30年後ロド新刊冒頭「アーッ、酷い目に合った!」
お土産を山ほど抱えて来襲した父を見送っていたドラルクが、ぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で整えながら苦虫を噛み潰したような顔でリビングへと戻って来た。整えきれていない前髪が落ち、長い髪を結わえているリボンが緩んでいる。ずいぶん撫でられたらしい。
ロナルドはソファの背に腕を掛け、ダイニングテーブルへと座るドラルクを見た。
「珍しいな、親父さん。ハグはいつもだけど、そんなにぐしゃぐしゃ撫でねえだろ」
「前回来たときお父様がくださった整髪料、香りが好きだったから使ってたんだよ。そしたら使ってくれてるんだね! ってさ」
「整髪料とか香水とかは結構使ってるだろ。値段が値段だしもったいねえっつって」
んふ、と後れ毛を指で整えながら、年下のような見た目になってしまった吸血鬼が悪戯げに笑う。
ドラルクとて人間なら中年の見た目ではあるが、生命力には溢れているものの西洋人のような顔立ちのせいか日本人の中にいては随分と老け顔になってしまったロナルドと並ぶと、親子とは言わないまでも甥っ子か、歳の離れた兄弟のようだ。まったく似ているところがないから血縁に間違われることはないが、出会った頃の自分たちの見た目の年齢差を超えてしまったかもしれない。
当時のドラルクは痩せ細った貧相な顔であることも含め随分と老け顔ではあったが、いくつか、と問われればまあ三十代に差し掛かったばかりだろうか、という肌つやをしていたものだ。それが人間社会で暮らしていたせいかゆっくりとさらに老けて、今は四十代ほどに見える。ルーマニアの顔立ちだと思えば人種──吸血鬼種としてはもっと若い見た目なのだろう。
しかしロナルドが見た目だけなら六十代にも近い顔だ。恐らく先祖に外国人がいたのだろう。もともと骨格も日本人離れしている上、皺が増え、厳つい肉体に身に付いた気障な言動、とはドラルクの言だがそれらを含めても同年代のショットたちよりも上に見られるようになった。
本当の西洋人の中に混じれば年より若そうだけどね、と笑うドラルクは、ロナルドの容姿が老けていくことをからかうことはない。
ロナルドをハンサム顔だと客観的に評価はしても、別にドラルクの好みだと言うことではないのだろう。三十年近く共にいてもほとんど褒めたことなどなかったが、良い男になったじゃないか、と珍しく笑顔で言ってくれたのは、五十歳の誕生日だったように思う。つい最近の気がするが、もう何年か前のことだ。月日の流れは早い。
「お父様と会うとき付けてることはなかったからな」
あと何年この吸血鬼と共にいられるんだろう、さすがに面白くもない老後の世話をさせるわけにもいかない、となれば引退するまで、頑張ったとして精々二十年、となんとなく逸れていくままにぼんやりと考えていると、結局リボンを結び直すことにしたらしいドラルクが赤いそれを解きながら言った。なんでだよ、とロナルドは苦笑する。
「付けてやれよ。今日だって大喜びだったんだろ」
「父親とおそろいの香りがするなんていやだろうが。でもま、父の日も近かったし、それにお父様はまだまだ数百年、なんなら千年先もご健在だとは思うけど、吸血鬼にだって寿命はあるしな」
「親孝行ってか。……いや、父の日、そっか近いのか」
「今年もヒヨシさんになにかあげるの?」
「おう。ヒマリと相談するわ。兄貴には父親じゃないって言われるんだけど、感謝の気持ちだし。兄貴の日がありゃいいんだけどな」
「誕生日は誕生日でプレゼント悩んでるじゃないか」
「正月だからさ、予定が合わないことも多いし、なんかこう……意味がぼやけちまうっつうか……今年もよろしくのついでみたいになっちまうじゃねえか」
「そんなことはないと思うがなあ」
長い髪がマニキュアを塗った細い指にさらさらと纏められていく。誰しもがドラルクを吸血鬼だと認識する町で忙しない人間たちの時間で暮らすうち、あまり意味がないと横着をして指先を飾らずにいることも多くはなったがようやく二回に一回はアポイントメントを取るようになった父親のために、今日は綺麗に塗っている。先月の母の日に、ヒナイチと選んで渡したちょっといいマニキュアだ。
誰が君らの母親だ、と怒るのが面白くて若い頃に始めた習慣が、今ではすっかり定着してしまった。もちろん誕生日も仕事が忙しくなければ何かしら祝うようにしているが、祖父父ドラルクと日が近くパーティをまとめてやるせいで、十一月付近はひと月ほどジョンと共に一族の城に遊びに行っていることも多くなった。そうでなくても友達の多いドラルクだ。誕生日はロナルドとヒナイチで独占することは難しい。
その点、さすがに母の日に他の者に誘われることはないから、なんとなくこちらが事務所一同でドラルクを占有できる固定の行事となった。昔々、出て行け、と本気で出て行かれては困るくせに怒鳴りつけていた若い自分が聞いたら妙な顔でもしそうだが、三十年もあればそういうことにもなる。
まあ今でも喧嘩すれば出て行け、お前が出て行け、とくだらない言い争いはするのだが、さすがにお互い踏み込んではいけないライン、いつものじゃれ合いで済むラインは見極めが付いている。
時折読み違えてこじれたりもしたが、ここ十年ほどはそういうこともないような気がする。そもそも殺す回数も喧嘩の回数も、若い頃から考えればかなり減ったのだ。会話の殆どを怒鳴り合っているような、そんな騒がしい日々ではもうない。
「なあ……」
器用な指がさらさらとした細く長い髪を纏めてリボンを巻いているのを眺めながら、ロナルドはなんとはなしに声を掛けた。
この器用な手と、綺麗な指先と、打てば響くような面白い日々とがいつまで続くのか、少し惜しくなってしまう。
「なんだね」
「撫でてもいいか」
「ハァ? 犬猫じゃねえんだが?」
「アニマルセラピー求めてるわけじゃねえんだわ。つうかジョンがいるのにお前に浮気するわけねえだろ」
「私のジョンだが」
やれやれ、と結び掛けていたリボンを解いて、さらさらと髪を流したままドラルクがソファへとやって来た。隣へ細い躯が座る。
「で、なに。どうした、急に気持ち悪いこと言い出して」
「気持ち悪くはねえだろ。ちょっと俺もかわいがってみたくなったんだよ、お前のこと」
「うちの父みたいにか?」
「まあ、そう」
「私のほうが遙かに年上なんだが」
「お前は吸血鬼としては年寄りでもねえし、逆に俺はもうじいちゃんなんだよ。若いもんかわいがって悪いことはねえだろ」
「長年同居した男に言うことではなくない?」
「お前自分のこといつもかわいいとかキュートとか言うし」
「それとこれとは別なんだが……いや、まあ、この私の魅力にニブチンゴリラがようやく気付いたってことならまあ……いやでも気持ち悪いな。キモ。キモオヤジ」
「うっせ」
許可も得ずにぬっと手を伸ばしてがしがしと撫でると、ドラルクはあっという間に砂になった。
「強いんだよ撫で方もしらんのか!!」
すぐに蘇り文句を言った吸血鬼に悪い悪い、と軽く謝罪して、ロナルドは今度は子供を撫でるように、力を抜いて掌の下の丸い頭蓋骨を揺する。ドラルクはぐらぐらと頭を揺らしながら渋い顔をしていたが、死にはしなかった。
「ほんっとヘタクソだな」
「髪の毛ぐしゃぐしゃにしたら怒るだろ」
「この年まで独り身でいちゃった弊害か? やっぱりどこかで結婚して子供でも作ったほうがよかったんじゃない、君」
「誰のせいで独り身だったと思ってんだ」
「私でーす!」
ゲラゲラと笑うドラルクを今度は故意に押し潰して殺し、怒っている砂にロナルドはふん、と鼻を鳴らす。
「お前それ意味わかってる?」
「ア? 私ほど完璧に家のことしてる同居人がいたせいで誰かと暮らしたいな、っていうさみしさとか足りなさとか感じる暇がなかったんだろ。君恋愛下手だしな。恋愛抜きでも結婚願望って出てくるものだけど、それでも湧かなかったんだろ。いやーすまないねロナルド君。仕方ないから私にとってはあと少しではあるが、君が死ぬまで面倒見てやるからな」
死ぬまで、と少しどきりとして、ロナルドは思わずドラルクを凝視した。怪訝そうな吸血鬼が今度こそ髪を纏めながら片目を眇める。
「なんだ。今更出てけとか言う気か? さみしい老後を過ごしたいわけでもないだろうに、この後に及んで好きなひとができたとか?」
「好きなヤツならずっといる」
「ウッソだろ若造」
纏め掛かっていた髪が、またぱらぱらと指から落ちていく。
しかし構わず、リボンも膝に落とし、ドラルクの尖った指先がロナルドの肩を掴んだ。揺すぶりたいのだろうがまるで動かないロナルドに、ドラルクはそれでも大きな目を開いてTシャツの生地を握った。
「いつから!? え、私の知ってる人だろうな!? 君の人間関係は大体把握してるし!」
「知らんわけねえだろうな。お前だもん」
「……………思わせぶりな言い方はやめろ」
てっきり結婚したい相手がいるんだと思ったのに、とぱっと両手を放ってドラルクは脚を組み、ソファに寄り掛った。髪を結ぶのは諦めたらしい。
「そういう好きなら私に限らんだろ」
「どういう好きだと思ってんの」
「どういうって、友達とか家族とか、あー……まあ、親愛ってやつか? くっさいこと言うようになったと思ってたけど、私にまで愛してるとか言うようになるの? 面白いけど気持ち悪いな」
「そりゃ愛してるけどな、ドラルク」
膝の上に乗っていた手を恭しく取り彼が女性にするようにその指先でちゅっと唇を鳴らしてじっとその赤い小さな眼を見詰めると、ドラルクは愕然とロナルドを見詰め返した。
「………エッ、嘘だろマジか」
「マジだぜ。つっても別に言うつもりはなかったし、お前に老後の面倒見させるつもりもなかったから俺が引退したら同居も解消しようとさっきまでは思ってたんだが、お前いてくれるんだな」
「助けが必要なくらいよぼよぼになってく君を見捨てるように思われてたんなら心外だが」
「つまんなくねえか?」
「今更そんな関係じゃないだろ。大体年とったくらいで君がつまんなくなるわけないわ」
はは、とロナルドは笑い、細い躯をぎゅっと抱いた。ハグなど友人とでもするものだ。当然この吸血鬼とだってしたことはあるが、それとも違う。腕の中の骨と皮ばかりの躯を愛しく感じる。
「好きだぜ、ドラ公。別に応えてくれってんじゃねえけど、お前が一生いてくれるっていうから、言いたくなった」
「いやこのバカルド! そういうことならもっと早く言えよお前もう五十代なんだぞわかってるか!?」
人生の黄金期はとっくに過ぎてんだけど! と怒鳴った同居吸血鬼は、ぎゅむ、とロナルドの背に腕を回して彼なりの精一杯で抱き締めて、まったく仕方のない若造だ、と肩口でぶつぶつとぼやいた。
「やあやあ、新人君かね?」
からんからんとドアベルを鳴らしてやってくるが早いか目敏く若い退治人を見付けて寄っていくドラルクを見ていると、続いてやってきた赤い退治人が店内を見回しこちらに気付いた。
軽く手を上げやってくる彼のために、ショットは隅のテーブルの上の広げていたフィッシュアンドチップスの皿を中央に引き寄せ向かいの椅子の前を空ける。店の喧噪がほんの少し遠い、昔はヴァモネやシーニャの定位置だったテーブルだ。
「よう、ロナルド。先週ぶりか?」
「週明けに一回来たんだが、そのときはお前がいなかったぜ」
「ああ、個人仕事で県外出てたな」
「ショットさんは随分有名になっちまったからなぁ」
「お前が言うと嫌味なんだよ」
にやりと笑いふふん、と笑い返したロナルドがマスターへと飲み物を注文するのを頬杖を突いて見、それからショットは新人のテーブルへとついてしまったドラルクへ再び視線を向けた。ショットの目を追い顔を向けたロナルドが、くり、とこちらを向く。
「あの子、メドキの弟子だっけ」
「おう。独り立ち初日だな。メドキの店のほうに通ってたみたいだから、もしかしてドラルクは会ったことなかったか」
「近々メドキの弟子がギルドに来るぞとは言っといたから、楽しみにしてたみたいだけどな」
「あいつ若い子好きだよな」
「吸血鬼ってみんなそうじゃねえか? 若い童貞処女が好きっつうか……」
「みんなではねえだろ。つうかドラルクだって、吸血鬼だから新人構いに行くわけじゃねえだろ?」
そりゃそうだけど、と言いながらカウンターへ呼ばれ立ち上がりノンアルコールのビールのジョッキとナッツの入った小皿を自ら運んでロナルドは再びショットの向かいへと座る。
若い頃のような甘いジュースばかりを飲んでいるわけではなくなったが、どうせアルコールは出してもらえないのだから同じことだろうとショットは思う。
ドラルクが来る前はかっこつけだったとこがあったけど、年食ったらちょっとそのへん戻って来たよな、とショットはノンアルコールビールを呷る長年の仲間兼友人を眺めた。
とはいえ年も年だ。糖分の取り過ぎはよくない、と会うたびドラルクに言われるようになったのは四十を過ぎた頃だったが、そのお陰で今はクリームソーダのアイス抜き、つまりメロンソーダを飲んでいるショットだ。それでも糖分過多だとドラルクには眉を顰められるのだが。
「お前ら付き合って……一年くらいか?」
「ン? うん」
ぽりぽりとナッツを囓りながらロナルドが頷く。
「来月で一年かな」
「ドラルクはともかく、お前も五十路越えてんだし、結婚とかどうすんだ」
「俺もアイツも結婚しなきゃない理由……経済的な問題とか子供いるとかがあるわけじゃねえし、おいおいでいいかと思ってるが」
「あっちの一族がすまねえんじゃねえの」
ちょん、と親指で新人へ楽しげに話を振っては嬉しげな笑顔を引き出しているドラルクを指し示すショットに、んや、とロナルドはゆるくかぶりを振った。
「お任せするってよ」
「報告はしたのか」
「すんだろ、さすがに。親父さんは寝耳に水って顔してたけど」
ははっ、とショットは苦笑した。
「そりゃ俺らもだぜ! コンビ組んで随分長いのに急にこの年になってだもんな。お前らはそういうんじゃないのかと思ってた」
「俺も今更そういうのもねえのかと思ってたんだけど、ずっと好きだったからさ。お前らは知ってたらしいけど」
「気付いてなかったのドラルクくらいだろ」
「あいつあんまり自分がどう思われてるかと気にしねえもんな。相手がどう思ってようが自分の好きにするっつうか……で、まあ、なんかの拍子にぽろっと口から出ちまったんだよ。そしたら意外と反応よかったから付き合うか、って訊いて」
「なんだ、なりゆきだったのか」
「なりゆきじゃなきゃ今更こんなんねえだろ。同居して三十年だぞ」
もうそんなに経ったのか、あの頃はみんな若かったもんな、としみじみとしながらメロンソーダを飲んでいると、でもまあ、とビールもどきを煽ったロナルドが口元に付いた泡を指で拭いながら続ける。
「大して変わらねえしな」
「そうか? もともと年食ってからは昔ほど喧嘩したり殺したりってこともなくなってたけど、それでも付き合ってからのお前ってドラルクのこと大事にしてんだな、ってわかるけど」
「そりゃ……なりゆきでもなんでも恋人なんだし、俺はずっとあいつに惚れてたもん。優しくもなるだろ。あいつはそれがつまんねえみたいだけど」
「……ふん?」
「大体、恋人らしいことなんて精々おやすみとおはようのキスくらいしか」
「いやそういうの別に訊きたくないが……ベッド事情とか言わなくていいからな!」
「だからねえんだって」
「ハ?」
ちょいちょい、とショットと自分を交互に指差し、ロナルドは額を寄せてひそひそと言った。
「童貞仲間だぞ」
「いやさすがに俺もこの年で童貞なんてハハハ……ハ? え?」
「なんだよ、んじゃ俺だけかよ」
武々夫はフラフラしてっけどたまに彼女いるしとっくに童貞同盟じゃねえしな、とブツブツと眉間に皺を寄せてビールをあおっているロナルドに、ショットはクエスチョンを頭の上へと浮かべた。
「え、付き合ってるんだよな?」
「おう」
「……一応、ドラルクもお前のこと好きなんだよな?」
「そこは疑ってねえけど、別に恋人って括りに拘りがあるわけじゃねえみたいだな」
「嫌ではないんだろ。じゃ、なんで? ドラルクが躯弱いから気を遣ってんのか」
「いや、俺はそういう関係にもなってみたかったんだけど、ドラ公が嫌がるからさ」
「そこ嫌なのになんで付き合うのOKしたんだよ」
「ンー……」
腕を組んで首を捻り、最初はいけそうだったんだけど、とロナルドは眉と口角を下げてふう、と溜息を吐く。
「多分俺がどっかでなんかしらの地雷踏んだんじゃねえかな?」
「……一応訊くけど、お前のほうがその、男役、だよな?」
「それがよかったが、嫌なら逆でもいいし交互でもいいって言ってみたこともあるぜ。それも嫌なんだと。肉体干渉はされたくないらしいぜ」
「お前に悪戯して殺されるのも肉体干渉だと思うが……そっか、なるほど」
ショットも一般人よりは逞しい肉体を維持していると自負しているが、それでも元々の体格の差は否めない。近くに巨躯のサテツがいるせいかロナルドは自覚に薄いようだが、五十路を越えても筋骨隆々の180センチを超えた大男だ。若い頃より脂肪が付いた分、より分厚く感じる。
全盛期よりはお互い色々と衰えては来たが、ロナルドに関して言えば、当時の自分と相対したところで負けることはないだろう。この肉体美に技量の乗った退治人は、世界でもトップクラスの強さを誇るはずだ。何と言ってもシンヨコは強い退治人が集う場所でもある。その中で、ロナルドに勝てる退治人は誰かと考えてもなかなか思い浮かばない。
そんな男に組み敷かれると思うと、ショットですらちょっと怯む。もしショットがロナルドに惚れていたとしてもそこは変わらないだろう。それが弱く華奢なドラルクとなれば尚更だ。
「なに、わかるって顔」
「いや、俺は男に惚れたことがねえからな、ちゃんとわかってるかはわからんけど、どれだけ好きでもお前みたいにでかい男にどうこうされるのは怖いかもって」
「なら俺が女役でいいだろうが」
「途中でお前の気が変わったらドラルクにはどうにもできねえだろ」
ロナルドはむ、と少し口を閉じた。年を取っても顔のいい男だ。その分黙ると迫力がある。不機嫌なようにも見えて馴染みのない相手なら引くかもしれないが、まあこれだけ長い付き合いとなるとそういうことではないことはわかる。
「………俺が信用されてねえのかな?」
「相変わらずそういうとこ自信ないよなお前。不安がるなって。お前は昔っから強いからあんまりわかんねえだろうけど、どれだけ好きでも、家族だったとしても、自分よりでかいものにびくっとすることはあるだろ」
「けどそれって咄嗟のことだろ」
だからはっきりとはわかんねえって、とショットは肩を竦めた。
「そうかも、ってだけ。それに肉体交渉のない付き合いだっていまどき珍しくはねえよ」
「それはそうなんだけど」
「不満ならよく話し合ってみれば?」
いや、ううん、とロナルドは腕を組んだまま唸る。
「不満とかじゃねえんだけど……あ、納得もしてるぜ。嫌なこと強要したくて付き合ってるわけじゃねえしな」
「そうか。ならいいんだけどな」
「もしドラ公が女だったらそうもいかねえのかもだけど」
「お前が女だったほうが楽だったかもなあ」
「俺がかよ」
考えてもみなかった、という顔をした色男にフェアじゃねえなあ、と小さく笑い、でもまあ俺も立場が同じならそうかな、とショットは話題の片割れ、新人のテーブルから立ち上がった細身の吸血鬼を眺めた。
いつの間にかマントをつけることの少なくなった吸血鬼は、仕立てのいいスーツにネクタイ、つやつやの革靴に細く長い髪を赤いリボンで結わえたスタイルだ。昔の写真と見比べると顔立ちは老けたようだが、人間社会に馴染む姿となって久しい。
ドラルクはよく回る口で新人を鼓舞し、笑うと愛嬌のある顔で満面の笑みを浮かべた。肩に乗ったアルマジロが、ヌー、とこちらも愛想を振りまく。
それから、お決まりのセリフをひとつ。
「うちの一族はいつでも歓迎するからね! お気軽に声を掛けてくれたまえよ。おっと、君の師匠が来たようだな」
では失礼、またあとで、と胸に手を当てて優雅に挨拶し、まだ幼さの抜けきらない頬を赤くして頷いている若い退治人のテーブルからこちらへとやって来たドラルクへ、ショットは軽く手を上げた。
「よ、ドラルク。相変わらずスカウトか」
「あんまり声掛けんなよ。退治人だってのに吸血鬼にならないかなんて、若い子困っちゃうだろうが」
「うーっせえわ若造。うちの一族が誰でも大歓迎なのはほんとのことだろ。ま、うちの一族の名前を使って吸血鬼と人間の対立を煽るような輩は今はお父様がチェックして断ってるみたいだけど。それはそれとして、ショットさん。また甘いもの飲んで」
「今日一杯目! あとは水とかにするから!」
「病気になっちゃったら大変なんだぞ。でもうちの一族に入ったらそんな心配もないけどね。ショットさんならいつでも歓迎するから、気が向いたら相談してよ」
「会うたび言ってないか? ま、考えとくよ。サンキューな」
にこ、と笑ったドラルクは、からん、とベルの鳴ったドアに視線を向け、私服姿のシーニャにぱっと笑顔になった。
「シーニャさん、お久しぶりじゃないかね?」
「あらドラちゃん。仕事を受けにってことじゃないけど、たまに顔出してるのよ?」
「若造が事務所の仕事に掛かりきりだったのでね」
でもジョンとふたりで来てたんだよ、と言いながらシーニャのテーブルへと行ってしまったドラルクに、忙しねえなあ、と笑うロナルドの青い目は優しい。
ドラルクを見る目が優しくなったのは随分と昔からだが、付き合い始めてからさらに柔らかになった。孫を見ているかのようでもある。
確実に老いていく人間の自分たちからすれば、見た目こそ畏怖に相応しい年齢の姿をしていても中身の老けない吸血鬼は時折かわいいものだ。かわいいなどと言いたくもない変態も多いが、それでも楽しげにはしゃいでいる姿を見れば口元が綻ぶこともある。
「そういやドラルク、何年か前からまたあれ言うようになったよな」
「あれ?」
あれだよ、我が一族はいつでも歓迎するってやつ、とショットは皿の上のポテトをフォークで刺し、軽くロナルドへ向けて振ってからぱくりと食べた。
「あいつがこの町に来たばっかりの頃はたまに聞いたけど、さすがに馴染んでからは言わなくなってたのに」
「ああ、それなら何年か前にあいつの友達……ロナ戦出してる出版社の編集長なんだけどさ、俺らよりずっと年上の人で、体力はあるんだけどさすがに過労で倒れちまったことがあって」
「あ、大丈夫だったのか?」
「ちょこちょこ悪いとこあったらしくて思ったより長く入院したんだよな。養生するように医者に言われてたからせっかくだし、ってしばらく休職もしてたし、今は元気で復職してるんだけど、ま、そんときにあいつもいろいろ考えたみたいで編集長に熱心に吸血鬼にならないかって誘ってたよ。多分そこからじゃねえかな?」
「思った以上にまともでシリアスな理由じゃねえか。編集長さんは転化すんのか?」
「まだ考え中だって。若い頃みたいな体力でバリバリ仕事したい気持ちもあるけど、吸血鬼化すると引退がなくなるだろ。そうなると部下が昇進できなくなるからもし転化するなら今の出版社は辞めて自分の会社作るかとか、いろいろドラ公と楽しそうに話してるよ」
はーなるほど、とショットはメロンソーダをずずずと啜る。ロナルドが魚のフライをつまんで勝手に食べた。
「となると、ドラルクの初めての転化の相手……子って、編集長さんになるのかもな。お前と兄弟じゃねえか。いや、シンヨコ来るまでに誰かいるのかもしれねえけど」
「転化させたことはないって言ってたが、なんで俺?」
「へ?」
ショットは瞬き首を傾げる。
「いや、親しい人間が倒れて怖くなったんだろ? ならお前なんか怪我するたび、なんなら毎日でも勧誘されてんじゃねえの。あ、それとももう断ったのか? 転化予定はねえとか?」
「俺誘われたことねえよ」
「え」
ぐい、とビールを飲み干して、ロナルドは親指と舌で濡れた唇を拭った。なかなかワイルドな見た目になったが、こういうところには色気があるような気がする。ドラルクがもしもロナルドと共にこんなに長く暮らすことがなかったなら、女性にモテまくっていたに違いない。
現状だとどう見ても妻帯者って空気だしなあ、退治のときは指輪はしてねえけど、危ねえもんな、そういやいつだったかピアスで耳引き千切ってたけどすっかり治ったな、と余所事を考えて少々現実逃避をし、それからショットは額を抱えた。
転化を打診されたことがない、というドラルクを好きな男の前で、考えとくなどと言ってしまった。
「……ええと」
「ああ、気にすんな。みんなには言って回ってんだよ。俺にはそういう話はしてこねえってだけ」
「………上手くいってない、ってことじゃねえよな? 仲いいもんな?」
「俺は気持ち変わってねえしあいつも俺のこと好きでいてくれるとは思うけど、別れは切り出されるかもしれねえな。あいつ逃げ癖あるし、そうなったら速攻で出てくだろうから今は親父さんやじいさんに根回しして、原稿も書き溜めて、仕事も先の予約は入れねえようにしていつ休業してもいいようには調整してる」
「なんで休業」
「そりゃ地の果てまででも追っ掛けてくためだろうが。とっ捕まえて連れ戻すんだよ。恋人いやになったならそれはそれでいいけど、ここまで俺をべったりにさせといて今更放り投げて逃げられてたまるか」
転化しなきゃあと数十年ってとこだし我慢して同居人でいてもらう、と難しい顔で頷いたロナルドに、ショットはもう一度額を抱えて呻く。
「マジかよ……」
「まだ別れ話は切り出されてねえけどな。別に嫌われてるわけでもねえと思うんだが、つまんなくなっちゃったんだと」
「へ?」
目を上げるとロナルドは太い眉を下げ、たれ目の目尻に皺を刻んで仕方がねえな、とでもいうような苦笑を浮かべてテーブルへと片腕を乗せた。伏せた長い睫毛の影が日に焼けた肌に落ち、なんだか若い頃の彼を見ている気分になる。
「同居人で相棒で喧嘩友達で親友で家族みたいでなんにでもなれて楽しかったのに、恋人、って陳腐な枠組みに収まってみたらそれだけになっちまって、つまんなくなったんだと」
「おお……そういうもんなの」
「あいつがそう言うならそうなんだろ」
かりかりとうなじを掻き、ショットはふむ、と相槌を打った。
「ま、ドラルクだと思えばわかんなくはねえか」
「そう?」
「刺激がなくなったってことなんだろ? お前ら結婚はしてねえけど、一緒に暮らして長いしな。落ち着いた家庭持ち、みたいになるのは、ドラルクには退屈なのかもな」
ふ、とロナルドは笑った。慈しむような笑みだ。
「そう言われるとそうかも。ま、あいつにしちゃあ長続きしたんじゃねえか? 飽き性だし」
「ドラルクって愛情深いし、誰か特別な相手ができたらずっと添い遂げるんだと思ってたんだけどな」
「あいつの恋愛遍歴とか知らねえし、そのへんどうかはわかんねえけど、親父さんとお袋さん見てりゃそうだよな。けど、別に俺が一生を添い遂げる誰かなわけではなかったのかもだし」
そんなことねえと思うけどなあ、とまじまじとナッツを囓るロナルドを眺めていると、ぶるぶるとスマホが震えた。同時に各々のポケットを確認するが、ロナルドのものだったらしい。
「悪い。仕事かも」
「おう」
軽く片手を上げ立ち上がり、電話に出ながら入口のほうへと向かうロナルドを目で追っているとドラルクが戻って来た。
「どしたの、ショットさん」
「ん、仕事の電話じゃねえかな」
話がまとまりやすい相手だったのか入口を出ようとドアに手を掛けたまますぐに電話を終えたロナルドが、振り向き喧噪の中を少し戻ってきた。
「急ぎの依頼だ。ドラ公、お前どうする?」
「ついてったほうがいいなら行くけど、問題ないならしばらくギルドにいるよ。久し振りだし」
「んじゃここにいろ。そんなに遅くはならねえと思うけど、帰るときは連絡いれといてくれ」
「連絡しなかったら?」
「迎えに来る」
ドラルクはくっと楽しげに笑う。
「恋人気取りも板に付いてきたじゃないか」
「うっせ、一年も付き合ってればそうなんだろ。じゃあな、ショット。ドラ公頼む」
「子供扱いすな」
イッと牙を剥いているドラルクに笑い、任せろ、と視線で頷いて、ショットは慌ただしく出ていくロナルドを見送った。