加護あれ」と、ヒュンケル。
「む……」
ひとしきり連発の衝動と戦った後、ゆっくり振り返る。
「何だって?」
ヒュンケルは、魔導書専用の薄い眼鏡を引き上げて、ラーハルトを見返す。
「何って」
「何の加護だって?」
ヒュンケルはぱたんと古書を閉じて向き直る。
「ルビスの加護だ。何がおかしい」
ラーハルトは数秒黙考した。込み入った話になりそうだ。
「くしゃみしたから」
と、ヒュンケルはあくまでマイペースだ。
「どういう関係が」
「普通、言うだろう」
「言わん」
「地底魔城の、というか、モンスターは皆そうしていた。誰かがくしゃみしたら、『ルビスのご加護を』。言わないのか?」
心底驚いた顔のヒュンケルに、ラーハルトは眉間を押さえる。
「知らん」
「バランに教わらなかったのか」
「バラン様にそんな田舎者の習慣はない」
「失敬な。由緒正しい……挨拶だぞ……たぶん」
ヒュンケルはもごもご言い返しつつ、はた、と考え始める。
「……そういえば、なんでルビスの加護なのだろう」
「知らんで言っていたのか。何者だルビスとは」
「分からん。だが常識だ」
人間の常識が通じないのはそっちだろうが。
ラーハルトは言いかけて、妙に悔しいのでやめておく。
「まあ、仕方ない。俺は純然たる魔物たちに育てられ、物心づいたころから宮廷に住んでいたエリートだからな。お前の知らぬことも知っているのだ」
自信満々なヒュンケルに返す言葉もなく、ラーハルトは腕組みして不賛同をアピールした。相棒は美麗な腹筋をちらりと見ただけで、また書物に目を戻す。
「どうでもいいが、服を着ろ」
と一蹴されて、天窓に目を逸らす。
朝の黄色い光が差し込み、似ているようで異なる二人の人生を優しく分けている。
ヒュンケルの中に生き続ける、遠い遠い謎の世界。
五千光年の孤独を夢見て――というほどではないにせよ、ラーハルトはもう一度くしゃみをした。