食器の擦れる音、ピッチャーからビールがジョッキに注がれる音、話し声、笑い声そのほかいろんなものが混ぜこぜになり、さらにアルコールもほどよく回って、明るい雰囲気が渦を巻くような空間で、大勢で飲んでいた。誰かがこぼしたのか、それとも元々の匂いなのか、ビールの匂いが部屋にはしみこんでいる。畳貼りの空間で、普段はパーテーションを使って区切る空間なのだろうが、一帯を貸し切りにしているため仕切りはなく、遠くの方までテーブルが続いていた。食べ物や飲み物が雑多に置かれ、時折グラスを持った学生が移動しながら、各所でわいわいとやっている。
隣のゼミ室との合同飲み会は、全員で五十人近くに膨れていた。中には全く関係がなく、「目当ての学生が出席するから」という理由で意気揚々と酒を傾けている者もおり、節操のない会になっている。簡単な自己紹介のあと、僕はトイレに立ったタイミングで三年生の集団の近くに座らざるを得ず「おい、飲みなさい」と軽い圧力を駆けられながらも、上級生と談笑していた。目の前にはカークランドさんがいて、留学生だというのに流暢な日本語を操る彼を、狙っているのだろう女の先輩が隣にいた。その反対側には、静かに酒を進めていく本田さんだ。彼は院生で、こんな場に来るタイプではないのに今回はきちんと出席している。同級生の女子が色めき立ち「本田先輩が来るなら行かなきゃ」と出席名簿に我先にと丸印を付けていたことを思い出す。
モテるのだろうなあ、とテーブルを隔てて向かい側に座るカークランドさんと本田さんを見る。仲睦まじくしゃべる二人は、その両脇に「今か」「いや、今だ」と話に入るきっかけを狙う女性陣がいることにまったく気づいていない。
「なあ、これうまかったよ」
「えっ、僕ですか」
「ほかに誰がいるんだよ。ほら、食え。酒ばっか飲んでると酔っぱらうぞ」
カークランドさんは僕の皿をひょいと取り、さっさと取り分けていく。「女子力が高い」と呟けば、本田さんがカラカラと笑った。陽気な表情は滅多にみられるものではなく、僕の隣にいた同期が「うわあ」と感嘆の声を漏らした。彼女は、どうやら本田さんに憧れる一人らしい。
あれ、と気づいたのは、本田さんの飲むペースが異様に早いことだ。表情には微塵もないが、よく笑いよく飲む。普段の落ち着いた雰囲気とは異なり、それは実に好印象ではあるものの、ある時を境にぷつりと電源を落としたかのように、静かになった。
「おい、おーい。菊」
カークランドさんは話をやめ、手にしたビールジョッキをテーブルに置く。そのまま黙った本田さんの肩を少し揺さぶったが、大げさに本田さんはぐらりと揺れた。
え、とその場に一瞬の沈黙が流れるが、次にどっと笑い声がテーブル向こうから起こり、飲み会の喧噪に静かな空気は一瞬でかき混ぜられていく。本田さんはバランスを崩し、黒い瞳を固く閉じ、僕の方からは見えなくなった。つまり、テーブルの下に身体を倒してしまい、カークランドさんの膝に頭を乗せる姿勢になる。形の良い耳朶だけが、テーブルから覗いていた。
「あ、寝ちゃった」僕が言う。
「大丈夫かな。タクシー呼びましょうか?」僕の隣の同期が言う。
「カークランドくん、大丈夫? 何もこぼしてない?」カークランドさんの隣の先輩が訊ねた。
「こいつ、いつもこうなんだよ。酔っぱらったらすぐに人を枕にして寝始めて」
「いつも?」
「うん。家で飲んだりしたら、抱き枕にされて朝まで過ごしたこともある」
「それはなんというか」
非常に仲が良い。
「でも大丈夫、少し寝たら嘘みたいに復活するから。な、菊」
カークランドさんは手慣れた様子で、本田さんの額を撫でて乱れた髪を直してやり、それからジョッキを掴んで一口飲んだ。その場がしん、とする。
「へえ。仲良いですよね、二人って」
「そうか? 普通だろ」
「普通かなあ」
頬を掻きながらそう答えるが、カークランドさんがいっそう愛おしそうな眼差しを膝で眠る本田さんに向けるものだから、僕はそれ以上何も言えなくなる。ていうか、二人は学部生と院生とで分かれてもいるのに、自宅で一緒に過ごすほど仲がいいのか。
考えることをやめ、僕もジョッキを掴む。ビールを喉に流し込むと、気泡がぱちぱちと弾ける心地がし、喉元がすうっと冷たくなった。普通かなあ。そればかりが気になる。