Bumblebees 生い茂る広葉樹が、昼下がりの太陽をちらつかせる。
光の差さない紫の森に、石臼に似た轟音が響いている。
息をひそめ、一歩、また一歩と距離を詰めるラーハルト。
後方で岩の陰に隠れ、固唾をのんで見守るヒュンケル。
ぶぅん。
二人の視線の先には、小鹿サイズの巨大蜂、キラービーのてらてらした尻がある。
仕掛けた花束に夢中になっていて、背後の男たちには気づいていない。
短剣ほどもある針の根元にそろそろと手を伸ばし――。
「……やったぞ!」
雷のような唸りとともに、キラービーが舞い上がった。
だいぶ怒っている。
一撃必殺の針攻撃を辛うじて避けたラーハルトが、ヒュンケルの隣に転がり込んだ。
標的を見失ったキラービーは、木々を縫ってジグザグと飛び始める。パニック状態のまま、一目散に逃げ始めた。
その尻には、ふわふわと雲のような飾りが揺れている。今しがたラーハルトが結びつけた、死んだしびれあげはの羽だ。
魔法の鱗粉が振りまかれ、暗い森に光の軌跡を描きはじめる。
「良し、追うぞ!」
「おう」
高速で飛翔するキラービーを追跡するのは、一般には困難だ。
だが、あの目印を追えば不可能が可能になる。
「そっちへ行ったぞ」
「刺されるなよ!」
「麻痺したら置いていくからな」
「お前こそ」
「うるさい、集中しろ!」
「逃すなよ、囲い込め」
「上空に逃げたぞ! ラーハルト、枝をゆすって脅せ」
「北北西だ、追えヒュンケル!」
「分かってる!」
大の男二人が、追いかけっこに夢中だ。
小川を飛び越え、茂みを駆け抜け、断崖を駆け上がり。
哀れなキラービーはへとへとになりながら、目的の場所にたどり着いた。
彼の行く先を見上げて、ラーハルトが口笛を吹く。
「これは」
「すごいな……俺も、このサイズは初めて見る」
幻とも言われるキラービーの巣。
キングスライムより大きい。
おどろおどろしい魔界の凶星のごとき球体は、しかし、なんとも魅力的な甘い香りを放っていた。
ヒュンケルが懐から煙玉を取り出し、ラーハルト火炎呪文で着火する。
虫を眠らせる薬草で作られた、完璧な手りゅう弾だ。
「悪いな」
そっと巣の下に投げ込むと、もうもうと桃色の煙が立ち上る。
激怒の羽音が徐々に弱まり、ぽてぽてと巣の住人たちが落下し始めた。
「……よし。俺たちの勝ちだ。分け前をもらっていくぞ」
静かになった巣の端っこを、さくりと切り落とす。ひと抱え程のかたまりを麻布で包んで、大事に肩に背負った。
「せっかくだから、全部始末してしまえばいいのに」と、ラーハルトが巣を見上げる。
殺人蜂はその攻撃力に見合わず、臆病なモンスターだ。出合い頭で人間や他の魔物を刺してしまうこともある。駆除を申し立てる者もいるだろうに。
そう言うと、ヒュンケルはちょっと考えた。
「やたらと好戦的な群れならば、駆除もやむ無しかもな。だが今回は、ただの遊びだ」
ヒュンケルはぽすっと巣を叩いて振り返る。
「一体どこで、こんな悪戯を覚えたんだ」
真面目な相棒の意外な一面に驚きつつ、ラーハルトも巣を少し削って保存袋に投げ込んだ。
「子供の頃に、旅の途中で習った。ギルドメイン伝統の蜂追い技法らしいが、人間も蜂も、お互いゲームみたいなものだ。勝っても、巣を少し貰うだけ。すべて破壊するのはマナー違反だ」
「へえ」
だいぶハンター側に都合のいい話だが、ちょっと面白かった。これは確かにハマりそうだ。と、ラーハルトは。眠り込んだ蜂たちを一瞥する。
「キラービーの巣は栄養があるし、傷に効く。歌う喉にもいいから、『さえずりの蜜』と呼ばれるらしい」
ヒュンケルが得意そうに六角形のかけらを掲げて見せる。
溢れ出た蜜が、袋の底からとろんと垂れた。
「それに、しょうが入りのクッキーにぴったりなんだ」
「……」
ラーハルトは琥珀色の蜜をぬぐって舐めてみた。
スパイスの効いた風味と、控えめな甘さが絶妙だ。
乱獲されずに済んでいるのは、ひとえに相手がキラービーだからだろう。
「美味いな」
「だろう」
ヒュンケルは戦利品を揺らしながら、帰り道をのんびりと歩み始める。
「……しょうが入りのクッキー?」
蜜を舐め舐め、ラーハルトが続く。
「ああ。星形にくりぬくんだ、手伝ってくれ。なに、レシピは暗記してる」
足取り軽いヒュンケルの背中を見ながら、なんとなく複雑な気分になる。
――どうせ全部、『先生』に習ったんだろう。
お前はいったいどんな顔で、師であり仇である大勇者に向き合っていたんだ。
本当は、一緒に遊べるのが嬉しくて仕方がないくせに。
何もかも押し隠して。
「バランに教わらなかったのか」
藪から棒にヒュンケルが問う。
不意を突かれて、ラーハルトは思わず噴き出した。
「バラン様が、こんな下らない遊びにかまけると思うか」
「思う」
きっぱりと言い返された。
「ありえない」
「嘘だ」
ヒュンケルは肩越しにニヤリと笑う。
「遊んでもらっただろ」
そのまますたすたと歩き続ける。
ラーハルトは口を開けたまま、一瞬立ち尽くす。
遠い遠い昔。まだ拾われたばかりで、右も左も分からぬ子供だった頃。
カードを使った一人遊びを教えてくれた時のことを、よく覚えている。
二人して修行も食事も忘れて没頭した時の、心が絞られるような幸福感。
本当の親子だったら良かったのに――即座に葬った、儚い望み。
「おい、何で知っている」
慌てて追いかけると、ヒュンケルはけたけた笑った。
「図星か。良かった。言ってみただけだ」
「な……」
「あのバランも、やはり父親だったんだな」
「うるさい、この」
ラーハルトの手刀をひょいと避けて、ヒュンケルが走り出す。
「クソガキ」
「お前こそ」
ようやく心のままに笑えるようになった相棒を、麻袋を振り回しながら追いかける。
朝っぱらから森をさまよい続けていたから、腹が減って力が出ない。
しょうがのクッキーを想像して、不覚にも頬がほころんだ。