ラジエーターと呼ばれる暖房器具がある。各家、各アパートメントに必ず設置されているボイラーで作られた温水を、ラジエーターに通して循環させ、家屋全体を温める。冬季がくると氷点下に達するのも珍しくないロンドンだが、室内はいつでも暖かい。どの部屋でも室温は均等に保たれ、バスルームやトイレまでラジエーターは設置されているのだから、冬の朝は比較的起床しやすい。
以前、日本の家に泊まった際は目が覚めると吐息が白く曇った。
「住まいは夏を旨とすべし。湿度が高くて四季がはっきりしているから、ここでは暖をとるよりも通気性の良い、涼しい家が好まれるんですよ」
確かにそうだな、と頷いたことを思い出す。だが、自然の気温が家の中にも流れる日本邸には独特の住み心地の良さがあり、イギリスは気に入っていた。あの家では確かに朝、布団から這い出るのには勇気が必要だが、「そういうもの」と考えればしんと冷える室内にも納得できる。掛け布団の中で寝間着を寄せ集め、ぐっと腹に力を込め寒さを堪えて身体を起こすのだ。
が、ラジエーターで温められたはずの自分のアパートメントでは、なぜこうもベッドから起き上がれないのか。目を覚ますと足元がひやっとし、見ればシーツを隣で眠る男にすべて取られている。こちらを向いて寝ている日本の、裸の肩が規則正しく上下していた。昨晩服を着れば良かったものを、面倒だからとそのままにして就寝した。さすがに温かなロンドンの室内でも、冬の朝に着衣せずベッドに寝ていると肌寒さを覚える。シーツの塊と化した眠る彼を抱き寄せ、足を絡めて腕に押し込めば、弧を描く細いまつ毛が揺れて黒い瞳が薄く開いた。「まだ寝ていたいのに」と言いたげな表情だ。
「寒い。入れて」
「……合言葉は」
「え? あ、愛してるよ?」
「よし」
日本がシーツの端を手にしたまま、腕を広げる。ベッドに横たわる彼の肌の色が見え、昨日の夜の、暗がりでぼんやりと浮かび上がるような裸体をまざまざと思い出した。唾液で濡れ、てらてらと光る彼の口元が頭をよぎる。熱っぽい息を吐き、耳の奥に響くような快感を押し殺した声を上げる。そこまでの記憶が映像となって映し出されたが、「イギリスさん、早く」と呼ばれて意識は戻ってきた。身体を捩じりよって近づき、シーツの中に入る。
「今、何時でしょうか」
「分かんねえ。スマホ……はキッチンに置きっぱなしだった」
「寒いなあ。でも喉が渇きました」
「あ、昨日飲んだ水……もキッチンに置いてきたんだった」
「あなたはキッチンに置きがちですね」
腕を伸ばすと、何も言わずに日本が頭を起こし、イギリスの肩口に首を乗せた。居心地が良いところを探っているのか何度か身じろぎをし、「ああ、ここだ」と言わんばかりに落ち着く。彼は自分よりもずっと年上ではあるが、こうしてみると幼い子供のようでもあり、しかし視線を向けられるとその鋭さに心臓の裏側をなぞられた気にもさせられ、――どうにも食えない男である。至近距離で見つめてきた日本は、「お願いがあります」と言い出す。
「何?」
「イギリスさん、紅茶が飲みたいです。ついでに、リビングのラジエーターの温度を上げてきてください」
「それで、温もった頃に起きてくるんだろ? ずるい」
イギリスをベッドから追い出そうとする割に、彼の腕が背中に伸びてきた。そのまま抱き留められ、力がぐっと身体にかかる。
「寒いなら、温めてやろうか。朝の俺はすごいぞ」
「そんなことしたら、二度寝しちゃうじゃないですか……」
「じゃあ、スリーカウントで一緒に出よう」
「ええ、絶対にイギリスさんは出てくれない」
「俺を信じろ」
かみ合わない会話に、互いに面白くなる。笑う日本の身体が揺れ、髪が頬に触れてくすぐったい。ベッドから出るか、出ないか、の問答をしているさ中にどさりと音がした。「何?」と二人で顔を見合わせると、庭の樹木に積もった雪が、地上に落ちたものらしい。
雪が降っているなら仕方ない。昼頃に起き出して、それから二人でブランチを作って食べ、公園に散歩へ出かけるのも良いだろう。次第にシーツの中が二人分の体温であたたまり、また、微睡がゆっくりと訪れる。日本の顔に指で触れた。綺麗だな、と純粋にそう思う。